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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第七章】オン・ユア・マーク
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77話 Have it your way

 騒がしかったフロアに、明らかな動揺が走っていた。


 何を言われたのかを理解していない人もいただろう。光の草原は、完全には消えていない。だが、頭上高くに掲げられていたそれは、一様に胸元まで高度を下げていた。

 歓声は途絶え、ざわざわとした話し声だけが残っている。


「私の歌を」


 玲はスタンドに刺さったマイクを、右手でそっと唇に引き寄せた。


「私たちの音楽を、愛してください」


 その言葉は、フロアのはるか後方へ通り抜けていく。玲の純粋な思いは、ざわめく人々の何人に届いただろうか。

 もし誰にも届いていないのなら、何度でも繰り返せばいい。言葉で伝わらないのなら、音楽で伝えればいい。俺たちは、そうすると決めたのだから。


 玲はマイクから一歩下がり、ミュートの役割を果たしていたフットチューナーのスイッチを切る。改めてフロアを一度見渡してから、大きなストロークでコードを鳴らし始めた。


 一曲目は「Beautiful」だ。


「灰色の空を 雁が行く

 君がそれを 撃ち落として笑う

 白い窓枠に 蟻が這う

 私はそれを 美しいと思う」


 何度も聞いた美しい歌声が、フロアの観客に吸い込まれていく。オイルスモークがゆったりと満たされていくステージの上で、スポットライトを浴びながら歌を紡ぐ玲の姿は、いつだって誇らしげだ。


 だが、まだ足りない。観客の反応はまだ鈍い。


「どうして涙が零れるの」


 問いかけるように、


「悲しみなんて 切なさなんて」


 思いを振り切るように、


「どうして声が途切れたの」


 張り裂けそうな胸を堪える様に、


「私は只々 美しいと」


 思いを込めて、絞り出すように玲は歌いあげていく。


 練習でもライブでも、移動中の電車の中でも、何度も何度も聞いたその歌が、俺の心と、フロアを優しく包み込んでいく。その時、すべての音と光が消えたような気がした。

 そこは不思議な空間だった。真っ暗だけど、ステージの上の俺たちと、フロアの観客の姿だけがはっきりと見える。ステージには高さがあるはずなのに、観客が俺たちと同じ目線で立っている。お互いの距離もおかしなくらいに近い。


「鋼鉄の馬 排気筒で

 揺れる陽炎 向こうの景色」


 一瞬の幻。でも、確かに見た。そしてそれが何を意味するのかは、すぐに分かった。きっと玲も、琴さんも、京太郎も、同じものを見たことだろう。


「瞳に映る星空に 溶けてしまいたい

 私もその 純粋な心みたいに 美しい世界へ」


 歌が終わり、琴さんが力強くフィルインを決めると、京太郎のギターがディレイを響かせながらアウトロのメロディを奏でる。俺はその中を、文字通りドライブした。あぁ、なんて清々しい心地なんだ。


「ありがとうございます」


 曲の余韻が残る中、玲はそう言って頭を下げた。心の底からの感謝が伝わってくる。cream eyesの音楽を聴いてくれてありがとう、と。


 フロアのざわめきは消え、ギターとベースが通電するジーッというノイズの他、何の音もしない時間が訪れる。だが、それもほんの束の間。


 玲が晴れやかな笑顔で顔を上げると、観客から無色の歓声と拍手が届けられた。入場時に比べれば小さくて頼りなかったが、それよりもずっと価値があるもののように思えた。

 そこにいる全員にとはいかなかったが、確かに届いたのだ。伝えたかったものが伝わったのだ。だからこその拍手と歓声。これほど嬉しいものは無いじゃないか。


 でも、ここで満足はできない。


「良いも悪いも、好きも嫌いも、全部受け止めさせて欲しいんです」


 俺たちは俺たちの音楽を押し付けるから、みんなにもみんなの歓声を押し付けてほしい。俺たちのことが嫌いなら、そう言ってくれて構わない。嫌われることは本当は怖いけれど、それよりも嫌なことがあるから。


 ライブ前の玲の言葉が蘇る。


「だから、聴いて」


 二曲目は「グラジオラス」。このタイトルを聞かされたのは、実は今日が初めてだった。聞きなれない言葉だったが、どうやら花の名前らしい。夏に生まれた歌らしく、夏に咲く花の名前。


 玲を照らしていたスポットライトが消え、代わりに青紫色の光がステージを満たしていく。琴さんがカウントを取ると、京太郎のテレキャスターが爽やかなクランチサウンドでイントロを奏でる。俺はルート音を追うシンプルなベースラインで、それを静かに盛り上げた。

 フロアは、何とも言えない空気に包まれていた。200を超える人が集まり、その目当てのバンドが出演しているというのに、どうリアクションを取ればいいのかわからないと言った風だ。


 だが、この空気を作り出した張本人は、おかまいなしに歌い始める。


「サーカスが来るよ 君は私の手を引いて

 駆け足で噴水の広場まで駆けていく


 そこには時計が無いから

 ブランコが錆びているから


 おどけたピエロも 空飛ぶ象も

 みんなみんな 素敵だね

 大人も子どもも 抱かれた犬も

 みんなみんな 幸せさ」


 ステージに設置されたモニタースピーカーの性能が良いのか、PAのスタッフの力量か、スタジオ練習ではほとんど聞き取れなかった歌詞が、鮮明に耳に入ってくる。


「サーカスは去って 君と手は繋いだまま

 広場はいつもの姿を取り戻していく


 そこには花が咲いていたのに

 潰されてしまっていた


 ずっと楽しくて すごく嬉しくて

 気付かぬふりをしていたの

 だから笑って 困らないでね

 私は今も 幸せさ


 確かにあったグラジオラス

 それを知るのは私だけ

 いつかまた 咲いてくれるかな」


 爽やかなメロディとは裏腹の、もの悲しい歌詞。


 感情が昂ったのか、時折泣いているような声で歌う玲の声に、演者の立場である俺の心は激しく締め付けられていた。自分たちの曲だということを忘れて、良い曲だと素直に思った。

 フロアの方に視線をやると、薄暗い中でも観客の顔がよく見える。数少ない女性客の一人が、その目に涙を浮かべていた。それを見て思わずもらい泣きしそうになってしまった。


 曲が終わると、一曲目よりも少し大きな歓声と拍手が起きる。


「ありがとうございます。あらためまして、cream eyesです」


 玲が頭を下げると、また拍手が送られた。そこにはもう、入場時のような浮かれた空気は無かった。


「今日は、こんなにたくさんの人に来てもらえて、すごく嬉しいです。さっきは怒ったりしてごめんなさい」


 玲はいつもの調子に戻っている。その言葉に、観客たちの緊張がほぐれていくのがわかった。だが、さすがにサイリウムを再び掲げようというものはいなかった。


「今回、SNSで色々あって……あ、そのおかげでお客さんが集まってくれたわけですけど、すごく不安だったんです。人がたくさん集まっても、誰も私たちの音楽を聴いてくれないんじゃないかって。最初にみんながあの光る棒を持ってるのを見たとき、やっぱりって思っちゃって……だから最初に怒っちゃいました。ごめんなさい」


「何や、殊勝なこと言うて。観客全員ぶん殴る、言うてたんは誰やったっけ?」


「琴さん! 今その話は無しでお願いします!」


 ふたりのやり取りに、観客から笑いが起きた。だいぶ場の空気が変わって来たようだ。玲も、最初に比べると随分リラックスしたように見える。


「ふぅ……とにかく! 私は歌を、曲を聴いて欲しいんです。応援してくれるのはもちろん嬉しいですけど、まずは私よりも、私たちの音楽を好きになってください!」


 少しヤケクソ気味にそう言い放った玲は、観客に背を向けた。振り返ったその頬は、恥じらいを持って赤く染まっていた。


 玲と目が合った俺は、ステージ中央のフロアモニターに足を乗せ、マイクも通さず観客に向かって叫んだ。


「踊れえええーーーーッ!!」


 負けじと、ハウリング音を鳴らしながら京太郎が俺を押しのけて中央を陣取る。そして鋭いリフで三曲目の「The Catcher in the Route246」をスタートさせた。


 京太郎に弾き出された俺が後ろを見ると、琴さんがドラムを叩きながら爆笑していた。器用なものだ。歌いだす直前、すれ違った玲も笑顔だった。うん、これで良い。これが良い。

 観客はこれまでの雰囲気に多少なりともストレスを感じていたのだろう、ハイテンポな曲調に合わせて、ぎゅうぎゅうの空間の中、手を挙げて飛び跳ねていた。


 そうさ、俺たちが見たかったのはこれだ。盛り上がりどころを示し合わせた、予定調和なサイリウムの光なんかじゃない。音楽に合わせて、誰も彼もが思い思いに体を揺らす。決まりなんてない、自由で自分勝手なこの空間。これが見たかったんだ。

 ストロボライトが点滅し、コマ送りのように見えるステージの上で、俺は思いっきり叫んだ。気づいたらそうしていた。


 MC無しで五月雨式に「リバース・ラン」と「Hello, Mr.Postman」のロック曲で、観客のテンションはどんどん上がっていった。自分の作曲した曲でたくさんの人が踊っている姿を見ると、また今までとは違った嬉しさがこみあげてくる。


 6曲目に披露したミドルテンポの「少し不思議」でも、たくさんの観客は踊り続けていた。意外と観客の表情ってよく見えるもんだなと思いながら、俺は自分たちが作り上げたその空間を噛みしめていた。


「次が最後の曲です。私たちの音楽はどうでしたか? 好きになってくれた人も、嫌いになった人も、聴いてくれてありがとうございました」


 ステージが再びスモークに包まれていく。照明が落ちた真っ暗な空間に、一筋の光が与えられた。最後の曲は「残光」だ。

 幻想的なギターの音色の中、フロアも、ステージも、光さえも、すべてを包み込むように玲の歌声が響き渡る。


「霧と腐葉土 赤い木漏れ日の中

 手を繋いで 僕ら辿り着いた


 もうすぐ夜が来るね

 焚火の準備をしなくちゃいけない


 自由があって 電気も法律もない

 二人だけの ママもいない国


 もうすぐ冬が来るね

 毛糸のマフラー編まなきゃいけない


 もうすぐ夜が来るね

 静かで 怖いな

 もうすぐ冬が来るね

 白くて 綺麗さ

 もうすぐ星が出るよ」


 曲の終わりに合わせて、照明が落とされた。少しの静寂の後、白色のライトがステージを照らし、ライブの終わりを告げる。


 フロアから拍手と歓声が送られる中、俺たちは頭を下げた。先ほどまであんなに良く見えていた観客の顔が、ライトの逆光でよく見えなくなっていた。たくさんの余韻を残してステージを降りる。夢のような時間は終わったのだ。


 玲の歌は、俺たちの音楽は、愛してもらえただろうか。


「お疲れ様」


 控室には牡丹が待っていた。


「牡丹さん」


「玲、言うだけのことはあったね」


「ありがとうございました」


「ん? 何で感謝されてんの、アタシ」


「牡丹さんがいなかったら、今日のライブはできなかったって思って」


「何それ! 勝利宣言? 言ってくれるね~」


「私には、心強い仲間がいますから!」


「あはは! ま、()()()()()()()アタシの負けでも良いかな」


「む、それはどういう意味ですか」


「さぁね~」


 牡丹はススっと俺に近寄ってきて、耳元で囁いた。


「花言葉、調べておきなよ」


「?」


 俺が返答に詰まっていると、牡丹はそのまま控室を出ようとして、振り向きざまに言った。


「それじゃあまたね。何だか、君たちとはまたすぐ会いそうな気がするんだ」


「次会った時も、負けませんからね」


 牡丹は笑って、そのまま外へと出ていった。その時フロアから聞こえてきたのは、一定間隔で鳴らされる拍手の音。パンッ、パンッ、と最初はゆっくり。そして、だんだんとその感覚は短くなっていく。


「さ、朔さん、これは何の合図ですか? まさか抗議の狼煙では?」


「あぁ、これはね……」


 正直、これがあることを期待していなかったわけではない。でも、まさかと思って何の準備もしていなかった。


「アンコールの合図だよ」


 そう、まだ足りないと、今度は観客から求められているのだ。通常、ブッキングライブでこれ起こることはありえない。


「あ、アンコール!? でも、私たちもう持ち曲が……」


「せやなぁ、全部出し切ってもうた」


「どうしましょう……」


「そこはまぁ、啖呵切った人が責任取るしかないんじゃね?」


「えぇ? 私ですか?」


「ほら、玲。頑張って」


「責任取るって、どうすれば……」


 玲はあわあわしている。ライブの時とはまるで別人のような頼りなさだ。


「しょうがないなぁ。それじゃ、みんなで行って謝りますか」


 俺たちは、再びステージへと戻った。観客は一層大きな拍手と歓声で迎えてくれた。そこで、俺たちは全員で土下座した。琴さんも含めた、四人全員で、である。


「アンコールありがとうございます! でも、もう持ち曲無いんです。だからアンコール無しで! さーせん!」


 とりあえず、これでリーダーの責務は果たせただろうか。観客が笑ってくれたのがせめてもの救いだった。そしてそれは、そこにいた人たちが、俺たちの音楽を愛してくれた何よりの証拠だった。

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