76話 虹色の草原なんて焼き尽くしてしまえ
ざわめく観客席に向かって先陣を切ったのは牡丹だ。
ファズの効いた荒々しいベースは雄弁に語っていた。「黙って聴いていろ」と。
それに続けと言わんばかりに、ギターとドラムがかぶさってくる。一見普通の女子大生にしか見えない三人組が奏でる骨太なサウンドに、浮ついていた観客たちの視線が集まっていく。フロアの後方でステージを眺めていた俺は、その様子を目に焼き付けていた。
スマートホンをいじるために下を向いていた観客たちが、音の方向に意識を奪われたまま帰ってこない。一瞬のインパクトだけでない、確かに引き付ける魅力がある証拠だろう。
このバンドの主役は、間違いなく牡丹だ。
他のメンバーももちろん素晴らしいのだが、ベースの音、立ち姿、オーラのすべてが抜きんでている。観客の視線も、自然と牡丹に集まっていた。
痩せすぎだと思っていた手足は、ステージ上での動きを大きく見せてくれる。ボーイッシュなショートカットから見えるうなじは、妙にエロティックに感じられた。ティアドロップ型のピックで激しく、しかし正確に弦を弾く右手には、魔法が掛けられているようにさえ思えるほどだ。
それを見つめる観客たちは、戸惑っているようにも見えた。きっと、これを望んでここに来たわけではないからだろう。
こんな音楽は求めていなかった。今日は可愛い女の子を見に来ただけのはずだったのに。でも、目を向けずにはいられない。耳を傾けずにはいられない。興味を魅かれずにはいられない。そんな風に感じていたに違いない。
目まぐるしく色を変えるステージ照明の中、lalalapaloozaは一曲目を終える。まだ誰も体を揺らしてはいないのに、目を背けている人は皆無だ。そんな不思議な空気などおかまいなしに、バンドは名乗ることさえせずに二曲目に突入。観客は休む暇も、考える暇さえ与えられないまま、再び音の波に飲み込まれていった。
「親の七光りだと思われたくない」
牡丹はそう言っていた。だから本名は名乗らないのだとも。だが、この演奏を見てそんな風に思う奴が果たしているだろうか。もしいるならば、そいつは肩書以外で人を見ることができない哀れな人間なんだろう。
「こんばんは。lalalapaloozaです。みんな、目は覚めた? まだまだ楽しもうよ」
二曲目終わりにようやくボーカルが名乗ると、壁際にもたれかかっていた観客の一人が拍手を送った。それに呼応して、フロアの端から端へと波のように拍手が起きる。前のふたつのバンドとは、明らかに観客の空気が変わっていた。
一体何がそこまで違うのだろうか。たしかにlalalapaloozaのパフォーマンスは素晴らしい。だが、演奏力や曲の出来はβエンドルフィンもブライカンも高かった。正直、他のバンドとそこまで大きな差があるとは思えない。では、なぜ。
その答えはすぐにわかった。いや、俺は最初から知っていたのだ。
「なかなかええ音を出すねぇ」
次の出番に備えて、lalalapaloozaの三曲目の途中で控室に入った俺を琴さんはぬるっと迎えてくれた。
「ですね。客席の雰囲気も変わってきましたよ」
「そらそうやろ。前の二組とは本気度がちゃうわ」
そう。本気度が違う。だから観客の反応が違うのだ。
βエンドルフィンやブライカンが本気で音楽に向き合っていなかったのかと言えば、それは違う。きっと彼らも、真面目に、真剣に音楽に取り組んでいたはずだ。それは演奏を聴けばわかる。
だが、彼らは観客に対して本気で向き合っていただろうか。
βエンドルフィンは、今日の観客は女の子目当ての不純な動機で来ていると言い放った。ブライカンは、今日の観客をオタクだと決めつけて下手に媚びを売っていた。
二組の考えは間違っていないのかもしれない。今日の観客は、そういう属性なのかもしれない。
だけど、だったら何だというのだ。勝手に相手の属性を決めつけて、あまつさえ見下して、そんな演奏を見せられて楽しめるはずがないじゃないか。
lalalapaloozaは違った。相手がどうだとかは気にしていない。何時だって全力で演るだけだと、きっとみんなわかっているんだ。
「私、牡丹さんがどんなに良い演奏していても負けませんから。それに、このチャンスは絶対にモノにして見せます」
玲はいつもそうだった。最初は、周りと比べて経験の浅い自分を鼓舞するために言っているのかと思ったが、今はそうではないとわかる。玲は、ただ純粋に歌うことが好きで、自分の歌を愛して欲しくて、全力でぶつかってきただけなのだ。
「どうもありがとう! またどっかで会おうね」
ステージからMCが聞こえてくる。lalalapaloozaの最後の曲が終わったようだ。京太郎も控室へと入ってきた。
「よっしゃ、本気で俺たちの音楽をぶつけてやろう」
「音楽でぶん殴る、やっけ? そら半端な演奏はできんなぁ」
「cream eyesには京太郎っていうギタリストがいるってこと、見せつけてやりますよ」
皆の気力が充実している。その中でも、とりわけ玲の集中力がすごい。少し近寄りがたいと思うほどだ。
そこへ、出番を終えたlalalapaloozaの面々が控室へと入ってきた。
「お疲れ様」
「アタシたちの演奏、どうだった?」
「すごく良かったよ」
牡丹の顔は自信に満ちている。手ごたえを感じているのだろう。あれだけの観客を前にして、持てる力を出し切れたと。それに観客が応えてくれたと。それでも、俺たちは負けない。
「だけど、俺たちはもっと良いライブをするから」
俺はリーダーだから、いつまでも言うべき台詞を他のメンバーに言わせる訳にはいかない。
「へ~、かっこいいじゃん」
牡丹は一瞬意外そうな顔をした後、からかうような表情で俺の脇腹を肘で小突いてくる。
「朔さんは……しょ……ら……こい……す」
「ん? 玲、何か言った?」
「ほら、はよセッティングしに行くで」
玲の声は小さくて、ライブハウスのBGMやホールのざわめきに紛れてよく聞こえなかった。
「それじゃあね。良い演奏、期待してるから」
牡丹が控室を出た後、俺たちはそれぞれの機材を抱えてステージへと昇った。まずは京太郎が、次に俺が、そして琴さんがステージに上がったところで、少しの歓声が起こる。そして、最後に玲がステージに上がると、観客席からの声が一気に大きくなった。
「玲ちゃーん!」
「こっち向いて~!」
今日ほどセッティングを代行してくれるローディーがいてくれたらと思ったことは無い。まだ光の当たらないステージの上、玲に向けられる声援はまるっきりアイドルへのそれである。時折琴さんへの声も聞こえてくるが、俺や京太郎を呼ぶ声は皆無だ。
「あ。あ。あ。まーまー」
玲は今までのライブと同じように、セッティングとマイクのチェックを行っていた。だが、その意味を持たない発声にも、観客は大きな歓声を返してくる。やはり、いつもとは明らかに雰囲気が違う。
俺の知っているライブハウスではない空間が、2メートル先に広がっている。ここから先は未知の世界だ。
さすがに緊張する。不安な気持ちもある。
だけど、俺たちは大丈夫。
いつもの定位置、右斜め後ろから見る玲の表情に変化は無かった。普段と違う雰囲気の中、いつもと同じ笑顔で、淡々とセッティングを進めている。浮かれることなく、歓声に過度に応えることもせず、淡々と、いつもと同じように。
だから、大丈夫。
緊張なんていつもしていたじゃないか。いつだって不安な気持ちはあったじゃないか。それでも、ここまでやってきたじゃないか。
やるべきことはわかっている。あとはそれをやるだけだ。
やがてセッティングが終わり、一度ステージを降りた。それだけで、観客席からはまた大きな声が上がる。控室で円陣を組むようにして、俺たちは顔を突き合わせた。
「みんな、ビビってない?」
「緊張はしています。でも、ビビってなんかいないです」
「ウチを誰やと思うてんの」
「もう成功するイメージしかないわ。ライブ終わりのSNSで、cream eyesがトレンドに上がる未来が見えるね」
頼もしい限りだ。期待と高揚感と緊張と野心が混ざり合う腹の中、俺は深呼吸をした。
「今日のライブ、お客さんに好かれようと思わなくていいから」
意外そうな顔を見せたのが京太郎。琴さんは笑っていた。玲は、真剣な表情を崩さなかった。
「媚びを売るくらいなら喧嘩を売ろう。俺たちの音楽が気に食わないと言うなら、ここから出て行けと言おう。誰からも好かれる音楽なんて無いんだから。今日のお客さんが200人いるっていうなら、そのうちの190人に嫌われたってかまわない。その代わり、10人が他のどのバンドよりもcream eyesが最高なんだと、そう言ってくれる、言わずにはいられないライブをしよう」
京太郎は右手で左手を上からポンと叩き、わかりやすく理解したことをアピールした。
「ははっ。毒にも薬にもならない音楽なんて、BGMにしかならねーもんな」
その通り。200人がなんとなく良いと感じるライブは、結局誰の印象にも残らない。それならいっそ、嫌われる覚悟を持って本気でぶつかった方がよほど良い。これは、観客との真剣勝負なのだ。
「玲」
「はい」
「やれるか?」
「……嫌われるのは怖いですね。ネットで悪口言われるのも、もう嫌です」
言葉とは裏腹に、玲は晴れ晴れとした顔をしている。
「でもそれ以上に、私の歌が届かないことが一番嫌です」
四人で顔を見合わせて、そして頷いた。
「それじゃあ、いくぞー!」
「おぉーー!!」
ホールからの歓声に負けないくらい大きな声で、俺たちは声を上げる。重ねた手を跳ね上げた瞬間、景色がスローモーションに見えた。これから始まる戦いに、胸が躍っていた。
そして会場が暗転する。BGMが消え、観客のざわめきが一瞬収まる。姫子の入場SEが流れ始めると、風船が割れるように歓声が一気に噴き出した。
「よっし!」
京太郎は自分の両頬をパンと叩き、勇ましくステージへと上がっていく。だがその一歩目で、心底ギョッとした表情を見せた。何が起きたのかわからなかったが、次は俺の番だ。
「んな……ッ!」
ステージに足を踏み入れ、フロアを見回した瞬間、俺は京太郎の表情の意味を理解した。
眼前に広がる色とりどりに輝く草原。突然現れ、ゆっくりと揺れるそれが何なのか、本当にわからなかったのだ。
黄色い声援に迎えられた琴さんも、フロアを見て驚きの表情を見せていた。おそらく、バンドマンでこの光景に驚かない人間はいないだろう。
そして最後に玲が登壇すると、割れんばかりの大歓声とともに輝く草原は一斉に激しく揺れ始めた。そしてようやく、俺は光の正体がなんなのかを理解した。
サイリウムだ。
アイドルのライブで観客が振るあれ。バンドのライブではまずお目にかからない代物だ。今日は観客との真剣勝負。そう思っていた矢先に、思わぬ先制攻撃を食らう形となった。
だが、玲は動じなかった。それどころか、
「そのオタクの棒、しまって! 後ろの人が見えないでしょ!」
カウンターパンチ一閃。よかれと思って張り切っていた観客たちは唖然としていた。そんな中、俺も京太郎も琴さんも、漏れなく爆笑していた。「オタクの棒」は直球過ぎる。
さぁ、ここからが本当の勝負だ。




