59話 ガッシュク!
夏合宿。
この響きにどんな印象を持つだろうか。体育会系の人間であれば、地獄のような特訓と深まる仲間たちとの絆あたりを思い浮かべるかもしれない。文科系でも、吹奏楽の強豪校なんかは厳しい練習が当たり前に思い起こされるであろう。
では、特に強制力も明確な目標も持たない大学のバンドサークルにおいて、夏合宿がどのように行われているのか、その様子をご覧いただこう。
「朔さん、誰に向かって話してるんですか?」
「いや、何でもない。それより荷物の積み込みはもう終わった?」
「はい。アドバイス通りギターはハードケースに入れて来ました。重くて手の指がまだ痺れてます」
「本当に辛いのは、疲れ切った体で重い荷物をもって電車に乗らなきゃいけない帰りの方なんだけどね」
「あ、帰りはお父さんが車で迎えに来てくれるんで、そこは大丈夫です」
「実家いいなぁ!」
8月31日月曜日。この日から9月4日の土曜日まで、サラダボウルは4泊5日の夏合宿に突入する。サークル会員を輸送するため、大学の敷地内に旅行用の大型バスが2台停まっていた。
サラダボウルの合宿は、金曜日の夜に行われるライブに向けて、24時間利用可能な5部屋のスタジオが付いた合宿施設で行われる。ライブ会場も合宿施設に併設されていて、音楽漬けになれる環境だ。
バンドは例の如くコピーバンド。俺はふたつのバンドに掛け持ちで出演することが決まっていた。
「玲は何やるんだっけ」
「Apple Windowsっていう洋楽のバンドです」
「あぁ、あのどこに喧嘩売ってるのかわからないバンドか……あれ、でもあのバンドってボーカル男だよね?」
「はい。今回はギターだけなので」
「おぉ、純粋なギタリストデビューか!」
「ギターソロもやらなきゃいけないのが正直不安です」
そう言いながらも、玲は楽しそうに笑っていた。
「でも良い練習になるんじゃないかな。あのバンド、フレーズとか凝ってるし」
「そうなんですよ~。だから難しいんです……朔さんは何やるんですか?」
「俺は秀司とJJDをやるよ。何だかんだで今までできてなかったし。あと、一年生とマリッカをやることになった」
「マリッカやるんですか! 琴さんが怒りそうですね」
「だからまだ言ってない」
マリッカの曲は大手音楽配信サービスからダウンロードできるようになっており、夏合宿でコピーすることに決まる前から実はけっこう聞いていた。正直かなり好きなタイプの音楽だった。英詞を多用したカラッとした爽やかな西海岸風の洋楽っぽいサウンドに、超がつくほど個性の強いボーカルが良い意味でアンバランスで面白いのだ。
玲の歌声があらゆるものを包み込む海のような懐の深さを感じさせるのに対して、マリッカのボーカルである莉子の歌声は、ギラギラのネオン街のような混沌を孕んだ力強さを感じさせる。タイプは違えど、cream eyesもマリッカも、ボーカルの魅力が強いバンドという共通点があった。
そして俺は、自分の中で勝手にこのバンドを超えるべき強敵だと認定している。だからこそ、ライバルの曲を理解するうえでその楽曲をコピーすることは有益だと思い、今回の依頼を快諾した。琴さんに小言を言われることは間違いないだろうが、それはそれだ。
「合宿楽しみですね~」
玲の顔にはこれから始まる合宿への期待が溢れていた。
先ほど24時間音楽漬けになれる環境と言ったが、実際そこまで根を詰めて練習に明け暮れる人はいない。合宿中バンドを組まない人もいて、大抵そういう人は昼間から酒を呷って駄弁ったりゲームをしたりしている。合宿の会場となる宿は海から徒歩5分の好立地で、スケジュールにはバーベキューや花火なんかも組み込まれている。
バンドをやる人も練習量は多くて1日5~6時間程度だし、ライブだって身内しかいないのだからそこまでクオリティは求められない。
言ってしまえば、練習環境の整った団体旅行というのがサラダボウルの合宿の実態だ。真面目に音楽に取り組めとお叱りを受けそうだが、いかにも大学生らしい自由な雰囲気のあるこの合宿が、俺は大好きだった。
「はーい。それじゃあ出発するから、全員バスに乗り込んでー。来てない人はいないよねー?」
会長のケンさんが号令をかけた。三年生はこの合宿が幹部として最後の仕事になる。合宿以降は新たに二年生から幹部が選ばれるのがサラダボウルのしきたりだ。
「会長、京太郎さんがまだ来てません!」
遅刻魔とバンドを組んでしまった哀れな一年生が、慌てた様子でケンさんに報告をした。別の一年生はその隣で電話をかけている。何とかして京太郎に連絡を取ろうとしているのだろう。不憫だ。
「オッケー、全員いるね」
「か、会長!?」
「あはは、冗談だよ」
そう言って笑いながらも、ケンさんの目は据わっていた。
「ケンさんキレてるよな」
「まぁ無理も無いよ。ケンさんが会長の間、京太郎の遅刻で予定が崩されること何度あったかわからないもん」
会員たちの声が聞こえてくる。京太郎が遅刻することは別段珍しいことではない。むしろ遅刻がデフォルトと言っても良いくらいだ。だが、だからと言ってそれが免罪符になることなどありえないのだ。遅刻癖のある人はよく肝に銘じておいて欲しい。
「京太郎さん電話出ました! 今起きたって!」
電話をかけていた一年生が声を上げると、ケンさんはそのスマートホンを奪い取った。
「3分間待ってやる」
野心家の王族のような台詞を一方的に告げて、そのまま電話を切ってしまった。そのきっちり3分後、青ざめた顔の京太郎が自転車に乗って現れたことは言うまでもない。
動き出したバスの中は、小学生の遠足の風景と何ら変わりない。すぐにおやつの封を開ける者、アイマスクを取り出して爆睡する者、一番後ろの席でトランプを始める者、それぞれがそれぞれの過ごし方で2時間半の道のりを楽しんでいた。
高速道路を降りたバスが山道を下っていくと、景色が開かれて前方に水平線が見えた。
「海だぁーっ!!」
車内で歓声が沸き起こる。普段インドアなバンドマンでも、やはり海を見るとテンションが上がるのだ。これはもはや本能と言えるのではないだろうか。
ほどなくして、バスは目的地の合宿所へと到着した。バスを降りると、にこにことした初老の男女が出迎えてくれた。合宿所のオーナー夫妻だ。
「いらっしゃい。遠いところよく来てくれましたね」
サークルを代表してケンさんが挨拶を返す。
「今年もお世話になります」
会員たちが続々と荷物を部屋へと運び込む中、俺は駐車場のベンチに座っていた。
「あれ、朔さん。荷物運ばないんすか?」
声を掛けてきたのは秀司だ。鞄と楽器を足元に置いたまま動かない俺の様子を見て、心配してくれたのだろう。だが、俺にその問いに答える余裕は無かった。
「うっ」
「う?」
「ヴェロロロロ」
「うわぁ!?」
舗装の甘い田舎道のドライブに、俺の三半規管は悲鳴を上げていた。要するに、めちゃくちゃ車酔いした挙句にゲロを吐いた。これでも車内での粗相は何とか堪えたのだ。許して欲しい。
「グェロロロロ」
秀司はもらいゲロをしていた。本当にごめん。




