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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第六章】ライク・イット・オア・ノット
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54話 真夏のネコ

 8月25日水曜日。


 8月が終わると夏も終わるような気がしていたが、夏の高気圧はまったく衰えを見せる気配が無い。蝉はコンクリートに囲まれた都会でもおかまいなしに歌い続けている。


 ふと、地元の長野は夏休みが短かったことを思い出した。一般的に、高校生までの夏休みと言えば8月31日までと考える人が多いだろうが、長野ではお盆明けごろで夏休みが終わってしまうのだ。だから大学生になった今、この時期でもまだまだ夏休みが折り返し地点だという事実に未だ慣れない。


 なぜ急にこんなことを思い出したのか。それは、今日のライブが俺にとって特別な意味を持つからかもしれない。


 渋谷駅を降り、ライブハウスへ向かう歩道橋の上で、少しだけ立ち止まって車の流れを眺めてみる。きっと、そのまま進むのは怖かったんだと思う。何せ、こんなに早くこの日が来るとは思っていなかったから。


「お疲れさまでーす」


 ライブハウスに着くと、そこにはまだスタッフ以外誰もいなかった。一番乗りだ。俺はほっと胸を撫でおろす。別に後ろめたいことをしているわけでもないのに。


 1週間前、ライブハウスのホームページでスケジュールをチェックした時、俺の心臓は跳ねるように鼓動を早めた。そこに記載された対バン相手の中に、「BELLBOY’s」の名前があったからだ。

 俺がバンドを抜けてから約3ヶ月、晴馬(はるま)(かなめ)に連絡を取ることは一度も無かった。だから、きっと彼らは今日俺が来ることを知らないはず。俺は自分が正しいと思う選択をした。それでもやっぱり、二人に顔を合わせるのは怖かった。


「お疲れっすー。おう朔、早いじゃん」


 二番手に到着したのは、意外にも京太郎だった。


「お前が玲や琴さんより早く来るなんて……雪でも降るんじゃないか」


「ふっふっふ、いつまでも前までの俺だと思うなよ?」


「夏に降る雪なんて、なんかロマンチックだね!」


「え?」


 割って入った聞きなれない女の声。何故かそこにはみはるんがいた。まだライブハウスは開場していない。部外者が入れる時間ではないはずなのに。


「え、何でいるの?」


 俺は思わず素で疑問をぶつけてしまった。


「あぁ、みはるんがリハから見てみたいって言うからさ。スタッフとして手伝ってくれるならってことで連れてきたんだ」


「よろしくお願いしまーす。でもスタッフって何すればいいのかな?」


「ちょ、ちょっと待って。えっと……あぁそうだ。俺たち、機材を控室に置いてくるから、ちょっとここで待っててくれる?」


「別に機材なんて後ででも……」


「いいから」


 俺は強引に京太郎を控室に引っ張っていき、そして糾弾した。


「お前何考えてんだよ!」


「え、何で怒ってんの?」


「お前の彼女をスタッフとして入れるって、何でそんなことひとりで勝手に決めてんだって言ってんだよ」


「何だよ、別に良いじゃん。手伝ってくれるって言ってんだからさ」


「いや、お前……そういう問題じゃないだろ……」


 物販やアンケート回収等を手伝うため、ライブスタッフが同行するバンドは確かに存在する。そういう役割の人がいてくれると助かるというのもわかる。だが、俺は京太郎の軽率な行動に腹が立っていた。


「スタッフを入れるって、バンドメンバーが増えるみたいなことじゃん。お客さんからすれば、接するスタッフの言動一つでバンドの印象左右されたりすんだぞ? そういう大事なことはちゃんと相談してから決めてくれよ」


「みはるんなら大丈夫だよ。人見知りしないし、愛想も良いし」


 ダメだ。どうにも響かない。京太郎はみはるんがスタッフになることに何の疑問も抱いていない。それどころか、バンドのためになると確信しているようだ。京太郎に彼女ができたことがプラスになると思えるようになってきたのに、当の本人がこんなに周りが見えなくなるんじゃどうしようもないじゃないか。恋は盲目とはよく言ったものだ。


「ねぇまだ~? 女の子たちも来たよ」


 玲と琴さんがライブハウス入りしたらしい。せめてみはるんがここにいることを一報入れておきたかったが、間に合わなかった。そして琴さんは、まるで道場破りの様に控室に乗り込んできた。


「京太郎、これはどういうことや」


「あぁ、みはるんならスタッフとして手伝ってもらおうと……」


「スタッフ……?」


 琴さんはここまでの会話と、俺と京太郎がみはるんを残して控室にいたのを見て、どうやら状況を完全に理解したらしい。俺は琴さんにアイコンタクトを送る。ここは頼れる先輩にお任せするのが得策だろう。


「スタッフ、ねぇ……ほんなら、今から外でフライヤー配ってきてもらって。とりあえず100枚あるから。これ全部無くなるまで」


「え?」


「スタッフなんやろ? ウチらのことを手伝いに来たんちゃうんか」


「いやまぁ、そうですけど……外でフライヤー配るって、炎天下の中いきなりキツすぎません? しかもいきなり100枚って」


「あんたがみはるんをスタッフにするって勝手に決めたんやろ? せやったら仕事の内容をウチが勝手に決めて何があかんねん」


「いや……その……」


「あんたがやったんはそういうことやで」


 超気持ちいい。


 じゃなかった。二十歳(はたち)を超えた男が完全論破されている姿を見て、再び顔を出したモヤモヤがスッキリした、なんてことは決してない。琴さんだって最初のライブ勝手に決めてきたじゃんなんて、決して思っていない。


「え、私来ちゃダメでしたか?」


 みはるんの声には怒りが込められているのを感じた。目の前で自分の彼氏が、女性に言い負かされている姿など見ていられなかったのだろう。


「みはるんは悪くないで。全部この阿呆が悪い」


「京くんのこと阿呆なんて言わないでください!」


「み、海晴さん、落ち着いて」


 興奮しているみはるんを玲が諫めた。今にもキャットファイトが始まりそうな雰囲気だ。


「あぁ、これがみはるんのニトログリセリン」


「朔さん黙ってて!」


 後輩に怒られた。


「みはるん、ごめん。いいんだ、琴さんの言ってることが正しいから」


「京くん……でも!」


「いいんだ! 俺、浮かれてたんだな。みはるんがスタッフになれば絶対バンドにプラスになるって、一人で勝手に盛り上がって……」


「京くん……」


「俺のために怒ってくれて、ありがとう」


「好きぃ!」


 みはるんが京太郎に抱き着き、俺と琴さんと玲はそれを冷めきった目で眺めていた。


「まぁ、今回はもうみはるん来ちゃってるし、今さら出て行けとは言わないけどさ」


「ごめん、ごめんな……」


「だからもういいって」


「はぁ、あんたら疲れるわ」


「丸く収まって良かったですね、師匠」


「京くん、私がんばるね」


 果たして丸く収まったのかはわからないが、とりあえずこの件はひと段落ついたと言っていいだろう。多分。


「ほな、フライヤー配りよろしゅう」


「え、琴さん?」


「あはは、冗だ……」


「やってやりますよ!」


 みはるんは琴さんからフライヤーの入った紙袋を強奪し、そのままライブハウスの外へと飛び出していった。


「マジでか」


 流石の琴さんも標準語で驚いていた。俺たちの誰もが、みはるんのバイタリティを舐めていたようだ。


「と、とりあえずリハの準備しましょう! ほら、もう時間ですから」


「あ、あぁ。そうだな、うん。リハだリハだ」


 俺と京太郎は必要も無いのに控室にしまい込んだ機材を持って、わちゃわちゃとステージに登った。こんなに落ち着かないリハーサルは初めてだ。


「さっきのギャル、何だったんだ?」


「さぁ、何かすごい形相だったな。いきなりフライヤー渡されてビビったんだけど。えっと……cream eyes? 今日の対バン相手じゃん」


 そう言いながら入ってきた二人と目が合った。


「あ」


「あ」


「あ」


 結構シリアスに決別したはずの晴馬と要に、こんな風に再会することになろうとは。あの日涙を流した俺に話したらぶっ飛ばされそうだ。

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