52話 LOVERS
あの日からcream eyesの活動に少しの変化が起きた。
バンドのSNSアカウントでは、玲がフレンドたちと活発にコミュニケーションを取っており、親しみやすいキャラクターで順調にそのフレンド数を増やしていった。フレンドが楽曲のダウンロードURLを拡散してくれたため、ダウンロード数も1ヶ月で300を突破した。これはサラダボウルの会員数の3倍以上の数字である。
余談だが、花見の時には30名ほど集まっていた新入生たちも、新歓ライブ等を経て正式にサラダボウルに加入した人数は17人であった。会員数は95人となる。
無料配信とはいえ、身内以外の多くの人にも聴いてもらえていると思うと、ダウンロード数が1増えるだけでもその喜びは大きいものだ。
「cream eyesでエゴサすると、たまに全然知らない人が私たちのこと呟いてくれてたりするんですよ」
玲は楽しそうにそう語っていた。言うまでも無いかもしれないが、「エゴサ」とはSNS等で自分や自分が所属する団体のことを検索する「エゴサーチ」の略である。今のところネガティブな書き込みは無く、概ね好意的な意見ばかりが見られる。
「そのうちボロクソに叩かれたりすることもあるのかなぁ」
「う、そう言われるとエゴサするのが怖くなりますね……」
「アンチが出てくるくらい知名度が上がればええんやけどな」
まだ見ぬアンチの出現に怯えながらも、バンドの知名度が着々と上がっていることが楽しかった。
nuclearとの共演以降、下北沢SILVETで1回、ブッキングスタッフの純さんの紹介で渋谷のMonsoonというライブハウスで1回ライブを行い、それぞれで高い評価を得ることができた。次回は2週間後に渋谷のSHAKERでのライブが決まっている。俺にとってはBELLBOY'sのころからお世話になっている馴染みのライブハウスだ。
「次のライブまでには新曲完成させたいですね」
「せやなぁ。いつものセットリストがちょっとマンネリ気味になって来とるし」
今のセットリストは5曲中4曲が京太郎が作曲したものだ。もちろんそれが悪いことではないのだが、俺も負けてはいられないという想いを秘かに抱いていた。
「お疲れさまでーす」
妙に小綺麗な格好をした京太郎が談話室にやって来た時、普段と違うその姿に、俺たちだけでなくその場にいたサラダボウルの会員全員がざわついた。それは単に服装の雰囲気がいつもと違うから、と言うわけではない。
「あれ、何この空気」
京太郎はとぼけたフリをしていた。何故フリだとわかるのか。答えは簡単だ。この異常事態に、本人が気づいていないわけがない。
「どしたの、宇宙人でも見たような顔して」
「お、お、お、お、お前……」
「ん?」
「お前、一体何者だ!」
俺は思わず叫んだ。だって、ありえないからだ。こんなこと、絶対にあってはならないからだ。
「何言ってんだよ~。俺だよ、京太郎さんだよ~」
「目を覚ましてくれよ、京太郎!」
「師匠! 一体何があったって言うんですか!」
「あんた、ほんまに京太郎か? そっくりさんとちゃうよな? ドッペルゲンガー?」
「ははは。いやぁ、みんな揃いも揃ってひどいこと言うなぁ」
京太郎らしき人物は、ニヤニヤしながら俺たちの追求を受け流した。
「京くん、何かみんなの反応変じゃない?」
京太郎の隣に立っていた女性が、親しげな表情で問いかけた。京太郎の隣に立つ女性である。京太郎の隣に女性が立っている。あの京太郎の隣に女性が。
「ごめんごめん。みんなちょっと驚いてるだけだから。大丈夫だよ、みはるん」
「みはるん……だと……?」
俺の心は折れそうだった。今すぐこの場で膝をついてしまいたい気分だった。
京くん? みはるん? 何だ、その甘ったるい呼び名は。お前の姓はいつから草薙になったんだ。それならその女はユキじゃなきゃ筋が通らない。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
「京太郎、その人って、ま、まま、まさか……」
「あぁ、俺の彼女」
――――――――――幻術だ。
「はは」
夢の国のネズミの様な、乾いた笑いが漏れる。俺の心は虚無だった。坐禅を組ませたら、雑念の無さに住職でさえ腰を抜かすことうけあいだろう。
「はじめまして、海晴です」
「実は先月から付き合いはじめてたんだけど、cream eyesのみんなにはちゃんと紹介しておこうと思って」
「も~、京くんのそういう真面目なとこ好き!」
「おいおい、人前でそういう事言うのはやめろって」
俺たちは何を見せられているのだろうか。玲も、琴さんも、言葉を失っている。いや、それだけではない。この談話室にいる全員が同じだった。やはり、幻術なのか……?
「次のライブの件なんですけど」
「あぁ、新曲やったな。玲ちゃん、歌はもう固まったん?」
「あ、はい。歌詞はもう書けたので、今メロディを詰めているところです」
「ちょっとちょっとちょっと! 気持ちはわかるけどね? 自分で言うのも何だけど。流石に無視は堪えるんでやめてもらえます?」
現実とは残酷なものだ。京太郎に彼女だなんて、そんなこと受け入れられるはずがない。今の俺の心は、ひび割れたビー玉だ。覗き込めば君が逆さまに映って、何かが終わって始まるんだろう。
「改めて紹介するぞ。俺のか・の・じょ・の宇野 海晴」
「よろしくお願いします。いつも京くんがお世話になってます」
もう逃れられない現実と向き合うしかないのだろう。礼儀正しい挨拶をしたみはるんは、その口調に似合わない派手な見た目をしていた。濃いめのアイラインに黒目を強調するカラーコンタクト。ボリュームのある巻き髪に厚い唇。一言で言えばギャルである。
「よ、よろしくお願いします」
俺はギャルと言う人種に慣れていなかったため、若干委縮してしまった。バンドサークルにくる女の子には、所謂ギャル系があまりいないのだ。強いて言うなら奈々子さんがギャルっぽい雰囲気だが、みはるんほどではない。
「こいつは朔。うちのバンドのリーダーだよ」
「へ~、リーダーなんてすごいね!」
先ほどの丁寧な挨拶はなんだったのかと思うほど、みはるんは急に馴れ馴れしい口調になった。
「いや、別にこれといって特別なことはしてないですから」
「ねぇねぇ、朔くんは彼女いないの?」
「は!? え、ええっと、居ないけど……」
「え~、モテそうな感じなのに。もったいないね」
「ちょっと、みはるん」
「あれ、京くんヤキモチ焼いちゃった?」
「そんなんじゃないけど」
「あはは、かわいい~」
「やめろよ~」
俺はそれ以上何も言えなかった。これがバカップルと言う奴なのだろうか。目の前にすると、生命力をどっぷり持っていかれる感じがした。
「はじめまして、玉本 玲です。こちらこそ、師匠にはお世話になってます」
「師匠?」
「あぁ、玲ちゃんは俺のことを師匠って呼ぶんだ。ギターについて色々と教えてあげてたから」
「仲良いんだね~。よろしくね、玲ちゃん」
先ほどの俺への態度に比べて、玲に対するみはるんの台詞に棘を感じたのは俺だけだろうか。
「で、こっちが琴さん」
「よろしゅう。京太郎とはどこで知り合ったん?」
「京くんとはゼミが同じなんです。京くんがバンドやってるって知らなかったんですけど、この前ゼミのみんなで下北沢のライブを見に行って……もう、京くんってばかっこよくって! ゼミでは全然喋らないし目立たないのに、ステージ上の京くんやばくないですか?」
「お、おう。せやな。うん」
「それでもう、私から一気に告白しちゃいました」
みはるんの勢いに琴さんが押されている。確かに京太郎は背も高いし、黙っていればイケメンの部類に入る。ギターを弾いている姿は、認めたくないがかっこいい。ゼミで大人しくしていたというのなら、もしかしたらみはるんは京太郎の残念な中身を知らないのかもしれない。
「琴さんはおっかない人だから、みはるんもあんまり失礼の無いようにしてね?」
「はーい」
「……」
おかしい。いつもの琴さんなら「誰がおっかない人や」と言って京太郎の頭を引っぱたいているシーンだ。さすがに彼女の前だから自重したのだろうか。
「みはるんは友達多いからさ、今度のライブにもたくさん人呼んでくれるって言うんだ。ありがたいよな」
「そりゃまぁ、そうだけど」
「彼氏のいないかわいい子、連れていってあげるね!」
「そりゃどうも……」
「それじゃ、俺ら次ゼミだから」
「次の練習土曜の昼1時だからな。遅刻すんなよ」
「あぁ、わかってるって」
そうして京太郎とみはるんの二人は談話室を出ていった。その瞬間、サラダボウルの会員たちはざわつきはじめた。
「京太郎に彼女ってマジかよ?」
「しかもギャルだし。なんか雰囲気エロいし」
「京太郎さんのキャラと合ってない気がするけど……大丈夫かなぁ」
京太郎の女性への苦手意識はサークル全体の共通認識だ。だからこそ皆がざわつく。正直、目の当たりにしても今一つ信じきれない自分がいる。
「京太郎に彼女……まさか、あいつに先を越されるなんて」
「どやろなぁ、そう良いことばっかやない気がするけど」
「どういう意味ですか?」
「ん、何でもない。気にせんといて」
琴さんの思わせぶりな言葉が気になったが、それよりも俺は嫉妬心に支配されていた。彼女が出来たということは、もしかして京太郎は既に卒業してしまったのだろうか。俺一人を綺麗な場所に置き去りにしたまま。そう考えると、涙が溢れそうだった。
「朔さん、師匠に彼女ができてバンドへのモチベーションが上がるなら良いじゃないですか。きっと今まで以上にかっこいい曲を作ってくれますよ!」
玲の言葉で我を取り戻す。そうだ、今は大事な時期。こんなことで一喜一憂している場合ではない。
「そうだな。よっし! まずは新曲完成させて、次も良いライブにしよう!」
だが、土曜日の練習に京太郎は姿を現さなかった。




