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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第五章】グローイング・アップ
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40話 妹攻略大作戦

「で、どっちがお(にい)の筆おろし相手なの?」


 散らかった部屋の中、上下にグレーのスウェットを纏い、ぼさぼさ頭に眼鏡をかけた女が、下卑た笑みを浮かべている。人と会う約束をしていたにも関わらず、着飾る気も化粧っ気の一つも無い。紛れもなく京太郎の妹、これが18歳の椎名 姫子(ひめこ)である。


 俺たちは音源制作の依頼のため、東京郊外の街に来ていた。どこかのお店で話をしようと提案したが、京太郎の妹が自宅から外に出ることを拒絶したため、こうして部屋まで来たわけなのだが。


「お前、開口一番何言ってんだ!」


 京太郎の拳骨が振り下ろされる。だが、それは虚しくも空を切った。意外と動けるぞ、この引き籠もり。


「あ、私引き篭もりではないので。ちゃんと学校行ってますから」


「心の声を読まれた!?」


「顔を見れば何考えてんのかわかるよ。特にあなたはわかり易いし」


「なぁ、うちら帰ってもええ?」


「琴さん! ちょっと、ちょっと待って!」


 もうイントロからぐだぐだである。帰ろうとする琴さんと下ネタにドン引きする玲を何とか引き止め、ようやく散らかった部屋での打ち合わせが始まった。


「何だ、どっちも違うのか。つまんない」


 姫子は漫画のように口を尖らせていた。大体、自分の兄の初体験の相手に何を聞こうと言うのか。


「いや、ほんと、マジですんません。うちの妹、この通り馬鹿なんです」


「偏差値はお兄よりずっと高いけどね」


「うっせ!」


「あ、ポテチ食べます? 私一袋食べきれなくって、いつも余らしちゃうんですよ」


 ある程度の予想はしていたが、それを遥かに上回るレベルで面倒くさい。こんな人物に自分たちの音源制作を任せて良いものだろうか。


「おやおや、その顔は私の力を疑っているね。ふっふっふ、良いだろう。今日は特別に真の力を解放してあげるよ」


「あの、京太郎。さすがに俺もお腹いっぱいになってきたんだけど」


「あぁ、本当に申し訳ないと思っている……でも、こいつのセンスは本物だから。頼むから少しの間我慢してやってくれ」


 言葉のとおり、京太郎は心底申し訳なさそうにしていた。反論の余地のない、完璧な落ち度の前に、人はこんなにもしおらしくなるものなのか。


「と、とりあえず、姫子ちゃんの作った曲を聴かせてほしいな~、なんて」


 同い年の玲がとんでもなくまともな人物に見える。こっちはこっちで結構天然な部分が多いはずなのだが。


「いいとも~。っていうか、ネットにいくらでもアップしてるんだから、聴いてきてくれれば良かったのに」


 姫子はぶつぶつ言いながらも、PCを立ち上げた。一人暮らしの学生の部屋には似つかわしくない、高そうなスピーカーが繋がれている。このあたりの機材のこだわりっぷりは、やはり兄妹と言うべきか。


「とりあえずこの辺から」


 姫子が再生ボタンを押すと、テクノ、ハウス、アンビエント、ブレイクビーツと言った様々な音楽ジャンルを包括したエレクトロ・ミュージックが流れ始めた。その楽曲の完成度は尋常ではなく、この曲が海外の電子音楽界の大物の新曲だと言われたら、きっと疑うことなくその言葉を信じただろう。


「これ、マジで君ひとりで作ったの?」


 俺の質問に対して、姫子は無言のドヤ顔で返した。あぁ、本当に面倒くさい。


「何か言えよ! はぁ……認めたくないんだけどさ、姫子はDTMに関しては天才なんだよ。紛れもなく」


「姫子ちゃんの実力はわかったわ。でも、これって全部打ち込みの音楽やろ? バンドの音を録るのはまた違うと思うけど、その辺は大丈夫なん?」


「任せてくださいよ綺麗なお姉さん。エレクトロでも打ち込みだけじゃなくって、色々音をサンプリングしたりしますから、生音の扱いにも慣れてますよ」


「姫子ちゃんすごい。私、打ち込みとかよくわかんないんだけど、これ楽器使わずにパソコンで作ったってことだよね?」


「そだね~。慣れれば意外と簡単だよ?」


「へ~、私も今度やってみようかなぁ」


 天才が言う「簡単」ほど当てにならない物は無いと思うが、確かにこのクオリティなら何の不満も無い。


「で、交渉はここからってことになるけど、皆さんは私に何を提供してくれるんですかね?」


 そう、ここからが勝負だ。京太郎は、交渉次第で次のライブに間に合うようマスタリングなどをやってくれると言っていたが。


「いくら欲しいんだよ」


「100万円」


「はぁ!?」


「だって、一ヶ月で作れって言うんでしょ? これから前期試験もあるし、私の貴重な時間を割くんならそのくらい貰わなきゃ」


「お、お前なぁ……」


 京太郎は金銭で懐柔しようとしたが、あの口ぶりからいって最初(ハナ)から金で動くつもりは無かったようだ。


「私たち、そんな大金用意できない……」


「じゃあお金以外の何かを提供してもらいましょうかねぇ。幸い、ここには二人も良い具合の娘さんがいらっしゃるじゃないですか。ぐぇっへっへ」


「京太郎、やっぱりウチ帰ってええ?」


「えーっと……そうなりますよねぇ……」


 もはや琴さんを止めることが難しくなってきた。そんな時、気になるものが視界に映りこんだ。


「これ、マリッカのCD?」


「あ、マリッカ知ってます? 超良いっすよね~。私も今一番注目してるバンドなんすよ。ハッキリ言って日本に収まる器じゃないっすね。なんで今まで注目されてなかったのか不思議なくらいっす。正直メジャー言って丸くなってほしくないって思うんですけど~、でもデカぁあい、説明不要! な会場で見てみたい気もするし~。うーん、そこは愛する者のジレンマですよね~。はぁ、マシュー様ほんと尊い。莉子ちゃんマジきゃわ」


 ここしかない。俺は琴さんにアイコンタクトを送った。しかし、露骨に嫌な顔をされた。


「琴さん! やれることは全部やる、でしょ!」


 仕方ないので耳打ちで直談判する。琴さんは観念したように溜め息をついた。


「なんや、姫子ちゃんはまっさんの事が好きなん?」


「まっさん?」


「あぁ、マリッカのマシューのことや」


「好きなんてもんじゃないですよ! あの才能、美しさ、全てを愛しています! マシュー様になら私の処女献上余裕です!」


「ぉおう、もう……お前、マジでいい加減にしてくれよ……」


「ふうん、ほなちょっと待ってて」


 琴さんはおもむろに携帯を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。


「もしもし、まっさん? ちょっと話があるんやけど。え? うっさいわ。そんなんどうでもええから。うん、あぁはいはい。あんな、まっさんに純潔を捧げる言うてる18歳のかわいこちゃんがおるから、今度デートしたって。え? 知らんて。ほんだら時間はあとでこっちから伝えるから、よろしゅうな」


 嵐のように通話が終了した。


「今の電話、何です?」


 姫子もさすがにリアクションに困っているようだった。


「姫子ちゃんとマシューのデート、約束したから。報酬はこれでええやろ?」


「えぇぇえええぇえぇえええええ!!??」


 琴さん、流石です。

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