1話 誕生日
「誕生日おめでとう。大人の仲間入りをした気分はどう?」
ベンチにいた俺、一ノ瀬 朔を見つけるなり、一人の女性が目の前にドカっと座って声をかけた。
彼女は三年生の二宮 琴。長い黒髪を真ん中で分けた、和服の似合いそうなスレンダーな美人で、ファッション誌の読者モデルをやっているという噂を聞いたこともある。しかしその仕草は、京言葉のはんなりとしたイントネーションとは正反対の粗雑なものだ。
「琴さん、お疲れ様っす。俺の誕生日なんて、よく覚えてましたね」
「そう? めっちゃ覚えやすい思うけど」
俺はこの日、二十歳になった。4月2日は、同学年で最も早く迎える誕生日である。実家の両親と昔馴染みの友人数人から、携帯電話にお祝いのメッセージが届いていたが、ケーキもプレゼントも無い、味気ない誕生日になると思っていた。だから、琴さんの祝福が素直に嬉しかった。
「ほな、今夜さっそく飲み行こか。どうせ予定無いんやろ?」
「いやいや、自分にはまだ琴さんの相手はつとまらないっすよ……って言うか、何気に酷いこと言ってますけど」
「あれ、彼女出来たん? そういうことは先に言うてよ」
「ホント酷いこと言いますね」
琴さんはハハハっと軽く笑う。俺は、彼女以上に見た目と中身のギャップのある女性を知らない。性格は一言でいうなら「豪快」だ。京都人は腹黒、なんて話はよく聞くが、そういうねちっこさは感じない。歯に衣着せずに物を言い、(主に男達の)つまらないプライドをへし折っていく。ぶぶ漬け? 何それ。
「この前のライブ、どうやったん?」
「いや、どうやったん? じゃなくて、琴さんもたまには見に来て下さいよ」
「うちが見に行きたくなる曲を作ってくれたらなぁ」
「辛辣だなぁ……」
「で、どうやったん」
「んまぁ、ぼちぼちです。いつも通りって言うか」
「何や、しょうもないねぇ」
この会話の流れなら、怒り出す人もいるだろう。きっとプライドを持ってバンドに取り組んでいるなら、しょうもないなどと言われて黙ってはいられないはずだ。バンドを組んだばかりの頃なら、俺も怒りを感じただろう。だが、
「そっすね」
口から出た言葉はこんなものだった。俺自身も拍子抜けした。でも仕方のないことだ。だって、実際つまらなかったのだ。変わり映えの無い曲を演奏し、身内の客から少しの賛辞をもらい、対バン相手とデモCDの交換をする。ライブハウスに金を払って、ライブをさせてもらう。もう何度同じことを繰り返しただろうか。
「何かこう、あれっす。何か……あーもう! って感じです」
「あはは! 何なんそれ? 全然わからんけど、何かわかる気するわぁ」
大学二年生になった初日、酒も煙草も合法になった日、俺は言葉にできない胸のモヤモヤを、一つ年上の女性に笑い飛ばしてもらおうとしていた。
「ま、そのうち良いことあるやろ。知らんけど」
「だと良いんすけどね」
二人は笑った。その二週間後、運命を変えてしまうような良いことが、本当に起きるとは知りもせずに。
イラスト提供:20e様