24話 初めてのステージ
舞台袖で、奈々子さんに声をかけられた。
「おかげで楽しかったよ。ありがとね、朔ちん」
自分たちは存分にやりきった。今回の出来の良さは、玲が挑んできてくれたからだよ。モチベーションを高めてくれてありがとう。きっと、そういう意味での謝辞なのだろう。
「何言ってんすか奈々子さん。楽しくなるのはこれからですよ」
まだ自分たちの演奏は始まってもいない。勝手な勝利宣言は受け入れられない。だから、感謝の言葉も受け取れない。
「あっはははは、朔ちんキャラ違うんですけどー」
奈々子さんはケラケラと笑いながら、俺の背中をバンバン叩く。だが、あまり痛くない。よく見ると、奈々子さんの足が小刻みに震えていた。全力を出し切った直後で力が入らないのだろうか。
「感謝しなきゃいけないのはこっちですね」
「うん?」
「腰抜かさないでくださいねって、言いました」
「へ~、すごい自信だね」
奈々子さんは何事もないように、そのまま観客席の方へと歩いて行った。
「ガッカリさせないでよ~」
振り向きざま、そんな捨て台詞を残して。
俺はステージに上がり、セッティングを始めた。ベースからフットチューナー、ベースDI、アンプの順にシールドを繋いでいく。アンプのスイッチを入れ、出音を確認。シールドの断線無し、電源周りも問題は無し。続いて、アンプのグラフィックイコライザーを調整。ミドルとハイを少し押し出し、音色にアクセントをつける。最後に、アンプに付いたコンプレッサーをツマミが10時の方向になるところまでかける。強すぎず、効果がわずかに実感できるくらいが調度いい。ベースDIのスイッチを入れて、改めて出音を確認。問題無し。あとはチューニングを済ますだけだ。
他のメンバーも、特にセッティングに問題は無さそうだ。玲は暗いステージ上でのセッティングが初めてなので心配だったが、どうやら無事に済んだらしい。何やら玲と京太郎が話をしていたが、琴さんのドラムや観客席の雑音に紛れて、会話の内容は聞こえなかった。
チューニングを終えた俺は、ベースをスタンドに立て掛けて、一度ステージを降りる。ほかの皆も、それに続くようにしてステージを降りた。
「セッティングしてるとこ思いっきり見られてるのに、この後かっこつけて登場するのってちょっと恥ずかしいですね」
「そのうち慣れるよ。ライブハウスでもみんなそうだから」
ステージにカーテン等を設置して、セッティングの様子が見えないようにしているライブハウスも稀にある。だが、ほとんどの場合、セッティングの姿は観客に丸見えの状態だ。セッティングを担当してくれるローディーという役割を持った人間もいるのだが、アマチュアバンドがそんな人員を手配できるわけもない。
「セッティングの時はいかに目立たないように、地味~に行うかが大事。そんで入場の時は、切り替えて胸を張って出ていくことが大事、だと思う」
「なるほど、さすが師匠です」
「何や京太郎、声が震えてるやん。緊張してるん?」
「そりゃまぁ、それなりに」
「頑張りましょうね、師匠」
「弟子に励まされる師匠ってどうなの」
「うるさい」
「そういえばさっき、奈々子さんにありがとうって言われました」
「奈々子が? 生意気やな」
「いや、別に良いじゃないっすか。悪く言われたわけでもないんすから」
まったく緊張がないわけではない。だけども硬くなっているわけでもない。心地よい高揚感が4人を包み込んでいた。
「あの」
玲がサッと右手を4人の中心に差し出した。
「こういうのって、バンドマンはやらないですか?」
他の3人で顔を見合わせる。
「ちょっと気恥ずかしいなぁ」
琴さんは照れ臭そうに、玲に手を重ねた。
「お、琴さんのレアな表情」
京太郎も続いた。直後、琴さんに頭を叩かれていた。
「いいじゃん、青春っぽくて」
最後に俺が手を重ねた。
「それじゃあ京太郎、掛け声よろしく」
「え、俺? そこは玲ちゃんか朔じゃないの?」
「お願いします、師匠」
「マジか」
「腹括りや」
京太郎は観念したように首を横に振り、息を吸い込んだ。そして重ねた手の甲をぐっと下に押し下げて、気合の掛け声をかける。
「やるぞー」
「っぷふぅ」
客席に響かないように配慮したのか、想像以上にウィスパーボイスな掛け声に、3人は思わず吹き出した。
「あ、ひでぇ!」
京太郎はたまらず抗議する。
「だって師匠、声ちっちゃ!」
「ごめん、無理だった」
「あはははは」
「くっそー」
玲がもう一度手を差し出した。
「今度は笑いません」
それに琴さんと俺が手を重ねて、京太郎を見据えた。
「本当だな?」
京太郎が疑いの目で見つめてくる。正直それだけで笑いそうになったが、何とかこらえた。
「いくぞー」
さっきと掛け声が違う。3人は笑いをこらえながら
「おー」
ウィスパーボイスで掛け声に答えた。
「あんた、わざとやってるやろ」
琴さんの詰問にキョトンとした表情を見せる京太郎。どうやら天然の行動のようだ。そんなやり取りをしていると、会場内のBGMが鳴り止んだ。観客席のざわめきのみが聞こえる一瞬の間。この瞬間が、俺はけっこう好きだった。
「ハーッレルーヤッ! ハーッレルーヤッ! ハレルーヤ! ハレルーヤ! ハレエールヤー!」
突然、けたたましい合唱が会場内に響き渡った。ヘンデルのオラトリオ「メサイア」の第二部最後の曲、Hallelujahである。その意味は「神を讃えよ」。
奈々子さんたちが女王だと言うなら、こちらは神だとでも言うのか。不敬と言うか、おこがましいにも程がある。だが、俺と琴さん、玲の3人は妙にツボにはまってしまった。
「聞いてからのお楽しみって、俺ら神になるの?」
「なんやのこのSE。あかん、お腹痛いわ」
「あははは、威厳を持って歩かなきゃですね」
先ほどのウィスパーボイスといい、今日の京太郎はキレている。
「何だよーかっこいいだろ」
「とりあえずステージ上がらなきゃ」
京太郎以外の3人はゲラゲラ笑いながらステージへと登って行った。先ほどまで真っ暗だったステージに照明が当てられる。
「玲ちゃーん。がんばってー」
「琴さーん! 琴さーん! 琴さーん!」
「朔ぅーしっかりやれよー」
「京太郎ー起きてるかー」
様々な声が飛んでくる。先ほどまでの興奮が冷めきっていない。賢一さんの言っていた通り、いやそれ以上に、会場は温まるどころか、すっかり熱くなっていた。
ギターを抱えてステージの中央に立った玲を、斜め後ろから眺めてみる。初めてのライブだ。良い雰囲気でステージに上がれたとはいえ、緊張してないということは無いだろう。
「あ、あ」
マイクの音を確かめるように、玲が軽く声を出す。その表情に曇りはない。そして、玲はそのままオーディエンスに向かって語り始めた。
「こんばんは、一年生の玉本 玲です」
笑顔で挨拶を済ますと、曲に入ろうとせずそのまま話を続けた。先ほどまでの表情とは異なり、どこか余裕のある笑みというか、目が据わっているように見えた。
「はじめましての人も、そうでない人も、どうか、私の歌を愛してください」
何だそのMCは。キャラが普段と全然違うじゃないか。オーディエンスはポカンとしている。俺は確信した。これはスイッチが入っている、と。どうやら緊張は無さそうだ。
玲が琴さんの方を向くと、琴さんはスティックを掲げてカウントを取る。カウント4つで一斉に、全ての楽器が音を鳴らす。一曲目は「ラヴ&ビッグ・マフ」だ。
ファズの効いた京太郎のギターが野太い音でリフを刻み、クラッシュを多用した琴さんの派手なドラムが場を盛り上げ、唸るようなベースラインが縦横無尽に駆け回る。その音の波に乗るように、玲が激しくレスポールジュニアを掻き鳴らしていた。
そのパフォーマンスは、とてもギターを始めて一か月の初心者には見えない。普段のふわふわした雰囲気の玲しか知らないオーディエンスは、完全に圧倒されていた。と言うか、普段の練習でも見せたことのないその激しさに、俺たちも驚いていた。
玲はそのまま、誰もかれもを置いてけぼりにしていきそうな勢いで歌いはじめた。
「気に入らないわ 思い通りにならないあなたなら
その大切なハミングバードと一緒に 焼いて食べてしまいましょう
だから手に入れたのよ ロシア製の 戦車みたいなビッグ・マフ」
それと同時に、大きな歓声が上がる。玲の歌を聴くのは、俺たちを除けば全員初めてのはずだ。口元が思わず緩む。この声を聞け! この歌を聴け! そしてその幸せを噛み締めろ! 俺はそんな気持ちで、ベースの音を叩きつけた。
観客席に目を向けると、強烈な白色のライトに一瞬視界を奪われた。滲んだ世界がまた輪郭を取り戻したとき、そこには、手を挙げ、体を揺らし、滅茶苦茶なダンスを踊る人で溢れていた。
琴さんを見る。長い髪を振り乱し、汗と一緒に炸裂音を撒き散らしている。京太郎を見る。マイクもないのに、オーディエンスに向かって何かを叫んでいる。玲を見る。視線を集め、光を集め、眩しくて全体像がぼやける。でもその姿は、迷える者を導く救世主のように見えた。
「ハレールルルゥヤー!!」
俺は、マイクのない場所で叫んだ。気が付けば叫んでいた。神に賛辞のひとつも送らないわけにはいかなかった。あぁ、きっと京太郎も、こう叫んでいたに違いない。
最初のサビが終わり、僅かな間奏。その時、玲はようやく後ろを振り返った。メンバー全員に笑いかけると、そのまま後ろへと下がっていく。
ギターソロ。京太郎がディレイとブースターを踏み付けて、ステージの中央へと躍り出た。手作りのステージは客席との距離が近いため、オーディエンスの伸ばした手が京太郎をもみくちゃにしていく。京太郎はそれを振り払うこともせず、一心不乱にソロを弾き切った。そしてまた、大きな歓声が上がる。
京太郎がステージの上手に戻っていくと、入れ替わるようにまた玲が歌い始めた。今この瞬間、この空間の支配者が誰なのか、あまりにも明白だ。二本のギターとベース、ドラム、そして玲の歌。それ以外に入り込む余地があるのは、オーディエンスの歓声だけ。そしてそれは、曲が終わるまで続く、短くも永遠のような夢の時間。
「どうもありがとう」
玲の声で、最初の夢から醒めた。一曲目が終了したのだ。誰もが、夢の続きを見たいと叫んでいた。玲はギターを立てかけて、スタンドからマイクを引き抜いた。
ディレイとワウの組み合わされた、空気感のあるギターの音色が談話室を包む。二曲目は「嘘の味」。
「優しくて苦いから 憎らしくて甘いから
苦しくて辛くって 暖かくて酸っぱいの
忘れられない 君と語らう 星空臨む通学路
忘れさせてよ 君が振る舞う 最高級の嘘の味だけ」
先ほどまでの高いテンションとは異なり、両手でマイクを包み、玲は語りかける様に歌い上げる。青色を中心とした照明でステージは満たされ、ベースのロングトーンとドラムのライドシンバルを叩く音がよく響いていた。
バックのサウンドがシンプルな分、玲の歌声が際立つ曲だ。後ろで弾いている自分でさえ、その歌声に毎回引き込まれずにはいられない。会場はまるでプラネタリウムでも眺めているかのように、穏やかな空気になっていた。所謂チルアウトというやつだ。歓声が上がるわけではない。だからと言って、盛り上がっていないわけではない。誰もが玲の歌声から目が離せないでいた。
曲の後半、強烈なディレイとディストーション、フェイザーを組み合わせたギターソロが展開されると、まさしく宇宙を漂っているような気分になってくる。そんな一種のトリップ状態のまま、二曲目は終了した。
「ありがとうございました」
ディレイの残響が残る中、玲は頭を下げた。すると、蕩けきっていたオーディエンスから拍手が送られた。
再びギターを持ち直した玲は、マイクの前に立ち、深呼吸をした。
「次が最後の曲です。私、自分の歌声に自信が無くて、きっと一人だったら、そのまま誰にも歌を聞いてもらうことなく過ごしていたと思います。だけど、今はこんなにも楽しく歌うことができています」
玲は振り返らない。それでも、その言葉はしっかりと届いていた。
「だから私は、私の歌を、愛したいと思います」
琴さんがカウントを取ると、三曲目「楽園ツアー」のイントロのアルペジオが奏でられた。だが、京太郎の手はまだ動いていない。それなのに、イントロはしっかりと始まっていた。そう、玲がアルペジオを弾いていたのだ。
さっき京太郎と話していたのはこのことか。俺はセッティングの時の様子を思い出した。
俺が惚れ込んだのは、あくまで玲の歌声だ。ギターが上手くなることをそこまで望んではいなかったし、むしろ歌に集中してほしいと思ったこともあった。
でも、玲はギターを弾くことに拘った。それは彼女の意思表示だったのかもしれない。「見つけてくれてありがとう」と、彼女は言っていた。だから、これからは自分で発信するのだと、そう言いたかったのかもしれない。
難易度の高いアルペジオを綺麗に弾き切り、楽園ツアーは始まった。
「さぁさぁ ここはすべてが溶け合う楽園さ
どこへ行こうと自由だけれど 行先に迷うと言うならば
僕が特別に案内しよう その綺麗な心を チケットにおくれ」
ジャズライクなサウンドに合わせて、オーディエンスは再び体を揺らし始める。つい2時間前まで談話室だったその空間は、ダンスフロアへと姿を変えた。
ブレイクを多用する曲のため、俺は琴さんとアイコンタクトを取りながら、肩でリズムを取っていた。このドラムとの掛け合いが、ベーシストとしては最高に楽しい。まさしく、土台を支えている感じがするからだ。
朝の練習の成果だろうか、玲は歌とギターの分離が上手くできていた。ピッキングのリズムに歌が引っ張られることなく、伸び伸びと歌えている。最後に全体練習をした時と比べると、その違いは顕著だった。
京太郎は感心した様な表情を見せながらも、負けてはいられないとばかりに、ギターソロでステージ中央に飛び出してきた。歪みが強くない分、ギタリストの腕前が露見するソロパート。それを見事に弾き切って見せると、オーディエンスから歓声が飛び交った。
曲の後半、転調し、ボーカルのキーが上がると、声の力強さが増していく。それに応える様に、バスドラムとスネアが力強く打ち鳴らされる。
オーディエンスも、ステージにいる全員も、最高潮を迎えていた。そんな中、俺はもうすぐ終わってしまう演奏に、一抹の寂しさを感じていた。
そして、全パートの最後の一音が奏でられる。何度も何度も、「最後の一音」が奏で続けられる。オーディエンスからはスタンディングオベーションが送られていた。
「ありがとうございましたー!」
ギターをジャカジャカと掻き鳴らしながら、玲はそう叫んだ。何時までも鳴りやまない拍手の中、俺たちの初めてのライブは幕を下ろした。




