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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【最終章】ブレイキング・ダウン
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141話 想いは重なる

 さっきの曲の最後、ジャカジャカと掻き鳴らした時だろうか。弦が切れるというアクシデントは別段珍しいことでも何でもない。プロのステージでも頻繁に起こるし、バンドをやったことのある人なら大半が経験しているだろう。


 だが、玲にとっては初めてのこと。ここまでそれが無かったことは幸運と言えるが、この場面でのハプニングはあまりにもタイミングが悪い。


「あ」


 トラブルに気付いた玲の顔に焦りの色が現れる。


「すいません、弦切れちゃいました! えーっとえーっと、替えのやつは……どこだったかな……」


「れれれれ玲ちゃん! だ、大丈夫?」


 だが、本人以上に青い顔をしていたのは京太郎だった。


「いや、お前の方が大丈夫かその焦り様」


 師匠がそんな顔をしていては弟子も余計に混乱するというもの。しかも、どうやら玲はスペアの弦を控室に置いて来てしまったらしく、どんどん焦りの色が濃くなっていく。

 プロのアーティストはこういう時のためにサブのギターを用意していたりするものだが、当然玲はそんなもの持っていない。


「あああ、どうしようどうしよう」


 ステージ上で大いに慌てる玲の姿を見て、フロアからは「ゆっくりでいいよ~」とか「頑張って」等の生暖かい声援が送られてくる。だが、こういう時は何を言われようと、何を言われまいと、時間が経てば経つほど嫌な汗が出てくるものだ。頑張れ、の声は焦りを増幅させることさえままある。焦りを止める術は、その大本を解決する他に無いのだ。


「京太郎、あんたの弦は無いんか?」


 見かねた琴さんが後ろから助言する。その手があったかと間抜け顔で京太郎がスペアの弦をエフェクターボードから取り出そうとしたその時、一つの影がステージ脇から飛び出してきた。


 まさか侵入者!? そう警戒した矢先、その人影は玲に何かを差し出した。


「これを、使ってください!」


「か、川島さん!?」


「さぁ、早く!」


 なんと飛び出してきたのは川島さんだったのだ。ロックバンドのステージに似合わぬスーツ姿のまま、その手に一本のギターを携えて。


「このギターは……」


 玲に差し出された独特の形状の青いギター。一目見て、それがどういう意味を持つ物なのかを理解した。


 そのギターは、MUSIC MAN(ミュージックマン)St.Vincentセイント・ヴィンセントシグネチャーモデル。

 以前玲に尋ねられた時、答えられなかったからよく覚えている。世に出回っている大抵のギターのことは知っている自負があったのに、俺はそのギターのモデル名を答えられなかった。だから、その後にすぐに調べたのだ。


「莉子ちゃん……」


 そう、それは莉子の愛機(ギター)


 マイクを通さない玲の声は、とても小さくて聞こえるはずのないものだった。でも、俺には彼女がそう呟いたことがはっきりと分かった。

 そして玲は自らのレスポールジュニアを降ろすと、川島さんの手から青いギターを受け取り、そしてそれをギュッと抱きしめ、前を向いた。


 莉子がこの場に来ているのだろうか。それはわからない。でも、莉子が俺たちのステージの成功を祈り、川島さんにギターを託してくれたことは紛れもない事実。今は、それだけで十分。十分すぎるくらいだ。


「それじゃ!」


 川島さんは玲からレスポールを受け取ると、右手をしゅたっと上げて超スピードでステージから消えていった。その姿はどこかコミカルで、あの人のあんな姿を見られたのもレアな体験かもしれない。


「今の誰?」


「サブギターきた!」


「あれ、あのギターって……」


 突然の出来事に戸惑う観客たち。だがその中には、玲が手にしたギターが何なのか、気づいた者もいるようだ。


「ごめんなさい。カッコ悪いところを見せてしまって」


 つい先ほどまでこの世の終わりみたいな顔をしていた玲は、もうすっかり冷静さを取り戻していた。それどころか、気力が充実したとても良い表情をしている。


「もう大丈夫。大丈夫です。もう、何も怖いものなんてありません」


 噛み締めるようにそう言うと、玲はこちらへとアイコンタクトを送ってきた。もう、万事大丈夫だと。


 玲は手にしたギターの開放弦をジャランと鳴らした。ジャキッとした硬くブライトな音色を放つ莉子のギター。抜けがありながらやや丸みのあるトーンの玲のレスポールに比べると正反対の音だ。それはまるで、二人の性格がそのまま音として表現されているかのようだった。


 ステージの4人が同じ感想を抱いたのだろう、ふっと笑みがこぼれる。


「えへへ、可愛いギターでしょう?」


 自慢の友人を紹介するような口ぶりで軽やかに、玲は新曲のイントロを奏で始めた。それは合宿で一番初めに出来上がった曲。玲が「シーン・ノスタルジア」と名付けた曲だ。


「この波を覚えている

 いつだって聞こえている


 違うよ 違わないさ

 変わるよ 変わらないさ


 どれだけ時が流れても

 君が待ちくたびれても

 打ち寄せる優しさに

 もう少しだけ触れさせて」


 玲がギター一本で歌い上げる。青いギターの煌びやかな音色が、リバーブを効かせた玲の歌声とよくマッチしていた。


 そして間奏に入るタイミング、わずかなブレイクを挟んで、京太郎と琴さんと俺が激しい音でその世界に入り込んでいく。会場は一瞬のうちに音の波に包まれるが、それも束の間。またすぐに穏やかな演奏へと収束していった。


「この波は終わらない

 いつまでも響いている


 寂しい 寂しくないさ

 苦しい 愛おしいのさ」


 青色と白の照明がステージを照らし、フロアには手のひらの波が揺れている。ここには確かに、あの日の京太郎が思い描いた景色が広がっていた。ぶつかり合いながら、後出ししながら描き出した、老爺(ろうや)の瞳に映る景色。

 玲はその中を導くように、優しく、強く、歌い続ける。寂しくないと、大丈夫だよと伝えるために。


「取り残されたとは思わない

 君が進んだ道のりに

 あと少しで追いつくよ

 見守っていて欲しいから


 どれだけ時が流れても

 君が待ちくたびれても

 いつか歩いた砂浜で

 ただいまと言わせて」


 曲の終わり、ステージは強い光に包まれ、辺りは真っ白になった。きっとこの光の中で、誰もが大切な人のことを思い出したことだろう。

 玲が莉子を想って歌い上げたように。


 曲が終わると、控えめな歓声と盛大な拍手が送られた。そこはライブハウスという閉鎖された空間とは思えないほど、12月らしい澄んだ空気に包まれていた。


「どうもありがとう」


 今日何度目かの台詞を口にして、玲は頭を下げる。とても清々しい笑顔だったが、その瞳は濡れていた。俺はそれを、綺麗だと思った。


 冬の空気に包まれた会場に、バイオリンのようなギターの音が響き渡る。特殊なディレイを使用したこの始まりは、cream eyesがその真ん中に据えると決めた曲、「残光」だ。

 歌いだしの直前、玲は再度、莉子のギターを胸に抱き寄せた。


「霧と腐葉土 赤い木漏れ日の中

 手を繋いで 僕ら辿り着いた


 もうすぐ夜が来るね

 焚火の準備をしなくちゃいけない」


 cream eyesとしての初めてのライブで、最初に演奏したこの曲。マリッカとのツアー二日目、自分たちらしさを見せるために川島さんの指示に逆らってまで演奏した曲。俺たちにとって、特別な意味を持つ曲。


「自由があって 電気も法律もない

 二人だけの ママもいない国


 もうすぐ冬が来るね

 毛糸のマフラー編まなきゃいけない」


 特別な会場で、特別な場面で、玲はたっぷりの蜜をかけるように、甘く優しく歌い上げていく。澄んだ会場の空気が、さらに白く透明になっていくようだった。


 大丈夫だよ。大丈夫。これが、こんな暖かな歌が、届かないはずないじゃないか。

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