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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【最終章】ブレイキング・ダウン
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132話 長い一日のはじまり

 驚くほど穏やかだった。


 ここに来ることを何度夢に見ただろう。どれだけ想い焦がれてきただろう。俺はこれから、間違いなく夢を叶えようとしている。醒めない夢を見ようとしている。

 それなのに、心はどこまでも穏やかだった。


 12月4日、土曜日。昨晩から久々に自宅のアパートに戻っていた俺は、朝の7時に起床してシャワーを浴びていた。規則正しい合宿生活のおかげで、二度寝することなく目覚めもスッキリだ。

 15分ほどで浴室を出てテレビをつけると、放送中の番組は明らかに若者向けではない旅番組や、深夜から続いているであろう通販番組、そして幼児向けのアニメーション。


「土曜日の朝って、こんなに見るもん無かったっけ」


 土曜日のこの時間に起きたのなんていつぶりだろうか。朝の7時台、平日の様に情報番組をやっているチャンネルが少ないことなんてすっかり忘れていた。


「今日は今季一番の冷え込みとなるでしょう。外出の際は真冬の装いで」


 かろうじて天気予報を流しているチャンネルを見つけ、それを見ながらパンを齧る。まだ薄暗い外で謎のキャラクターと一緒に天気を伝えるお姉さんは、一体何時に起きていつ寝ているんだろうか。通勤は車なのか、それとも歩いて行ける距離に住んでいるのか、そんなくだらない考えが頭を巡った。


 ワックスで髪型を整え、前日の夜に琴さんにアドバイスを貰って決めておいた服に袖を通す。しかし、鏡の前に立つと何だか決まっていないような気がしてくる。前日の夜はそんなこと思わなかったのに。果たして、自分のセンスを信じるべきか、琴さんを信じるべきか。

 だが俺は知っている。ここで試行錯誤を始めると、結局何を着れば良いかわからなくなるということを。


 結局、琴さんの助言を信じることにした。ベースを背負い、アンプヘッドを運搬用のキャリーに紐で固定して準備はオーケー。

 扉を開けて家の外に出ると、お天気お姉さんの言っていた通りの寒さが頬を刺す。今季一番と言うのも納得だ。

 集合場所へ向かう道沿いで、まだ開いていないラーメン屋のガラス扉に写った自分の姿は、家で見るよりもずっとイケているように見えた。なんだ、けっこう格好いいじゃないか。やっぱり琴さんを信じて良かった。


 冬はつとめて、と昔の人は歌っていたが、今ならその気持ちがわかる気がした。いつもに比べて人の少ない土曜日の朝は、何だか新しい世界へ行けそうな予感に溢れている。


「あ、さっくん来たよ」


 集合場所で車の窓から顔を出したみはるんが、助手席に座る京太郎を揺さぶる。どうやら寝ているらしい。こいつには本当、みはるんがいてくれて良かったと思う。もしひとりだったら、今日だって遅刻してきた可能性は高かっただろう。


「朝早くから悪いね、みはるん」


「いいって。好きでやってるところあるし。それより早く荷物載せて中入んなよ。寒いんだから」


 車の荷室の扉を開けてアンプヘッドとベースを収納し、スライド式の扉を開けて後部座席へと乗り込む。車内は暖房が効いていて、京太郎好みのUKロックが流れていた。助手席に座った当の本人はまだ眠り続けているが。


「おはようさん」


 そこには既に琴さんが座っていた。丈の長いチェスターコートと黒いブーツが大人っぽくてよく似合っている。


「早いっすね。俺もけっこう余裕持って出てきたと思ったんですけど」


「早く目が覚めてもうたから。二度寝する気分でもなかったし」


「琴さんでも緊張とかするんですね」


「ウチをなんやと思うてるん」


 そう言って笑った琴さんは、大人っぽいコートを羽織っているにもかかわらず、何だかいつもより少し幼く見えた気がした。きっと琴さんは緊張しているというより、今日が楽しみで早く目が覚めたんだろう。遠足の日を心待ちにしていた小学生の様に。


「あとは玲だけですね」


「それにしても、集合場所をわざわざ()()に指定するなんて、玲ちゃんらしいわ」


「家まで迎えに行っても良かったんですけどね」


 ここまでは一人暮らしの俺たちは歩いてすぐに来ることができるが、実家暮らしの玲は電車を乗り継いで来なければならない。しかも今日のライブ会場のZIPPER Tokyoがあるお台場に行くには、本来経由しなくてもいい場所だ。それにも関わらず、玲はこの大学の正門前を集合場所に選んだ。


「あ、玲ちゃん来たよ~」


 みはるんがフロントガラス越しに手を振ると、大きく左手を振り返す玲の姿が見えた。黒色のギグバッグを背負い、右手にはアルミ製のエフェクターケースを持って。


「ん?」


 見慣れたはずのその姿に違和感を覚えたのは、ギターケースに括りつけられた大きな茶色い物体のせいだろう。


「おはようございます! みなさん早いですね」


「おはよう玲。で、それは?」


「これですか? えへへ、お守りと言うか何と言うか、とにかくそんなやつです。この子がいれば、莉子ちゃんが見てくれているような気がするので」


 そう、玲のギターケースに括りつけられていたものとは、莉子が玲の誕生日にプレゼントしたクマのぬいぐるみだったのだ。


「その状態で電車乗ってきたの?」


「はい。空いてたので全然平気でした」


「いや、そういう問題じゃなくて……」


 大きなクマのぬいぐるみのついたギターケースなんて、あまりにもメルヘンがすぎる。見る人によってはメンヘラちゃんに見えるかもしれない。

 と言うか、単純に恥ずかしくないのだろうか。


「磔刑に処されたキリストみたいになっとるやん」


 琴さんが無慈悲なツッコミを入れた。確かに、ギターケースのネック部分に紐でグルグルと巻き付けられているため、十字架に磔にされた神の子に見えないこともない。


「そんな過酷な運命は背負っていません!」


「それやるなら3日前にやっとかな」


「復活しません! そもそも死んでません!」


 玲はギターを荷室にしまって、頬を膨らませながら俺と琴さんのいる後部座席へと乗り込んできた。それを見て琴さんはまた笑い、玲もすぐに笑顔に戻った。


「ここから車に乗っていくと、何だか夏合宿の時を思い出します」


「あれからまだ3ヶ月も経ってないのにな。随分昔のように感じるよ」


「せやなぁ。あの頃はまさか年末にZIPPERでワンマンをやるとは思うてなかったわ」


「マジそれですね。めっちゃ急展開」


「あはは。私からすればもっと急展開ですよ。バンドを始めたの今年の4月からなんですから」


「そりゃそうだ」


 玲と出会った頃、俺は自分がこのまま何者にもなれず、いつか夢を諦めていくのだろうとぼんやり感じていた。それを認めたくないと思いつつも、それを打開する手段が見つけられず、ガムシャラに突き進むこともできない中途半端で宙ぶらりんな、世間一般のイメージにぴたりと合致するTHE・大学生だったように思う。


「それじゃあ行くよ~。まずは下北沢で良いんだっけ?」


「うん、安全運転でよろしく」


 だが、今はこうして夢に向かって真っすぐに進んでいる。確かな予感を与えてくれた玲も、同じ夢に向かって歩いてくれると言ってくれた琴さんと京太郎も、それを支えてくれたみはるんも、俺たちに関わってくれた誰が欠けてもここには来られなかったと思う。

 そして何より、ずっと音楽を好きでいられた自分を誉めてやろう。


 もう、迷いも憂いも無い。


「しゅっぱーつ!」


 ブオンとエンジン音を鳴らしながら、みはるんの車は軽くウィリーして道路へと飛び出していく。みはるんの運転は結局ツアーの間も改善されることはなく、ガッタンガッタン揺れに揺れる。

 さっき迷いも憂いも無いと言ったな。あれは嘘だ。ライブの時に車酔いで最悪のコンディションにならない様に、俺は急いで目を閉じた。


「ぐぉおおおおお」


 だが、京太郎のいびきが五月蠅くて眠れない。締まらないなと、思わず笑いがこぼれた。

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