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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第九章】ヤング・デイズ
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115話 イカロスの翼

「君たちに足りないのはね、『悲しみ』だよ」


 ステージを降りようとした時、土田さんの言葉が脳裏をよぎる。


 今日のライブ、ステージに上がると大きな歓声が俺たちを迎えてくれた。玲の名前を覚えて呼んでくれる人がいた。これまで6回のオープニングアクトを経て、確実に自分たちの存在が受け入れられて来ていることを実感する。

 観客の反応も上々で、長野のライブの時のようにフロアが冷え切ってしまうことも無かった。物販コーナーに足を運ぶ人の姿も見える。今日もたくさんの人にCDを手に取ってもらえそうだ。


 これらは全て喜ばしいことで、悲しみとは無縁のこと。バンドは順調に前に進んでいるように思える。


 だけど土田さん曰く、悲しみは無ければならないものらしい。


 その言葉を自分なりに考えてみた。例えば、俺たちはまだ決定的な挫折を知らない。それを乗り越えた経験が無いから、まだ未熟なのだ。とか。

 でも、土田さんは悲しみが足りないという発言を、「言葉の通りだ」とも言っていた。それなら、わざわざ挫折云々を遠回しな表現では伝えないはずだ。


 悲しみ。悲しみって何だ?


「何ボーっとしてんのよ」


 ステージ袖で突っ立っていた俺に、莉子が声をかけてきた。


「ちょっと考え事を」


「あんたの無い頭で考え事なんて無駄。早く片付けて帰る準備でもしなさいよ」


 莉子は俺に対していつも攻撃的ではあるが、今まで意味のないところで突っかかってきたりはしなかった。普段だったら、俺の事なんかスルーする場面のはずだ。


「……なぁ、何をそんなに苛立ってるんだ?」


「はぁ? あんたみたいな間抜け面がボーっと突っ立ってたら誰だってイラつくに決まってるでしょ!?」


「おい莉子! 声が大きいぞ! 客席に聞こえたらどうするんだ!」


 声を張り上げた莉子のことを、マシューが珍しく余裕の無い顔で抑え込んだ。


「わかったわよ。わかったから、もう離して。痛い」


「まったく……すまない、朔くん。莉子のことはそっとしておいてくれるかい」


「……はい」


 その様子を見ていた玲が心配そうに駆け寄って来る。だが、そんな玲を莉子は睨みつけて追い返した。


「莉子ちゃん……」


「やっぱり莉子のやつ、様子がおかしいよな」


 俺たちが眉を(ひそ)めながら控室に戻ると、琴さんがソファに座るように手で促してきた。


「どうしたんですか」


「実はさっき、莉子ちゃんと控室で少し話したんやけど」


「あぁ、莉子は琴さんのファンですもんね。何か聞けましたか?」


「いや、詳しいことは何もや。体調どんな具合や聞いても、『ちょっと休んだら平気』しか言わんし。でも、何やえらい余裕が無いみたいな感じやったわ」


「余裕が無い?」


「余裕が無いと言うか、焦ってる言うか。で、そんなんまっさんが気付いてへんわけないやろから、次にまっさんに聞いてみたんよ。ほんだら、体調悪いんは今日が初めてやないみたいなんや」


「ずっと体調悪かったってことですか?」


「いつからかはまっさんもわからん言うてたわ。でも、足がもつれたり体を重そうにしとることは何度かあったんやて。病院に連れてったこともあるらしいんやけど、その時の診断は異常なし。本人も疲れてるだけ言うてたらしいし、今日みたいにあからさまに態度に出すことも無かったから、あんま気にしとらんかったみたいやけど」


 琴さんの話を聞いて、俺の中で何かが引っ掛かった。何か忘れているような、そんな気がしたのだ。


「それ、大丈夫なんですかね」


「とりあえず、明日のライブ前にもう一回病院行かせる言うてたわ。午前中の仕事はキャンセルしたんやって」


「莉子ちゃん、大丈夫でしょうか……」


 そんな俺たちの心配をよそに、フロアからの大歓声が控室にまで響いてきた。ステージを映すモニターを見ると、マリッカのメンバーがステージに登場していた。


「俺、ちょっと舞台袖で見てきます」


「わ、私も!」


 ステージに向かう通路に、一曲目のイントロが聴こえてくる。フロアの盛り上がりは最高潮で、俺たちが走る足音など簡単に掻き消されてしまった。


「No way out, ここにはもう I cannot be here.

 誰が何を言っても Pretend not to hear.

 それさえ億劫だわ」


 その曲は、俺がサラダボウルの夏合宿で演奏した曲だった。その時ボーカルを務めた真菜(まな)ちゃんには申し訳ないが、やはり本物は格が違う。どんなに悪態をつかれても俺が莉子を拒絶できないのは、やはりこの歌声が素晴らしいと、心から認めているからなのかもしれない。


 リハの時も思ったが、莉子の喉の調子は悪くないように思える。むしろ、今まで以上に感情が乗っているようにさえ感じられた。


「大丈夫そうだな」


「そう……ですね」


 マシューと牡丹が煽り、観客がそれに応える。そしてそれをねじ伏せるように、莉子がよりエモーショナルに歌い上げていた。


「みんなありがとう! まだまだこれからだよ!」


 先ほどまでの機嫌の悪さはどこへ行ったのか、莉子はいつも以上にキラキラとした笑顔で観客に声を掛けていた。本当、普段からああやって人と接していればいいのにと思う。


「莉子ちゃん、すごく安心してるように見えます」


「安心?」


「ホッとしてるって言うか、上手く言えないんですけど」


「まぁ体調悪かったのは事実だろうし、自分が思ってたよりちゃんと歌えたからほっとしてるんじゃないかな」


 莉子はその後も、体調の悪さなど微塵も感じさせないパワフルなステージを見せつけていた。何だか、心配した自分が馬鹿らしくなってくるほどだ。


「どうする? 控室戻る?」


「いえ、もう少しここで見ていきます」


「そっか。それじゃあ俺もそうしようかな」


 ずっと心配そうに見守っていた玲も、どうやら少し安堵したらしい。表情が緩んでいる。莉子もこの調子なら問題なさそうだ。




 そう思っていた5曲目の途中。





 その時は突然やってきた。





「……ッ……ッ!」





 莉子の歌が突然途切れたのだ。


 歌詞が飛んだのか? いや、それにしては様子がおかしい。


 マリッカの3人も異変に気付いた。


 演奏を止めるかどうか、躊躇(ためら)っているようだ。


 フロアの観客にも動揺が伝播していくのがわかる。


 莉子は、()()()()()()ように見えたのだ。


「莉子ちゃん!」


 ステージに飛び出していこうとした玲を、俺は咄嗟に腕を掴んで引き止めた。


「ちょっと待て! 玲!」


「でも莉子ちゃんが! 莉子ちゃんが!」


「待てって!」


 遂に演奏が止まり、メンバーの3人が莉子に駆け寄っていく。莉子はその場にへたり込んでしまった。


「朔さん! 莉子ちゃんが!」


「落ち着けって! 俺たちが今行ってどうすんだ!」


「でも……でも!」


 何が起きたのかわからない。玲を引き止めることが正しいのかもわからない。


 フロアから莉子を呼ぶ悲鳴のような声が聞こえてくる。当然観客たちも何が起こったのかわからず、うずくまり苦しそうに涙を流す莉子を見て、パニックを起こしていた。

 すると俺たちの横をすり抜けて、川島さんがステージへと駆け上がっていった。そしてマリッカのメンバーと少しだけ言葉を交わした後、放心状態の莉子を背負う様にして、メンバーと一緒にステージを降りてきた。


「後はお願いします」


「は、はい」


 川島さんは莉子をマシューに預けると、再びステージへと上がっていく。琴さんと京太郎の二人も、様子を見に控室の外に出てきていた。

 ステージに残されたマイクの前で深々と頭を下げた後、川島さんは観客に向かって話し始めた。


「誠に申し訳ありません。本日のライブは、ボーカルの大西 莉子の体調不良により、ただいまを以って中止とさせていただきます。チケットの払い戻し等につきましては、後日ホームページやSNS上で発表させていただきます。本日はせっかく足を運んでいただいたのに、申し訳ございませんでした」


 そして、また深々と頭を下げた。


 フロアの動揺は収まるはずもなく、莉子を心配する声が多数飛び交った。川島さんを罵倒するような言葉さえ聞こえてくる。だが、誰もそれに答えることはできなかった。


 莉子は何も言えないまま、ただ涙を流しながら、マシューに引き摺られるように控室へと戻って行く。


 俺たちは、それをただ眺めることしかできなかった。


 そしてその翌日、マリッカのツアー中止が発表された。

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