95話 前菜と主菜
午後5時45分。開場まであと15分。
「めっちゃ並んでるっすよ~。こりゃ余裕で満員っすね」
控室から出ることのできない俺たちに代わり、日下部さんが外の状況を教えてくれた。マリッカのライブツアーにオープニングアクトとして俺たちが出演することが発表されたのは3日前。その時点でとうにチケットはソールドアウトしていたと言っていたから、俺たちを目当てに見に来るお客さんは疑う余地なく0人だ。
「今日の目標は?」
「無事にライブを終えること」
「志の低い男やなぁ」
「えー、大事なことだと思いますけど」
「上手に歌うことです」
「小学生かよ!」
クスクスと声を抑えて笑う。まだお客さんは入ってきていないし、そもそも防音のしっかりしている部屋だから声量を抑える必要はないのだが。
「聞き方を変えよう」
イスを5つ突き合わせて、円陣を組むように下を向いた。
「今日やりたいことは?」
にやりと笑い、ひとりひとり大切そうに言葉を紡いでいく。
「世界一かっこいいギターソロを弾く」
「瞬きせずに見届ける」
「チャドを超えたる」
「観客にベースを始めさせる」
「私は……」
全員の視線が注がれる中、拳を握って立ち上がった。
「全員倒す!!」
一瞬の間が空いて、部屋の中に大きな笑い声が溢れ出す。
「だっははははは! またそれ?」
「何でそんな喧嘩腰なん?」
「マジウケるんだけどー」
「あははは! でも、それでこそって感じするわ」
玲は満足そうに、少し照れ臭そうに笑っていた。俺はそれを見て、良い顔だと思った。
18時。ライブハウスが開場し、お客さんがフロアに入ってくる。さっきまでシンとしていた空間が、部屋の壁越しにもわかるほど、あっという間に人の熱で満たされていくのを感じた。
「それじゃあ、私は向こうで見てるから。みんな頑張ってね」
「あぁ、本当に色々ありがとうね。ここまで来れたのはみはるんのおかげだよ」
「もう、京くん何言ってんの! そんなセリフはまだ早いでしょ」
「ホンマやで。何ここでゴールしようとしとんねん」
「それもそうか。訂正訂正。えー、オホン。みはるん、今までありがとう。これからもっともっと色んな所へ行くから、ずっと見守っててくれよな。これで良い?」
「京くん……」
「はい、そこまでー。終了ー。続きは二人だけの時にやってくださいねー。ってゆーかクッサ!」
「えー、何よケチ―」
「ケチとかじゃないから」
いつものアレを見せつけられそうになったので、俺はそれを全力で阻止した。ライブ前に甘ったるい気分に浸られても困るのだ。それを見ていた玲は、さっきからずっと笑っている。
「やっぱり、私はこの感じが好きです」
その何気ない言葉が、俺の心を最高潮に昂らせた。なんだかんだ言って、俺たちは俺たちのまま、こんなところまで来ることができたのだ。それが嬉しい。それが誇らしい。
そして、これから先も。
「あれ、やりますか」
俺がそう言って右手を差し出すと、すぐに皆が手を重ねてくれた。
「それじゃ、京太郎よろしく」
「いや、何で俺だよ!」
「お約束やし」
「師匠、お願いします!」
「……ったく、しょうがないな」
そう言いながらも、京太郎は待ってましたと言わんばかりのドヤ顔だった。
「いくぞー」
予想通りと言うべきか、期待通りと言うべきか。京太郎から聞き取れないほどのウィスパーボイスが放たれた。
「声ちっさ!」
もはや不要とも思えるツッコミが決まり、またしても部屋は爆笑の渦に飲み込まれる。
「何か楽しそーっすね。そろそろ出番っすけど、オンタイムでいけるっすか?」
18時27分。日下部さんが再び部屋を訪れた。間もなくオープニングアクト、と言えば何かかっこいい気がするが、要するに前座である俺たちの出番だ。
「任せてください」
「さっきより良い感じの顔になってるっすね。クリームが売れてくれないと自分も困るっすから、一発かましたって欲しいっす」
「そちらさんの事情は知らんけど、一発と言わずガツンとやったるわ」
「とりあえずはそれでいいっす。それじゃ2分後にSE流してもらいますんで、よろしく頼むっすよー!」
日下部さんが部屋を出ていき、俺たちは裏導線を通ってステージ袖へと移動した。ちらりと見えたフロアには、本当に満員のお客さんが詰めかけていた。
そしてフロアが暗転。流れていたBGMも停止した。フロアに飛び交う指笛やら黄色い声やらが聞こえてくる。それと同時に、高まる心臓の鼓動まで聞こえてくるようだった。お目当てが俺たちじゃないことがわかっていても、やはりその光景には胸が躍る。
その直後、姫子作曲の入場SEが大音量で流れ始めた。フロアからの歓声が勢いを増す。
まだライトの当たらない暗いステージに、まずは京太郎、次に琴さん、そして俺の順で上がっていく。客席はざわついていた。どこからともなく「誰?」という声が聞こえてくる。俺たちがオープニングアクトを務めるという事前の告知を見ていない人も多いのだろう。
玲がステージに上がってギターを構えたところで、SEが止まりスポットライトが当てられた。観客の反応は歓声半分、戸惑いの声半分と言ったところか。
それでも、500人を超える観客で満員のフロアは絶景と言う他なかった。男女の比率はざっと見た感じ女性7、男性3。同性の支持を得ているというのは、女性ボーカルのバンドとしてはとても強みになっているんだろう。
「こんばんは。crean eyesです。マリッカの大事なツアー初日、皆の準備ができるまで私たちの音楽を楽しんでください」
玲はいつもより丁寧な挨拶をした後、こちらを振り返った。いつでもいけますと顔に書いてある。自信と緊張の混ざった表情だ。
俺たちに与えられた持ち時間は15分しかない。いつもの半分しか無い上に、スローな曲は無しでと注文を受けている。あくまで今日のメインはマリッカで、俺たちは前座なのだ。
だけど
「前菜が主菜より旨くちゃいけないなんて、そんな決まりは無い!」
言葉には出さずとも、皆同じ気持ちだった。俺たちは引き立て役になりに来たわけじゃない。自分たちのライブをいつも通り全力でやる。そして、マリッカの観客たちを掻っ攫う。そのために今ここにいるんだ。
琴さんがカウントを4つ取り、一曲目の「Hello, Mr.Postman」がスタートした。イントロのリズムに合わせて照明が細かく切り替わる。普段のブッキングライブとは違い、一曲一曲の演出がしっかりと打ち合わされている結果だ。
「三角形の湖で 今日も誰かが泣いている
僕には関係ないけれど 悲しいような気がしてる
どこへ行っても同じさ だからどこかへ行こうよ
Hello, Mr.Postman. その綺麗な絵葉書の宛先はどこ?
坂を登ってまた降りて 淡いグリーンの家を背に
もうここへは戻らないよ ブレーキが壊れたんだ
どこへ行こうと自由さ だからどこかへ行こうよ
Hello, Mr.Postman. いつか手紙を書いたなら迎えに来てね」
玲の歌は絶好調だった。モニタースピーカーから聞こえる声に身震いするほど。京太郎のギターも、琴さんの生むグルーヴも、俺のベースも過去最高と言える完成度だ。
最初は微妙な顔をしていた観客も、アップテンポなロック曲にすこぶる良い反応を示してくれた。客席のノリが良いから、こちらの気分もどんどん上がってくる。
「このツアーに誘ってくれたマリッカに感謝します。そして、今この場にいるすべての人にも」
玲の短いMCの後、続けざまに「グラジオラス」と「Beautiful」の二曲を披露。そこでも俺たちの演奏は完璧だった。観客が飛び跳ねながら曲にノッていて、直前に感じた怖さを払拭するような、最高と言って差し支えないライブができた。
「ありがとうございました! 最後まで楽しんでいってください!」
メンバーの顔を見渡すと、全員が会心の出来と言わんばかりだった。これならマリッカにだって負けない、そう思うには十分な手ごたえを感じていた。
楽器を置いてステージを降りるとき、またどこからともなく声が聞こえてくる。
「今のバンドけっこう良かったね」
「あぁ、CD売ってるみたいだから後で見てみよう」
思わず笑みがこぼれる。ステージに戻って、自分の口でありがとうと叫びたくなる。そんな気持ちを俺は必死で抑えた。
控室に向かう途中の廊下で、マシューと牡丹が出迎えてくれた。
「お疲れ様。いやー、素晴らしいライブだったよ。君たちを呼んで本当に良かった!」
「こちらこそ、今日は呼んでくれてありがとうございました!」
玲は満面の笑顔で、マシューの握手をすんなりと受け入れた。
「お疲れー。前に一緒にやった時より全然良くなってたね。ちょっとビックリしちゃった」
ふたりの言葉が社交辞令でないことはすぐに分かった。実力のあるバンドから認められると言うのは、存外気分が良いものだ。
「牡丹もありがとう。客席は十分暖まったはずだよ」
「暖まりすぎて、燃え尽きた人がおるかもしれんな」
「あはは、それは頼もしいね」
メインを食ってやった。それくらいの充実度を感じるライブだった。だけど罪悪感は微塵もない。マリッカだって、最初からそれを覚悟して俺たちを呼んだはずだからだ。
「逆にやりづらくなってたら申し訳ないっすね」
京太郎が少し挑発気味にそう言うと、マシューはきょとんとした表情を見せた。ただそれは一瞬で、すぐにいつもの余裕のある笑顔に戻って言った。
「その心配はいらないよ」
マリッカだって自信があるのは当たり前だ。俺たちのライブを見て、きっと対抗心を燃やしているんだろう。ここで怯むようなバンドなら、そもそもここまでたどり着けるはずもない。
「それじゃあ、僕たちは最後の準備があるから一度戻るよ。そうだ、良かったら君たちもステージ袖で見ててくれないか。観客の反応がきっと間近に感じられるはずだよ」
本当にすごい自信だ。俺たちのライブと観客の反応を見ても、それでも負けるとは微塵も思っていないことがわかる。
だけど、俺たちだって最高のライブをしたのだ。その余裕に僅かでも綻びを生じさせることができたなら、それは目的の場所へ近づいたと言えるだろう。
「楽しみにしてます」
俺がそう答えた20分後。
マリッカは異次元のような完成度のライブで、俺たちに格の違いを見せつけた。




