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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第八章】プット・ア・スペル・オン・ミー
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93話 汝、浮かれるべからず

 マリッカとの全国ツアー初日、ホテルの清潔なシーツの上で俺は目を覚ました。何だか大学受験の時を思い出す。その時と違うのは、隣のベッドにでかい男が眠っているということか。

 眠気まなこのまま部屋のカーテンを開けると、眼下には今日の会場となる金沢NINE HOUSEが見えた。道路を挟んで斜向かいという立地は移動が楽でありがたい。

 顔を洗いながら、俺は昨晩の川島さんとの会話を思い出していた。


「こんだけ会場に近いとファンの人たちも泊まってるんじゃないですか? 鉢合わせたら色々と面倒なような……」


「その心配はありません」


「何でですか?」


「ファンが泊まっていたとしても、それはマリッカのファンですから」


 それはつまり、俺たちなどまだ一般的には認識されていないと言いたいのだろう。事実ではあるが、面と向かって言われると何だか少し腹が立つ。俺はともかく、玲はあの一件でそこそこ顔が知られていると思うのだが。


「プルルルルッ、プルルルルッ」


 突然鳴り出した電話の受話器を取ると、元気な声が聞こえてきた。


「おはようございます! 朔さんですか? 朝食バイキングに行きましょう!」


 有無を言わさぬその言葉に、どうでもいいことで腹を立てていた自分が馬鹿らしくなってくる。考えてみれば、このホテルだって川島さんたちが手配してくれたのだ。感謝はすれど、腹を立てるなんて筋違いも甚だしい。

 それに腹が減っては何とやら、だ。


「おい、起きろー」


「う……ん、あと5分……」


「テンプレなこと言ってんな。ほれ、早く起きないと琴さんに踏み潰されるぞ」


「それだけは勘弁!」


 被っていた布団を蹴飛ばして、京太郎は飛び起きた。ボサボサの寝癖で頭の大きさが倍くらいになっている。


「って、まだ全然時間余裕あるじゃん。もうちょい寝かせてくれよなー」


「そう言って二度寝するから遅刻すんだよ。ほら、朝飯食いに行くから準備しろい」


「へーい」


 一階に降りてフロント横のコーヒーショップに入ると、既にパンやらサンドイッチやらをテーブルに並べた女性陣が待っていた。


「あ、師匠も起きたんですね。合宿の時みたいに朝ごはんは抜くのかと思ってました」


「嘘! 京くんが午前一桁台に起きるなんて奇跡じゃん!」


「普段そのレベルなのか……」


「ツアーの初日だし。たまには早起きも悪くないもんだね」


「今日は遅刻の心配は無さそうやな。何や張り合いの無い」


「琴さん、どこ見てんすか」


「別に?」


「なになに? 何の話?」


「あー……みはるんは知らない方が良いかな」


 この前の遅刻の時に、京太郎の京太郎が琴さんによって蹂躙されたなんて聞いたら、みはるんが何をするかわからない。ここは黙っておくのが吉だろう。


「今日の予定はどうなってんだっけ? 飯食ったらライブハウス直行?」


「お前打ち合わせにほとんど参加できてなかったんだから、もらった資料ぐらい読んどけよ」


「えっと、今日は13時にライブハウス入りですね。私たちのリハは開場前の16時からの予定です」


「けっこう時間空くんだな」


「ねぇねぇ、せっかく金沢まで来たんだし、空いた時間に観光とかできないの? あれ近いんでしょ? 有名なあれ。何だっけ、永谷園だっけ」


「どうやろなぁ。あんまし勝手には動かん方がええと思うけど。後で日下部(くさかべ)さんに聞いてみよか。あと、兼六園な」


 朝食を食べ終えたところで、俺は川島さんに教えてもらった日下部さんの連絡先にメッセージを送ってみた。13時の入り時間までは自由行動で良いでしょうか、と。すると、メッセージの代わりに「オッケーです」と書かれたイラスト入りのスタンプが返ってきた。


「とりあえず13時までは自由にしてていいって」


「なんや、えらいフレンドリーな返信やな」


「その方が気が楽で良くないっすか?」


「しっかり仕事してくれるんなら何でもええけど」


 こうして俺たちは自由時間を確保した。一番張り切っていたのはみはるんだった。


「それじゃあナントカ園行きますか! みんな車に乗ってー」


「いや、こっからなら歩いても20分もかからないみたいだから、歩いて行こう」


「は? 何で?」


「何でって……なぁ?」


 俺が話を振ったにもかかわらず、玲は全力で目を逸らしていた。この野郎。


「まぁ今日は天気も良いし、駐車場混んでたりするかもしれないじゃん?」


「京くんがそう言うなら……」


「あ、あの!」


 目を逸らしていたのは俺を無視していたからではなかったらしい。玲は申し訳なさそうに切り出した。


「あの、やっぱり練習しませんか? ツアーの初日ですし、私たちまだまだマリッカに比べて駄目なとこありますし……最後までできることをやり切ってライブしたいです」


 その目はいつも以上に真剣だ。玲の中にだって浮かれた気持ちはあるはずだが、それを抑え込もうとしているのが伝わってきた。


「……11月の兼六園は紅葉がえらい綺麗やー言うけどなぁ」


「う……」


「兼六園の近くには美味しい海鮮丼屋があるって。のどぐろ入りのやつ」


「うぅ……! それでも! 練習したいです! ……海鮮丼……」


「ちょっと揺らいでない?」


「ゆ、揺らいでないです!」


 つい意地悪を言ってしまったが、きっと玲が正しい。


「ごめんごめん。確かに玲の言うとおりだよ。俺たちは遊びに来たわけじゃないもんな。よし、そうと決まれば予約できるスタジオ探さなきゃ」


「ありがとうございます!」


 スマホで検索すると、ホテルからほど近い場所にスタジオがあることがわかった。空き状況を尋ねたところ、ほとんどの部屋が空いているらしい。さすが平日の日中といったところか。


 みはるんは少しだけ残念そうにしていたが、俺たちの決断に不満を漏らすことは無かった。何だかんだ言ってバンドのことを考えてくれているのはありがたい。


「海鮮丼……」


 観光を取りやめた張本人が一番残念そうにしていたことには触れないでおこう。


「おはようございます。いよいよ今日からですね」


 スタジオで2時間の仕上げ練習を行い、万全の状態で会場入りした俺たちを川島さんは笑顔で迎えてくれた。


「業界の人は昼も夜も『おはようございます』なんだって噂、本当だったんだ」


「どうかしましたか?」


「いえ、何でも」


「そうだ、皆さんのお手伝いをしてもらう日下部を改めてご紹介しますね。日下部さーん、こっち来てもらえますかー?」


 川島さんがホールの奥に向かって呼びかけると、俺と同じくらいの背丈の茶髪の男性がこちらに向かって歩いてきた。背丈だけじゃなく年齢も同じくらいなんじゃないかと思うくらい、随分と若そうに見える。


「初めましてっす。日下部っす」


「ど、どうも。cream eyesの一ノ瀬です。よろしくお願いします」


「自分一人でバンドを担当させてもらうの初めてなんすけど、マジ頑張りますんで」


「あ、はい。よろしくお願いします……」


 何だろうこの感じ。川島さんとあまりにもタイプが違う。これから色々とお世話になる人だし、人選に文句を言える立場ではないのは分かっているが、その言葉の軽さには幾ばくかの不安を覚えた。


「日下部さんは年も近いですから、何でも気軽に相談してくださいね。ちょっとチャラい部分(とこ)ありますけど」


「あ、川島さんひでーっすよぉ。自分マジで本気っすから。クリーム・アイスをこのツアーでスターにのし上げてみせますんで、見てて欲しいっす」


「はいはい。期待していますよ」


 第一印象で苦手なタイプだと思ってしまったが、頑張ってくれると言うのだからそれを信じてみよう。バンド名間違えてるけど。


「そんじゃ、クリーム・アイスさんを案内させてもらうっすね。よろしくっす」


 日下部さんに案内された楽屋は、SHAKERの倍はある広々とした空間だった。しかもバンド毎に一部屋与えられている。


「お~、さすがキャパ500人の会場!」


「とりあえずここで待ってて欲しいっす。置いてあるお茶は好きに飲んでいいっすから。俺の奢りっす。へへ。時間になったら呼びに来るっすね」


「あの、マリッカはまだ来てないんですか?」


「多分もうすぐ来ると思うっすよ~」


 日下部さんは慌ただしく楽屋を出ていった。


「ふぅ、あの人大丈夫かなぁ」


「ってゆーか言葉遣いありえなくない? あの人社会人でしょ?」


 京太郎とみはるんが訝しげな顔をしていた。さっきは気楽な方がいいとか言っていたのに。


「でもまぁ、悪い人ではなさそうだし」


「うーん、そうだと良いんだけど」


「せや、玲ちゃんはどう思ったん?」


「え、私ですか?」


「あ、俺もそれ聞こうと思ってた」


 玲には人を見る目があると思う。エディもシンタローさんも、癖のある人の本質を初対面で見抜いていた。そんな玲が日下部さんをどう評価するのか、参考にしたかったのだ。


「えっと、まだよくわかんないですね」


「玲の人相学でもわからないとは……」


「私そんな学履修してないです!」


 果たして日下部さんは善人か悪人か。俺たちがそんな談義をする中、楽屋の外側が何やら騒がしくなってきた。


「クリームの皆さーん、マリッカ来たっすよ~。とりあえず挨拶しとくっすか?」


 扉からひょっこりと顔を出す日下部さん。どうやらラジオ収録を終えてライブハウスに到着したらしい。


「あ、はい! すぐ行きます!」


 俺たちがホールに戻ると、そこにはマリッカの4人がいた。当たり前のことだが、マリッカの4人だ。だが、この前会った時とは明らかに空気が違う。近寄りがたいほどの緊張感が漂っていた。

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