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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル  作者: 志登 はじめ
【第八章】プット・ア・スペル・オン・ミー
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91話 Be a good guy , good driver

 椎名 京太郎は良いやつだ。


 人を思いやる心を持ち、目標に向かって努力することができる。俺自身、京太郎の存在に救われたことが何度もあるし、同じバンドの仲間として信頼もしている。


 だが、俺はこの日再確認した。良い奴であるということと、クズであるということは矛盾しないということを。


「こひゅー、こひゅーっ」


 琴さんからの強烈な急所蹴りを食らったそのクズは、床に転がり変な呼吸音を発していた。よく見ると白目を剥いているし痙攣もしている。それにちょっと泡も吹いてるようにも見えた。あれ、このまま京太郎死ぬんじゃないか?


「琴ちゃん、それ以上はちょっとやり過ぎだよ」


 追撃を仕掛けそうな勢いの琴さんを、マシューが羽交い絞めにして制す。さすがに同じ男として見かねたのだろう。


 琴さんは落ち着きを取り戻すと、振り返って頭を下げた。


「この阿呆がご迷惑をおかけしまして、ホンマにすいませんでした」


「ふう、別に少しくらいの遅刻で僕たちはそんなに怒ったりしないよ。ねぇ、莉子」


 マシューの言葉に反応せず、莉子は何故かうっとりした瞳で琴さんを見つめていた。


「……莉子?」


「え、私? えぇ、まぁ。別に……」


 莉子は他にも何やらぶつぶつと呟いていたが、聞き取ることはできなかった。


「あははは、遅刻はアタシもたまにしちゃう時あるし。そんな姿見せられたら怒る気も失せるよ。ダンボさんも、これで手打ちでいいよね?」


 牡丹が未だ一言も発していないダンボに話を振る。その第一声がどんなものなのか、俺は耳を尖らせた。


「オレも遅刻すれば良かったかな」


 ……聞き間違えか? ダンボが何やらおかしなことを口走った気がしたが。


「うわ、ダンボさん筋金入りだね~。さすがのアタシもちょっと引くよ」


 ダンボは立ち上がると、琴さんの前に歩み寄り、右手で握手を求めた。それはそれは爽やかな、晴れ渡る春の空のように曇りの無い笑顔で。


「So cool……超エキサイティングなファールキックだったよ。今度オレにも何か、お願いします」


「はい?」


「ちょっとダンボさん! 自重して!」


 マシューが慌ててダンボを琴さんから遠ざけた。琴さんがドン引いている顔を初めて見たかも知れない。


 どうやら、俺が見たものも聞いたものも勘違いではなかったらしい。このレジェンドドラマー、間違いなくドMだ。それも混じりっ気なし、純度100パーセントの本物である。


「えっと……話を続けてもいいかしら」


 川島さんの笑顔は引きつり、口元はひくついていた。


「本当にすいません。よろしくお願いします」


 俺は申し訳ない気持ちで一杯だった。ツアー直前の大事な打ち合わせだと言うのに、緊張感が霧散してしまっていたからだ。


「……以上です。それでは、今日の打ち合わせはこれで終了です。何か不明な点がありましたらマリッカの皆さんは私に、cream eyesの皆さんは日下部(くさかべ)さんに連絡してください」


「了解しました」


「それでは、お疲れさまでした」


「お疲れさまでした!」


 打ち合わせが終わりマリッカのメンバーが退出した後も、京太郎はダメージを引き摺って立ち上がれずにいた。


「ぐぉおおお、痛てえ」


「大丈夫ですか、師匠?」


「ちょっと大丈夫じゃないかも……」


 心配そうに顔を覗き込んだ玲に、京太郎は苦悶の表情を見せた。その様子を横目に、川島さんが立ち上がる。


「私は次の打ち合わせがあるのでお先に失礼させていただきます。この部屋、あと30分ほど使っていて平気ですから」


「あ、はい。お気遣いどうも」


 会議室を出る直前、川島さんが京太郎に向けた視線は冷ややかだった。


「琴さん、さすがにキツイっすよ。将来子どもが作れない体になったらどうすんすか」


「……知らんわ阿呆。ウチも先に行かせてもらうで」


 琴さんはスッと立ち上がり、京太郎に一瞥もくれないまま部屋を出ていった。その態度は明らかな苛立ちを感じさせた。


「あいででででで」


「おい、京太郎」


「なんだよ。お前も説教か」


「何で琴さんがあんなことしたかわかってる?」


「……そりゃあ、俺が遅刻したから怒ってたんだろ。悪いのはもちろん俺だけど、流石にやりすぎじゃね?」


「はぁ」


 琴さんは怒りに任せて暴力に訴えたわけではない。むしろ京太郎へ批判の矛先が向かないように配慮した結果だということは、少し考えればわかりそうなものだが。

 まぁ、やりすぎだと言う意見は男として同意せざるを得ない。


「お前は遅刻ってもんがどんだけ相手を不快にさせるのか、もう少し考えた方がいいぞ。少なくとも、川島さんには相当悪い印象持たれたと思うし」


「それは……悪かったと思ってるよ」


 今まではそれほどキツく咎めることはしなかったが、今回の一件を見る限り考えを改めなければならないだろう。


「はぁ、今日のことはみはるんにも報告しとくわ」


「それは勘弁して!」


「いーや、ダメだ。今回ばかりはみはるんにも甘やかさずにキッチリ絞ってもらわなきゃ。それ、送信っと」


「ああああ」


 みはるんからの返信はすぐには来なかったが、俺たちも会議室を出ることにした。


「あれ、琴さんまだ帰ってなかったんだ」


 オフィスを出たエレベーターホールのあたりで、先に部屋を出た琴さんの姿が見えた。話している相手はマリッカのメンバーのようだ。


「琴さ……」


「ちょい待ち」


 俺は声を掛けようとした玲を抑え、琴さんたちから見えない位置に身を隠した。


「もう大丈夫だから。さっきも言ったけど、僕たちは怒ってないって」


「何か琴らしくないよ」


「別に琴ちゃ……さんが悪い訳じゃないし」


「オレはむしろテンション上がったけど」


「ちょっとダンボさん黙ってて」


 話を聞く限り、琴さんはマリッカを追いかけて改めて京太郎の遅刻について謝罪をしていたらしい。てっきり先に帰っていたものだと思っていたのに。


「ホンマに申し訳ない。ウチらにできる埋め合わせなんて無いかもしれんけど、せめてライブの時は精一杯やらせてもらいます」


「そうだね。僕たちにとってもそれが一番ありがたいかな」


 実際のところはともかく、琴さんはマリッカのマシューに対してわだかまりを抱いていたと思う。それなのに、あそこまで平身低頭して謝るなんて。


「京太郎。お前、あれ見てどう思う?」


「……」


 これでも京太郎が遅刻癖を改めないならば、俺はもう京太郎のことを「良いやつ」とは思えないかもしれない。これから一緒にバンドを続けていくのに、ただのクズ野郎だとは思いたくなかった。


「師匠」


 玲に声を掛けられた京太郎は、何かを決心したように頷いた。そして、琴さんたちの元へと飛び出していった。


「今日は、本当に本当に申し訳ありませんでした! もう二度と、一生! 遅刻はいたしません!」


 そしてその大きな身体を折り曲げ、丁寧に土下座をして見せた。それがパフォーマンスではないことは、発せられた声から十分に感じ取れた。


「だってさ。僕たちはもうとっくに許しているんだけど、琴ちゃんはどうだい?」


 マシューの言葉に、琴さんの険しい顔が少し緩んだ。


「もう二度と遅刻はせんと言うたねぇ。もしその言葉が嘘やったら、今度はピンヒールで踏み潰したるから」


 その場にいた男性陣は、漏れなく股間を手で押さえた。想像するだけでも恐ろしい仕打ちだ。だが、ダンボは俺たちとは違ったようだ。


「それ、オレが遅刻した時もそうしてくれる!?」


「おいちょっとこの変態黙らせろ!」


 マシューがキレて牡丹と二人がかりでダンボを事務所の奥へと連行していった。あの紳士的な金髪イケメンでもキレるときはあるんだな。ちなみに、牡丹はめっちゃ笑っていた。


「あんた、あんまり琴ちゃ……さんに迷惑かけないでよね」


 莉子はそう言い残してマシューたちを追いかけていった。やはり、琴さんに対する態度だけ他のメンバーに比べて違い過ぎる。琴さんは知らないと言っていたが、本当に面識は無いんだろうか。


「琴さん、今日は本当にすいませんでした」


「……まったく、まっさんにあんな風に頭を下げるなんて屈辱やわぁ」


「ぐっ……」


「まぁええわ。過ぎたことグチグチ言うてもしゃあないし。ウチにピンヒールを履かせんよう、せいぜい気いつけてな」


 琴さんは吹っ切れたように言った。流石に今回の一件で京太郎も懲りたことだろう。これから先、京太郎がクズではない良いやつになって欲しいと心から思う。


「師匠、今度川島さんにも改めて謝りに行きましょうね」


「そうだね。二人にも迷惑かけて、本当にごめん」


 これにて一件落着……と思っていたが。


「京くん!!!!」


 シルバー・ストーンのビルを出たところで、前の道路に停まっていた車の運転席からみはるんが飛び出してきた。


「こんな大事な打ち合わせの時に遅刻するなんて! もう! 馬鹿馬鹿!!」


「痛い痛い!」


 京太郎の胸のあたりをドカドカと叩くみはるん。音からしてかなり力が込もっているようだ。


「って、あれ。みはるん、その車は?」


 当たり前のようにみはるんは車から降りてきた。それはつまり、みはるんが無事に車の免許を取得したことを示していた。


「これ? これはお父さんの車だよ。大きいでしょ! 本当は3日前に試験に合格して免許も取れたんだけど、今日みんなを車で迎えに行って驚かせようと思ってたんだ。でも京くんが遅刻したって聞いて……大丈夫だったの?」


「あぁ、それは何とか」


 確かにかなり大きな車だ。5人で乗ってもだいぶ余裕があるように見える。これならツアー中の機材も十分に積めるだろう。だが、気になる点はそこではなかった。


「何か、車ボッコボコじゃね……?」


 そう、車のフロント部分がベコベコと凹んでいたのだ。サイドの扉部分にもたくさんの塗装剥がれが見られる。


「お父さん随分激しい乗り方をしてたんだね」


「ん? あぁ、これは私がつけちゃった傷だよ。免許取ってから練習してるときに、チョロッとね。てへッ」


 みはるんは舌を出しておどけて見せた。だが待って欲しい。みはるんは先ほど「3日前に免許を取得した」と言っていた。


「たった3日でここまでボコボコに……?」


 CDも完成した。移動に必要な足も手に入れた。あとはライブを成功させるのみ。

 だが、果たして俺たちは生きてツアーを回り切ることができるのだろうか。

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