チャプター3 再現VTR 秀明ザイオンへ行く
実在の曲名が登場する箇所がございます。ご一緒に曲も聞いていただくと、右脳でも楽しめるのでお勧めです。
目的地から少し離れた倉庫街に車を停め、秀明は素早く周囲を見回した。ダッシュボードから小さなプラスチック製の物体を取り出すと、慣れた動作でイヤホンを接続した。
もう一度、今度は注意深く周囲を警戒する。五十メートルほど先に黒のセダンが停まっている。暗闇に目を凝らしてナンバープレートを読み取った。他県の3ナンバーなので、覆面パトカーの可能性は低そうだ。社内に人がいる様子もない。秀明は耳にイヤホンを装着して機器を操作した。
ポータブル音楽プレイヤーには複数の曲が入っている。これを着けながら町を歩いている若者は職務質問の恰好の的なので、人目を忍んで聴かなければいけない。
イヤホンからはCRAZY-Aの『ストリートダンサー』が大音量で流れ出した。店に行く前になぜか聴きたくなる曲だ。父親が初めて買った日本のラップ曲らしい。小さいころから聴かされて育った。
曲が終わったのを合図にイヤホンとプレイヤーをポケットにねじ込んで、秀明は車を降りた。
ティンバーランドの靴紐を結び直す。随分と汚れてしまったが、それが味になると思っている。シャツには少々皺が寄っているが、臭わないので良しとした。
店に近づくにつれて人通りが増えてきた。ほとんどが十代から二十代で、秀明と同じ年頃に見える。何人かのグループで集まって道端で騒いでいた。
数人の女が振り返る。視線が秀明にロックオンされているが、当の秀明は見られている事に気付いていなかった。
秀明は容姿が良い。大きく意思の強そうな瞳、整った眉、生意気そうだが薄く整った唇。某少年アイドル事務所でもトップに立てそうな顔立ちをしている。百八十センチ近く背が伸びてからは、いっそう人目を引いているのだが、そうした変化も気にしていなかった。
周りの若者たちの目的地は秀明と同じだろう。もっとも、この辺りは倉庫街だ。他に目を引くような建物は無い。
「よぉ!シュウ」前方から男が声をかけてきた。秀明は顔を憶えていた。
大きく振りかぶってからお互いの手のひらを合わせ、手を放すと同時に指でパチンと音を立てる。すかさず人差し指をお互いの額に当て、二人同時に銃の引き金を引くポーズをした。この辺りで最近流行っている作法だ。
はた目からは気の置けない者同士が握手をしているように見えるが、タカシだかタケシだかいう目の前の男とは、店で何回か言葉を交わした程度。
「そろそろ盛り上がってきてるぜ」やたらと愛想は良いが、薄っぺらい印象を与えるタカシ――秀明は勝手にタカシと記憶した――が、聞いてもいないのに店の雰囲気を伝えてきた。
「今は誰が回してる?」
「マサとかいうDJ。トランスがメイン」意味なく笑いながら感想を伝えてきた。大麻でもやっているのだろうか。
タカシは続けて秀明の耳元で囁いた。
「多分、この後あるよ」BB法を無視して、違法な音楽を流すという意味だ。渋谷の店と同様のスタイルだ。
「ふ~ん。サンキュウ。とりあえず店に入ってみる」ここで話し込んでいても仕方ないので、秀明は先を急ぐことにした。
「は~い。じゃあまたあとで」というそばから、タカシは別の顔見知りの方に近づいて行って親しそうに話している。どうせ大した間柄でもなさそうだ。毒にも薬にもならないタカシのようなタイプを秀明は好きになれないが、トランスがイマイチ合わないのには同感だ。
倉庫の陰で店の姿はまだ見えないが、街灯もまばらな夜空を原色のネオンが染めている。じっとりと湿る六月の週末。静かな倉庫街のこの一角だけが異質な雰囲気をまとっている。
ズンズンと低音をうなるウーハースピーカーが、その場のあらゆるものを振動させている。一歩一歩、振動は店に近づく毎に強くなった。
店の名前は『ZION』。ザイオンと読む。若い客は『クラブザイオン』と言い、古い客の中には郷愁を込めて『ディスコザイオン』と呼ぶ者もいる。
『ザイオン』よくありそうなネーミングである。ただし、この店ができたのは秀明が産まれるよりずっと前。つい最近死んだ父の時代ですら老舗と言われていたらしい。当時としてはセンスのいい名前だった筈だ。
ザイオンの受付で料金を払い、秀明はドリンクチケットを受け取った。
「はい。スタンプ押しま~す」秀明は、店員に黙って右手を差し出す。店員は慣れた様子で右手の甲にスタンプを押してきた。
このスタンプには透明なインクが使われている。普通の状態では何も見えないが、ブラックライトを当てると店のロゴが光る仕組みだ。
これで入場料を払った客と、タダで入ってこようとする不届き者とを見分けている。
狭くて薄暗い通路を歩いていくと、ホール入口の大きな扉を隠すほどに巨漢の黒人が、道を塞ぐように立っていた。
(ハルクみてぇ)ぼんやりと秀明は考えていた。
「ボディチェック」無機質な声を発しながら、大男が待ち構えている。
(ヤバいな)ポータブルプレイヤーがポケットに入っている。これが見つかった場合、悪くすれば警察に突き出されるかもしれない。
(バックれるか)秀明が後ろを振り返ると、他の客が行列していた。退路を塞がれた形だ。
(どうにでもなれ)半ばやけくそな気持ちで秀明は一歩前に踏み出した。
大男が足元からチェックを始める。思ったより念入りだ。巨大な手で腿の内側や股間までも容赦なくまさぐってくる。
男の手がプレイヤーの入っている右ポケットに触れた。男の動きが止まる。それはほんの一瞬だったが、巨大ロボのような男の無表情に、訝しげな影がさした。
(終わった・・・)秀明は覚悟を決めた。--が、その直後に大男が発した言葉は意外なものだった。
「オーケイ」大男は振り返らずに背後の扉を親指で示す。『入っていい』という合図だ。
まだ秀明の心臓が脈打っている。ウーハーの振動とシンクロするようだ。
(バレなかったか?)否、あの瞬間、大男は何かに気付いていた。右のポケットにはプレイヤーしか入っていない。適当なボディチェックでもなかった。
「まいっか」深く考えず小さく呟くと、秀明は重い扉をゆっくりと開け、音と光の洪水に身を投じた。




