チャプター29 再現VTR 汽笛が聞こえる
秀明が釈放されて三か月。日本の政権が倒れた。
それ以前から国民の不満は沸点に達していたが、秀明が起こした一連の騒動。とりわけ保釈時の記者会見――と言えるほどの内容ではない――が、最後の一押しをした。
すぐさま音楽家協会、日弁連が同調して秀明を支持する声明を発表した。右派系の数紙を除くメディアもこれに追随し、反BB法のキャンペーンがテレビをジャックした。
内閣支持率は一桁台に急落。
衆議院の任期が切れるまで続投すると思われたが、大方の予想を裏切った佐川総理は、内閣総辞職に打って出る。
景気対策を争点とすれば選挙に勝てると読んだらしい。
結果としてみれば、これが悪手だった。
争点として景気浮揚を掲げてはいるものの、これまで成果が出ていない事を国民は学んでいた。
贈収賄などのスキャンダルを嘘で切抜けた経験のある総理は、今回も景気浮揚の一つ覚えで上手くいくと思っていたようだ。
だが、政治スキャンダルと自由への抑圧では、不満の大きさは比較にならない。
ダンスミュージックを心の拠り所にする人々が、それどころか自由を愛する全ての国民が、政治屋一家のバカ息子に強烈なカウンターパンチを叩き入れる。
解散に伴う衆議院選挙では、BB法の即時廃案を公約とする野党が結束した。
野党連合の応援演説には、本国での活動が制限されたアメリカ人タレントまで駆け付けた。
なんと、選挙カーの上でスティービー・ワンダーが歌ったのだ。これで盛り上がらない筈がない。
投票日の快晴も相まって、投票率は75%を記録した。戦後最大級の注目度である。
なお、二十代の若年層に限っては90%を超えている。選挙離れの面目躍如だった。
結果、全ての選挙区で協力した野党が、400議席を獲得する大勝となる。
新たに連立内閣が組まれた七月四日、賛成多数でBB法が廃止された。
連立内閣が組まれたその日、日本政府からホワイトハウスに対し、音楽流通に関する条約を破棄する旨が一方的に通告された。
名もない誰かが言った『これは日本の独立記念日である』と。
「いいばーやさ」
「ばっちょ」
「うんだまーみー」
「きんびゃいい」
全国の名もないヒップホップキッズの言葉である。
世間がお盆休みに入る頃、満を持して秀明と人志のアルバムが発売される。
このアルバムには国内で活動自粛していたアーティストに加え、アメリカで辛酸をなめていたアーティストもゲストに加わった。
先行で発売された日本では二週間で五百万枚のセールスを達成。続いて発売されたアジアとヨーロッパにおいて、合わせて二千万枚の爆発的なヒットを飛ばす。
世界の主要な国では、反BB法はもはや社会現象と化していた。
こうした中、国連から再三の勧告を無視していたアメリカも、時代の奔流に飲まれていく。
大統領選挙直前の十月には、日本からの条約破棄を受け入れる声明を発表するも後の祭り。手のひらを返すには時すでに遅し。
辛うじて共和党の指名は取り付けた大統領だったが、十一月の本選挙で大敗し、アメリカでもドミノ式に政権交代が実現した。
ビルボードでも一位に座り続けた秀明達のアルバムは、発売から四か月で世界累計四千万枚の販売を記録した。
なお、ダウンロード販売は累計数には入っておらず、現在進行形で売り上げは上昇中である。
◇◇◇◇◇
寒風吹きつける一月のニューヨークに圭介はいた。
秀明と人志が出したアルバムがグラミー賞にノミネートされ、彼らが関係者として特別に招待してくれたのだ。
授賞式の直前にアメリカ版BB法が廃止されていたこともあり、この年のグラミー賞は特別な意味を含んでいた。
発端となった衝突での犠牲者へ追悼の言葉が述べられ、アメリカ国家が厳かなアレンジで斉唱された。
だが、そこは陽気なお国柄である。その後の式典は例年にも増してのお祭り騒ぎだ。
最新の音楽事情に詳しくはない圭介でも、見たことのあるタレントを間近に見て興奮しっぱなしだ。
レディガガの奇抜な服装からは、紅白歌合戦の衣装対決が想起され、圭介は大いに楽しんでいる。
秀明達の受賞はもはや誰もが疑わなかった。
受賞者を賭けの対象にするブックメーカーが、オッズがつけられない状態だったという。
秀明と人志がリリースしたアルバムは『最優秀アルバム賞』と『最優秀ラップアルバム賞』を受賞した。
人志は作曲家として『最優秀楽曲賞』と『最優秀ラップ楽曲賞』が授与された。
秀明は『最優秀新人賞』と『最優秀レコード賞』、『最優秀ラップパフォーマンス賞』に輝いた。
主要四部門と呼ばれる賞に加え、ラップ部門の賞も総なめである。
最もサプライズだったのは『プロデューサーオブザイヤー』に、マイクが選ばれたことだ。
ノミネートされたのは事前に知っていたものの、成り行きで就任したプロデューサーとして、まさか自分が受賞するとは思っていなかったらしい。
「マイケル内藤」
受賞者の名前が呼ばれた時、一番驚いたのはマイク自身だったかもしれない。自分を指さし『俺が呼ばれたのか?』と、周囲に確認している。
壇上での作法に不安があるのだろうか、最初は緊張が見て取れたマイクだが、すぐに堂々とした足取りでステージに上がった。
ブラッディレッドのタキシードに、白い蝶ネクタイでキメたマイクは貫録十分だ。
司会者が英語でマイクの功績を称えると、会場からは惜しみない拍手が送られた。
黒人のプレゼンターが蓄音機型のトロフィーを持って現れた。かなりの高齢のようで、深く刻まれた皺に白髪を湛え、車いすに乗っている。
舞台袖で車いすを降りた老人は、片足を引きずるようにして舞台中央に進んでいった。
覇気に溢れるマイクに比べ、老人の姿は見る者に対称的な印象を与えていた。
老人はトロフィーをマイクに手渡すと、破顔するマイクに何かを囁いている。
プレゼンターが受賞者に対して、個人的なメッセージを伝えるのはよく見る場面だ。
会話の内容は良く聞き取れないが「ジェームス・ブラウン」という単語を集音マイクが拾った。
「・・・・・・・・・!!」
すると突然、マイクの精悍な顔が見る間に歪む。
口元を手で押さえて嗚咽をこらえているのが遠目からも分かる。
それでも我慢できずに肩を震わせると、滝のような涙がマイクの頬を落ちていった。
マイクとプレゼンターはなおも会話を続ける。普段は見慣れない光景に会場がざわつき始める。マイクは会話に没頭し、周囲の戸惑いも意識の外にあるようだ。
「なに?なに?どうしたの?」
圭介は状況が理解できず、近くのゲストに尋ねてみるも、誰に聞いても首を横に振るばかり。
会場の混乱が最高潮に達したタイミングで、司会の男性が説明を始める。
「ただいまプロデューサーオブザイヤーの栄誉を手にしたマイケル内藤は、1958年に日本の地で生を授かりました」
他の受賞者には無い演出だ。
ゲスト達は突然の出来事に固唾を飲んで見守っている。
「父は勇敢なる合衆国海兵隊に所属し、母は朝鮮半島から意に添わず渡り住んだルーツを持ちます。
人権への配慮が不十分な時代でした。三人の親子は周囲の多くと同様、貧しい生活を余儀なくされます。
そんな父子を救ったのがミュージックです。マイケルは当時大人気だった『ソウルトレイン』に夢中でした。
父はマイケルを宝物のように愛し、マイケルは父に憧れと尊敬を抱いて育ちました。
『ソウルトレイン』は、そんな父と子の絆そのものです。共に踊り、大いに歌いました。
1972年、激化するベトナム戦争に伴う再編成のため、マイケルの父は合衆国に一時帰国します。
彼は勇敢な兵士でしたが、同時にまた良き父でもありました。日本を発つときにマイケルが『ソウルトレイン』のテープを欲しがっていたのを忘れませんでした。
しかし不幸な時代のこと、一兵卒である彼にテープを手に入れる金はありませんでした。悩み抜いた末、彼は生涯で一度の過ちを犯します。
テープを盗もうとした彼は逮捕され、同時に軍籍をはく奪された結果、アリゾナのプリズンで三年間を過ごします。
不名誉な除隊者の息子と呼ばせたくない一心で、父は息子と縁を切る決断をします。周囲には箝口令を敷き、息子との関わりを全て絶ちました。
以来、半世紀にも及ぶ葛藤が彼を支配します。時の流れは安息をもたらさず、息子と分かたれた道は離れていくばかりでした。
しかし、神の慈悲は等しく我等を照らします。マイケルは見事にチャンスを掴みました」
ここで一転、司会者の口調がにわかに熱を帯びる。
「私は今ここで皆さんに問いたい!このステージに立つのは不名誉除隊者の息子でしょうか?」
「ノー!!」
会場から否定の声が上がった。
「その通り!
我々の前に立つのは、世界一の音楽プロデューサーです!
誇り高い一人の男です!
男の祈りは、ついに父の許に届きました!」
司会者は興奮気味の口調を元に戻して、厳かに語りかける。
「・・・・・・遠くに汽笛が聞こえます。
二台の列車は、別々のレールを進みました。
半世紀の間、長く険しい荒野を走ってきました。
時代の竜巻が、黒く美しい機関車を穿った事もあります。
しかし、ついに今日この日、孤独な旅は終点を迎えます。
・・・・・・到着のベルが鳴りました。
さあ、二人を乗せたソウルトレインが、グラミーのステージに到着します。
皆さんご静粛に。
しばし、モーガンとマイケルの再会を黙して祝おうではありませんか」
司会者が語り終えた。
会場からはすすり泣き。重なる音もすすり泣きだけだった。
広大な会場を恐ろしいほどの静寂が包む。
スポットライトの中で抱き合う父子。
マイクが落ち着いたのを見計らい、モーガンがマイクの腕を掴んだ。
足の痛みに顔を顰めたが、それでも精一杯の笑顔で勝利の宣言をする。
父から子へ連鎖する貧困を断ち切った、息子の勝利を宣言する。
父は勝者たる息子の手を天へ掲げた。
それを合図に、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こる。
間髪を入れず、開場のBGMにザ・スリー・ディグリーズの『ソウルトレインのテーマ』が流れた。
ゲストたちが一斉に立ち上がる。スタンディングオベーションだ。
『小さくなった』
抱いた父の細さに孤独の永さを悟り、マイクはまた目頭が熱くなった。
圭介は、あふれる涙で何も見えておらず、感動の瞬間を見逃した。
共に号泣するパリス・ヒルトン、ジャスティン・ビーバーと三人で抱き合い、ブルーノ・マーズにハンカチを借りる無名の東洋人が、ほんの数秒だけ電波に乗ったという。
その時、全米が泣いた。




