チャプター23 再現VTR いけない嘘
最初の頃はまだよかった。秀明の楽曲でひと稼ぎしようという暴力団は、金のなる木とばかりに秀明をおだてていた。
暴力団に提供した楽曲は一曲だけだった。人志が作曲し、K-DOGに紹介してもらったスタジオで録音した楽曲だった。
スタジオ関係者の一人が、裏で暴力団と繋がっていたのだが、計画の全容を秀明が知るのはずっと後だ。
曲の入ったポータブルプレイヤーは、末端で五千円の値が付いたという。
秀明と暴力団の関係性が逆転したのは、次の楽曲提供を秀明が拒んだ時だった。
「今井さん。そろそろ次の曲を作って貰えませんかね?」
ある晩、組の若い衆から電話が入った。稼いだ金で滞納していた携帯料金の支払いは済ませていた。
「すんません。やっぱ、もうこれっきりにしようかと思ってるんですよ」
「そんなこと言わないでくださいよぉ。今井さんに断られちゃったら、オヤジに何て言い訳すればいいんですかぁ」
「いや、こっちもビビッてまして、BB法でパクられるのも・・・」
「・・・・・・・・・おう兄ちゃん、今何て言った?たいがいにしとけよ」
それまで下手に出ていた若い衆の口調が、感情の無いものに一変した。
「何がこっち『も』だよ。あ?俺がビビッてるって?お前と一緒にすんじゃねぇよ」
「・・・・・・・・・」
「兄ちゃん、俺のことなめてんのか?」
曲を作る、作らないという論点は無視して、若い衆が脅しをかけてきた。正攻法のインネンだ。
「・・・・・・・・・」
「おい!兄ちゃん聞いてんのか!」
「はい。聞いてます」
「ちょっと電話じゃ話になんねぇや。今からそっち行くからよ。逃げんなよ」
それだけ言い残すと若い衆は電話を切った。
秋の空に満月が輝くころ、秀明はワンルームのマンションに住むことができた。アクティはマンションの駐車場に止まっている。
車で逃げることも考えたが、素人が逃げ切れるとも思えず、秀明は若い衆の来訪を待つ。
電話を切って五分ほどで、部屋のインターホンが鳴った。異常な早さだ。
玄関を開けて入ってきたのは矢田部だった。この場になって秀明は、矢田部が書いた絵を理解した。
先ほどの電話は、秀明が曲の提供を拒むことを予想しての出来レースだった。プレイヤーを売り捌く暴力団とは矢田部の組だった。最後の脅しは矢田部が完成させ、秀明を逃がすつもりがない。
「矢田部・・・さん」
「なんだ、お前。意外と頭がいいじゃねぇか」
開口一番、矢田部はそう言った。秀明の観念した様子を見て察したのだろう。
「曲は作れねぇって言ってるらしいな」
「すんません。俺一人じゃ作れないもんで・・・」
「あ~。そういう事情もあるだろうな」
予想に反して、矢田部は新曲の提供を強制しない。
「最近、売り上げが減っててな。ちょいと思いついたんだけどよ、プレイヤー、お前が捌けや」
矢田部はそれだけ言い残すと、その場を去っていった。
あっけなく解放された秀明だったが、その後は奴隷のような日々が待っていた。
◇◇◇◇◇
密売人秀明の毎日の過ごし方は、堅気のそれではなくなってしまった。
夕方に組事務所へ立ち寄り、その日に売り捌く予定のプレイヤーを受け取る。組員の車で若者が集まりそうな歓楽街に連れていかれると、組から渡された携帯電話が鳴る。
相手と待ち合わせた場所に行き、プレイヤーを渡すのだが、この時に秀明本人が出てくるのがこの計画のキモだ。
やんちゃそうな若者から、コソコソと辺りを気にしながらプレイヤーを買いに来る主婦まで、客層は様々だった。
売人がアーティスト本人と気づかない場合もあったが、ザイオンの動画で顔が売れている事もあり、ほとんどの客が秀明だと気付いていた。噂が噂を呼び、プレイヤーの売り上げはV字回復した。
「頑張ってね」などと声をかけられる事もあったが、人志には秘密でやっている行為なので、秀明の気持ちは暗かった。
空虚な毎日を送っていたある日、秀明のマンションへ不意にゆりあが現れた。外では小雪が舞っていた。
「ゆりあ!今までどうしてたんだ?」
「シュウ君に会いたくなって・・・来ちゃった」
「『来ちゃった』って・・・ずっと探してたんだぞ!?いいから入れ」
「久しぶり。うん。いいマンションだね。スーパーも近いし。髪もちゃんとなった」
色々と品定めして、概ね良好な評価を口にしているが、ゆりあの声は冴えない。
「仕事・・・始めたんだ。二人分の生活なら何とかできる」
秀明はずっと抱えていた思いを切り出した。
「へぇ」
「最初の予定とは違ったけど、住む家もできた。だから、一緒に暮らそう」
「うん・・・考えとくよ」
今日のゆりあは何か変だ。
「どうしたんだよ?もっと喜んでくれよ!仕事だって、お前のために始めたんだぞ」
「シュウ君。嘘はいけないよ」
ぞっとするほど冷たい態度。指摘された通り、あの時はゆりあの事は頭になかった。
「本当はやりたくないんでしょ?」
「・・・・・・」
返す言葉がない。
「シュウ君だけお金持ちになって、人志君はどうするの?」
「人志はもう大丈夫だ。ザイオンで立派にやってる」
「また嘘ついてる。今度の嘘はもっとダメなやつ」
「どういう事だよ?」
「私に嘘つくんならまだいいよ。でも、人志君の事、本当は『大丈夫だ』なんて思ってないはずだよ。最初の頃のシュウ君には、人志君に嘘ついてる自覚があった筈だよ。でもね、嘘をついてる内に、人志君は平気だといいな、平気に違いないって、自分の嘘を自分で信じるようになってる。シュウ君の顔を見れば分かるよ。シュウ君が自分についてる嘘は、一番いけない嘘」
「・・・・・・・・・」
何も言い返せない。自分が考えているより、もっと深いところをゆりあに責められている。
「違法な事はしないって、人志君との約束も破ってるよね」
「何でそれを知ってるんだよ・・・」
「何でも何も無いのっ!!言い訳するなっ!!」
ものすごい剣幕だ。人志王立ちのゆりあに気圧され、秀明は二歩も後ずさった。
「ヤクザなんてね、死ぬまで利用されるだけなんだから!」
「俺も早く手を引きたい。だけど・・・今はまずい」
「うわ~ダッサ!シュウ君って、いつからそんなにかっこ悪くなっちゃったの?」
「ゆりあにはヤクザの怖さなんて・・・」
「分かるよ!」
ゆりあはぴしゃりと遮ってくる。
「半殺しになるんでしょ?そんで、身の回りの物取り上げられる」
「分かってるんなら何で・・・」
「でも、殺されはしない。殺したって金にならないから。物を取られるのが恐い?シュウ君なんて元々何も持ってなかったじゃない。ビビッてるの?」
「正直・・・ビビって・・・る」
「じゃあ、根性出しなさい!!!!これが引き返す最後のチャンスだよ!」
その時、インターフォンのチャイムが鳴った。ドアスコープを覗くと、矢田部の組の増田が立っていた。
「なんすか?」ドアを開け、要件を聞く。
「ちょっと邪魔するぞ」
今はそれどころではないが、増田は返事も聞かずに上り込んでくると、ゆりあに一瞥もくれずに、トイレに直行した。
「今日は現場が少し遠いから、早めに迎えに来た」
増田は言いたいことだけ伝えると玄関のドアの前に立ち、共に出かけるよう秀明を促した。
「ちょっと着替えるんで、増田さんは先に車に行っててください」
「おう。早くしろよ」
増田は階下に去って行った。ただトイレを借りに来たらしい。
『本当に腹の立つ野郎だ』
愛するゆりあを完全に無視した事で、秀明は腹を決めた。
「決めたよ、ゆりあ。今日で決着をつける」
「やっぱりシュウ君は最高だね!がんばれ!」
ゆりあが今日、初めて笑った。
マンション前の人気のない路上に、増田のベンツが停まっている。助手席の窓ガラスをノックすると、スモークガラスが開いた。
「増田さん。俺もう行かねぇや」
「あ?お前、なに言ってやがんだ?」
突然変わった秀明の態度に増田は動転している。
「だ・か・ら!俺もうプレイヤーの商売止めるって言ってんの。聞こえなかった?」
「上等な事ぬかしてんじゃねぇ!このクソガキ!」
怒号と共に、増田が車を降りてきた。
『どうなってもいい!やってやる!』
増田が肩を怒らせて出てくると同時に後部座席のドアも開き、巨大な人影が現れた。ザイオンの用心棒のチャックだった。
「今日行く現場がちょいとヤバイって話だったからよ、チャックも連れてきたんだよ。とことん運の無いガキだな」
ニヤニヤと笑いながら、増田が近づいてくる。チャックも無表情で距離を詰めてきた。
『チャックは想定外!こりゃ死んだな。ゆりあの嘘つき』
増田が右の拳を振りかぶる。反射的に秀明は目を瞑ってしまった。
ぐちゃと、肉を叩く音がした――――
――のだが、秀明は何ともない。
目を開けるとそこには、鼻の曲がった増田が泡を吹いて伸びていた。
「オー!シュウメイ、アーユーオーケイ?」
「へ?」
「ひとまず逃げなさい。通行人に見つかると厄介だ」
「って、チャック!日本語ペラペラじゃねぇか!?」
「今はそんな事どうでもいいから、早く逃げなさい」
秀明はとりあえず自分の部屋に戻ろうと、マンションのエントランスに駆け込んだ。
すると、今度は別のおじさん達に囲まれた。ヤクザとはまた違う迫力に満ちたおじさん達だった。
「え?今度は誰?」
「今井秀明さんですね?あなたを退廃的音楽の商用利用を制限する法律に、違反した罪で逮捕します」




