チャプター18 再現VTR 二枚掛け
陽気のいい日は『September』です。音楽を聴きながらお楽しみください。
カリフォルニア州ビクタービル。父の故郷にマイクは来ていた。
1983年のアメリカ音楽界は、マイケル・ジャクソンが席巻していた。
同い年、同じ肌の色、同じ名前のマイケル・ジャクソンには特別な思い入れがある。
スーパースターのマイケル・ジャクソンと自分の人生をつい比べてしまい、羨ましさや憧れが混ざり合った独特の感慨が醸成されていた。
五年前の二十歳の時には、バージニア州にある海兵隊の司令部を訪れていたが、入り口を通る事すらできずに追い返された。軍のセキュリティは想像以上に固いと痛感した。
それならば親戚筋から手がかりを得ようと、こうしてこの町までやってきた次第だ。
赤茶けて乾燥した大地を見て、今更ながら父がアメリカ人であった事を実感する。高層の建物を見かけないのは土地が広いおかげだろう。横長の景色がどこまでも続いている。
メインストリートから二十分ほどの所に父の兄、マイクにとっては伯父にあたる人物が、夫婦で暮らしている。
伯父の家は想像していたよりも広かったが、外観を見る限り質素な佇まいだ。
父が失踪してから何度も手紙を送っていた。
『お前さえよければ、合衆国での生活をサポートする用意がある』
最後に受け取った手紙の末尾にはこう記されていた。
全てが本心とは思わなかったが、几帳面な文字が伯父の人柄を表しているようだった。
ベルを鳴らすと、中年の黒人男性が現れた。父とよく似ている。一瞬訝しげな表情をしたが、すぐに驚いた様子で男性が呟いた。
「モ、モーガンか?」
「いいえ。モーガンは父の名です」
「じゃあ・・・お前がマイケルか?」
「はい、伯父さんはじめまして。お会いできて光栄です。マイクと呼んでください」
「ああ・・・神よ。信じられない。大きくなって・・・モーガンにそっくりだ」
そこからは大変な騒ぎになった。伯母はマイクの顔を見た途端に崩れ落ちて泣き出した。伯父が親戚一同に声をかけ、さながら歓迎パーティーの様相を呈した。
訪れた日が休日だったことも幸いした。どこからともなく大量の酒が持ち込まれ、庭ではバーベキューが始まり、伯母をはじめとした女性陣はパイを焼いた。
「ゆっくりしていくといい。近くに素晴らしい国立公園がある。私が案内する」
伯父は笑顔でそう言ってくれたが、伯父を含め集まった親戚たちが、マイクの父の話題を避けているのは明らかだった。
「ありがとうございます。ですが、私の目的は別にあります」
「・・・・・・・・・モーガンの事だな?」
「ええ。今回は父を捜しに来たつもりです」
「マイク。私たちも、あなたのお父さんの事は残念に思うのよ。でもね、この件に関しては・・・・・・諦めるのがあなたの幸せよ」
伯母は涙を浮かべてマイクを諭した。
「父は死んだのでしょうか?」
「・・・・・・・・・分からない。私たちの誰も、その事については分からないんだ」
伯父は沈んだ表情で呟いた。
「それよりマイク。良ければ私たちの養子にならないか?カリフォルニアは気候もいいし、日本よりも豊かだ。こちらには親戚も沢山いるから、淋しい思いをしなくて済む」
伯父の言葉を聞いて、隣の伯母が一瞬驚いた顔を浮かべたのにマイクは気付いてしまった。優しい伯父がその場で思いついて提案してくれたのだろう。
「ご提案は嬉しく思いますが、日本に母を残していますので」
パーティーが終わった後は、そのまま泊めてもらった。ここはマイクの祖父が建てた家で、父の部屋はそのままにしてあるとの事だった。
その日は父のベッドで寝た。十年以上忘れかけていた父の匂いを思い出した。
翌日からは、親戚に聞いた父の友人を訪ねて回った。誰も父の消息を知る者はいなかったが、出身校や縁のある土地、行きそうな場所を教えてもらえた。様々な収穫はあったのだが、どれも決め手に欠ける情報だった。
金の無いマイクに、渡航費が負担にならないと言えば嘘になる。少ない給料から毎月少しずつ貯めて旅費を工面してきた。
いったい何をしにアメリカまで来たんだという気持ちもある。それでも、マイクには父親探しを諦めるつもりは無かった。
あの父が、自分を捨てて失踪するとは考えたくなかった。
それ以来、父親探しは五年ごとの儀式のように繰り返している。
三十歳の時にはビクタービル周辺の都市をあたった。
四十歳になるまでにカリフォルニア州の主要な地を探した後は、父の写真を手に他の州のクラブを巡った。行く先々でレコードショップも廻った。
ダンスミュージックが好きだった父と、不意に会えるような希望があった。手がかりは得られなかったが、アメリカのクラブ事情を知る機会になり、その後の芸の肥やしになった。
現在は父が失踪して半世紀近く経つ。失踪前の煤けた写真に、生きていれば八十を過ぎた父の面影は無い筈だ。
写真の中には幼いマイクに頬を寄せて笑う父がいた。
◇◇◇◇◇
「うわ!びっくりした!やめてよマイクさ~ん」
「驚いたか?」
「2PACのお化けかと思ったよ」
「こちとら生きてる。ノーティー・バイ・ネーチャーの曲は絶版だな」
「何それ?どういう意味」
「追悼曲歌ってるからだよ・・・ってボケの意味を説明させるな。ところでシュウ、ちょいと付き合え」
「別にいいけど・・・どこに?」
「まあ、いいから来い」
マイクはウィンクを返してザイオンのバンに歩き出す。秀明が後ろから急いでついて来る気配がした。
「んで。俺はどこに連れてかれてるの?」
「まずは俺の家に行こう。お前の服、いくらなんでもボロ過ぎる」
「え?服?隠すとこ隠してればいいじゃん」
マイクは深いため息をついた。
「そんなんじゃ、女にモテないぞ」
マイクは『モテなくてもいい』という返答を予想していたのだが、意外にも秀明は考え込んでいるようだ。
マンションの駐車場に車を止め、マイクは秀明を自宅に招き入れた。手ごろな大きさの段ボールに、見境なく服を詰めていく。
「え?マジ?こんなに貰っちゃっていいの?」
「ああ。全然構わねえよ」
「これなんてタグ付いてるよ?新品だろ?」
「いいんだ。店に来る客で、デザインや販売の会社やってる奴がいるんだ。宣伝になるからって俺に送ってくるが、俺の歳じゃ派手過ぎる」
「着てみてもいい?」
最初は遠慮していたが、元がタダと聞いて秀明の目の色が変わった。
「おう。気に入ったのがあったら、好きなの持ってけ」
「ちょっと大きいかな?」
「まだシュウの背は伸びるかもしれねぇな。飯食って少し太れば丁度良くなるだろ」
「あざっす!」
車に戻ると秀明は段ボールを膝の上に抱え、ご機嫌な様子だった。
マイクはオーディオシステムを操作して、アースウィンドアンドファイアーの『September』を流した。マイクは自然と歌詞を口ずさむ。
「『September』はテンションあがるね」秀明も好きな曲だ。
「だな」
歌を中断してマイクが答える。
「マイクさん、まだ三月だよ?」
「細けぇ事気にすんな。陽気のいい日は『September』が合うんだよ」
「服ありがとう。このためにわざわざ迎えに来てくれたの?」
「この後はザイオンに行く。瀧澤さんと人志もいる。そろそろ着いてる頃だ」
店の裏手に車を止めると、程なく圭介と人志が現れた。二人は初対面だ。マイクが仲を取り持つ必要も無く、圭介の方から人志に握手をしていた。
圭介は休日ということもあってラフな格好をしている。薄くなった額とヒップホップファッションの取り合わせが個性的だ。
裏口から店に入る。秀明、人志、圭介と続いた。
「シュウ。お前ラップ始めたんだって?」
マイクが秀明に話題を振ると、バツが悪そうに答えてきた。
「うん、やってるよ」
どうやら秀明は説教されると勘違いしているらしい。BB法があるからだろう。
「一言相談しろ。俺だってこっちの世界が長いんだから、協力出来ることはある」
秀明には少々釘を刺しておいた方が良い。
「人志はすぐに俺のとこに来たぞ。瀧澤さんにも言ってなかったらしいな」
「ごめん。マイクさん。瀧澤さんもすんません」
秀明は素直に謝罪した。
秀明と人志は大人に頼るのが下手だ。マイクにも気持ちはよく分かる。経済的に恵まれない家に育つと、無理をしてでも子供だけの世界で物事に対処するようになる。
「人志は、開店前に店の機材でDJの練習をしてる。俺の目から見ても、かなり上達してる」
マイクと違い、人志はデジタルDJだが、上達のスピードは目を見張るものがある。そのうえ、パソコンのソフトを使い、作曲の真似事まで始めているらしい。
「マイクさんのレコードを、デジタルデータに変換してくれたのって瀧澤さんなんだって!」
「希少な音源がたくさんあったな。人志君、あれはお宝だよ」
圭介と人志はパソコンの話題で早速意気投合していた。
「マイクさんのレコードが手持ちの曲とダブった場合はどうするの?」
秀明が人志に尋ねた。
「僕が元から持ってた曲でも、音質が悪いのがあったからね。むしろレコードから変換した方がクリアなんてザラだよ」
そういうものらしい。デジタルの曲も玉石混淆といったところか。
「ビットレートも色々だからね」
人志だけが圭介の言葉を理解できている。ビットレートとは、いわばデジタル情報の密度だ。密度が高ければ、その分音質が良くなる。だが、その分データの分量が大きくなり、パソコンの容量を圧迫する。P2Pソフトで流通しているのは低ビットレートの曲が多いという。
「僕はね。レコードのノイズが好き。なんか新鮮な感じがする」
人志はノイズを『新鮮』と評した。デジタルに慣れているせいだろうが、若者の考え方はマイク想像を超えてくる。
「人志は良いこと言うねぇ。ノイズ出しながらでも頑張ってるのがいいだろ」
レコードはマイクにとっては人生の友と言っていい。
「なんかマイクさんみたいだな」悪戯っ子のように秀明が笑った。
「シュウ!お前、ちゃんと反省してんのか?」
「シュウちゃん!それ失礼だよ」
「今井くん。マイクさんに謝りなさい」
三者三様に叱られたが、秀明が意に介す様子は無かった。
秀明を中心として関係者が集まった事もあり、自然な流れで近況報告会となった。中でも秀明に彼女ができた話には全員が食いついた。人志も聞かされていなかったらしい。
「彼女とかそんなんじゃねぇよ」
秀明が異常なまでに慌てる。
「名前は?歳はいくつ?写真とか無いの?紹介してよ!」
人志が質問攻めにする。恋愛の話には敏感な時期だ。
「ゆりあ。十六だって。森林公園で何回か会ってるだけだし、連絡先は聞いてねぇ」
公園で練習している所にゆりあが訪ねてくるらしい。
「シュウちゃん携帯止まってるもんねぇ」
人志が同情する。
「そりゃお前、彼女が可哀想だ。携帯の料金ぐらい早く払え」
「いいなぁ。青春だなぁ」
「かわいいの?」
人志が食い下がる。
「まぁ・・・な」
秀明が照れている。マイクは笑いをこらえた。
「芸能人で言うと誰に似てる?」
さながら人志は芸能リポーターだ。
「え?芸能人?誰だろ?・・・ゆりあよりかわいいのっているかな?」
「マ、マジ?」一同に何とも言えない空気が流れた。
「マイクさん、そろそろ本題を話しましょう」
圭介が話題を切り替えた。
「ええ。もうちょっと聞いてみたい気もしますが、そうしましょうか」
マイクはそろそろ秀明を開放する事にする。
「なあ人志。二枚掛けは出来るだろ?」
マイクは人志に向かって尋ねた。人志のDJスキルは大よそ把握している。
『二枚掛け』とは、左右のターンテーブルで同じ曲をかける事を指す。片方のターンテーブルで音を出し、進んできたら別の一方から音を出して最初から始める。こうすると、曲の中の同じ個所を、継ぎ目なくループできる。
「できますよ。やってみましょうか?」
人志はDJブースの方を見て腰を上げた。
「ちょっとやってもらえるか?曲は何でもいい。歌が入っていない部分を八小節で二ターン」
人志はすぐに理解したが、秀明だけは何が起こるか分かっていない様子だ。
片方のターンテーブルで八小節流したら、別の片方でも同じく八小節、合計で十六小節プレイするという意味だ。
「ホワイトな曲を選べよ」
『ホワイト』とは、BB法に抵触しない曲を指す。Ban Black Musicの逆なのでうまい表現だ。
人志は慣れた手つきで各種の機材を確かめると、ヘッドフォンを装着して全員に告げた。
「じゃ、いきますね」
人志はジャズのナンバーからチョイスしたトラックを流し始めた。ジャズはBB法でダンスミュージックとされておらず、規制の対象外だ。
八小節流したところでミキサーを操作して繰り返す。曲を繋ぐときにスクラッチを入れてきた。なかなかうまい。
最後はスクリーミン・ジェイ・ホーキンスの嗄れ声が入った。どこでサンプリングしたのだか、洒落が効いている。
「どうします?続けます?」
人志はもっと続けたそうな様子だ。
「悪いけど、人志はそのまま待っててくれ。シュウ、お前はフリースタイルでラップできるか?」
「何だか分かんねぇけど、練習してるからできるぜ」
先ほどと同じ曲を人志がプレイした。
秀明はマイクに服を貰って嬉しかった気持ち、久しぶりに仲間がザイオンに集まった喜びをラップした。
内容はとてもコミカルで、秀明のリラックスした気分がよく表現されていた。
マイクは圭介にアイコンタクトを送った。圭介も目線で『OK』と示す。
「うちの店でMCバトルをやろうと思ってる」
「おお!」
「おお!」
秀明と人志が同時に声を上げた。
「DJは人志にお願いしたい」
人志は自分の顔を指さして驚き顔だ。
「そう。人志、さっきの要領だ。やれるか?」
先ほどのプレイならば合格だ。
「緊張するけど・・・頑張ります!」
この数か月で人志は人間としても成長した。決まった時間に店に来て、掃除をはじめとした開店準備をする。店の設備を使ったDJの練習は労働の対価だ。
最初は奥歯を強く噛むようにしてやっていたが、最近は吹っ切れた様子を見せている。
「シュウはラップできるよな?」
「おうよ!」
さも当然といった風情で秀明が鼻息を荒くしている。秀明は緊張とは無縁だ。
「バトルって事は、他にもMC呼ぶの?」
秀明は他の出演者を気にしている。表情は早くも戦闘モード。
「何人か心当たりがある。出演交渉は俺がやっておく」
BB法の施行当初、国内の主だったヒップホップアーティストは逮捕されてしまった。実刑の判決を受けて服役中の者、釈放されてもブラックリスト入りして活動できない者も多い。
「BB法ができてから、こういうイベントは日本で初めてだと思いますよ。ほんとに楽しみだ」
圭介には企画の段階から随分と世話になった。中古のパソコンを人志に譲ってくれたのも圭介だ。
「デビュー前でマークされてないMCがまだまだ居る。シュウと同じ立場だ」
彼らも活躍の場に飢えている。
「かわいそうにな~」
秀明が共演者に同情した。
「お?他人の心配なんてシュウにしちゃ珍しいな」
「いや。せっかくお待ちかねのイベントに出るのに、俺に負けちゃうんだぜ?可哀想だろ」
こいつはバトルに向いている。




