異国の少女
外からの物音が聞こえ、目が覚めた。寝た時は固いベッドだと感じたが、ぐっすり眠れたようで体の疲れが取れている。
「ん……まだ、夜明け前、か…」
カーテンのない窓から外が見える。空はまだ白んでいる程度で、日は出ていない。ベッドから出て伸びをして体をほぐす。普段より早く目覚めたが眠気もなくすっきりとしている。
窓の外を見ると、噴水とこの家の間のあたりで二人組とピリカが何かしら会話をしているのが見えた。表情は見えないし、話し声も聞こえない。窓を開ければわかるかもしれないが、日の出まで外に出るなと言っていた。もしかしたら、窓も開けないほうがいいのかもしれない。
「……ウィルに、相談すべきかな」
一人で行動して問題を起こすよりはウィルに助言を求める方が早いだろう。部屋を出て隣のウィルの部屋に入る。こちらはカーテンが閉め切られており薄暗い。外がそれなりに騒がしかったのにウィルは布団の中で変わらず規則的な寝息を立てていた。
「ウィル、ウィル。外でピリカさんがなんか、言い争ってるんだけど…」
眠っているウィルをゆすって起こす。ウィルは不機嫌にしながらも目覚めてくれた。
「んあ……なんだよ…わざわざ起こさなくっても…そんなのよくあるから気にすんな…」
寝ぼけているようでうっとうしそうに布団を被り直した。朝は苦手らしい。
「よくあるって…助けなくていいのか?」
言い合いをしているのなら喧嘩に発展するかもしれない。そんな俺の不安をよそに
「師匠ならこの国の軍相手でも傷一つ作らずに帰ってこれるよ…。俺たちが行っても無駄だ。あきらめて……」
寝入ろうとするウィルが何かに気づいたようにのそりと起き上がる。特に何も起きていないと思ったが、
「甘い、匂いがする…?」
ピリカやリリアと違う、蜂蜜のような匂い。ウィルはピンときていないようで何言ってるんだという顔をしてきた。
「一階から物音がする。見に行くぞ、アレク」
どうやら俺が聞き逃した物音を聞き取ったらしい。布団の上に置かれていた毛布を俺に渡し部屋を出るウィル。ついていきながら毛布を肩にかけ
「ピリカが魔法を張ってるなら、侵入するなんてできないんじゃないか?」
俺たち以外に住人がいるのか。いや、三階はなかったしウィルとピリカ…とリリア以外には会わなかった。
「難しいが、不可能じゃない。師匠の魔法は夜の間しか効かないし日が出れば誰でも出入りができる。もう日が昇ったのかもしれないな」
あくびをしながら説明してくれた。まだ眠気は抜けていないらしい。多少ふらつきながら一階を見る。
お前も見てみろと視線で促されたのでウィルの後ろから覗く。一階の中心辺りに一人の女の子が座っていた。
赤髪の女の子だ。俺たちと同じか、年下ぐらいに見える。かわいらしい雰囲気の女の子だ。
「------」
女の子が何かしら喋った。別の国の言葉なのか理解できない言語だった。
思わずウィルを見るがウィルも分からないようで苦笑いをされた。
「知り合いか?ウィル」
ウィルの知り合いかと思って問いかけたが、玄関がガチャリと開いた。
ピリカが帰ってきたようだ。女の子を見て小さくため息をついた。
「どこのお嬢さんかな?」
どうやらピリカも知らない子らしい。
女の子は困った顔であたふたしている。身振りで言葉を伝えようとしたがうまくできないらしい。
「---、---、---」
ピリカがいくつか単語を並べていく。どうやら外国語を羅列して知っている言葉がないか確かめているらしい。
「……----」
女の子が困惑しながらも答えた。どうやら当たりがあったらしい。
ピリカが何かを話し、少女の頭に手を置いた。そして、何かしらの魔法をかけたのか少女はへたり込む。頭を押さえて痛がっているようだ。
「悪い悪い。でも、これでやっと言語が通じるだろ?俺の言ってること、分かる?」
笑いを堪えながらしゃがみ頭を撫でている。どうやら魔法で言語を理解させたらしい。
「わ…わかりますけど…え?なんで?」
少し怯えた様子の少女。自分が別の国の言葉を話していることにも戸惑っている様子だ。
「よし、魔法が効いたみたいだな。効かなかったら問答無用で酒を奪って放り出してたけどな。ウィル!この子誰?お前のツレ?」
ピリカが俺たちに問いかけた。ウィルが首を振って否定し、横にいた俺もついでに否定した。どうやら、今ここにいる者で彼女と知り合いはいないらしい。
「え?じゃあお嬢ちゃん、なんでうちに?その酒って蜂蜜酒?」
ピリカが不思議そうに問いかけ、彼女の腕に抱かれていた酒瓶を指さす。蜂蜜酒という酒は聞いたことがないが、確かに蜂蜜のような色をした液体のようだ。あの甘い匂いはあの瓶から香っていたのだろうか。
「あ、あの…このお酒をリリアさんって名前の女性に渡してほしいと言われて…知りませんか?」
少女が警戒しながら辺りを見回す。この子は、リリアがどんな人なのか、知らないのだろうか。
「あぁ、なるほど。リリアは明日…いや、もう今日か。昼ぐらいには戻るよ。だからそれまでは」
ピリカが納得したように立ち上がり、少女が抱えていた瓶をひょいと奪った。少女が「あっ!」っと声を上げたがピリカは酒瓶のラベルを読んでにやりと笑い
「確かに蜂蜜酒だ。リリアが戻るまで預かっておいてやるよ。それまではウィルとアレクと町でも散策して来い。任せたぞ、ウィル」
と言ってあくびをしながら瓶を抱えたまま二階へ上がっていった。おそらく夜通し起きていたのだろう。随分と眠そうな表情だった。
「えー!?俺ですか!?ちょっと…ピリカ様!」
ウィルが不満げな声を上げながら二階へと追いかけていく。抗議でもしに行ったのだろう。残された俺と少女の間に沈黙が流れる。
自分と同じか年下の少女と話す機会なんてなかった。話したことがある異性は城のメイドぐらいだしほとんどのメイドに怖がられていたから経験が圧倒的に少ない。
「……その耳、本物?」
沈黙に耐えかねた少女が口を開いた。咄嗟に頭に生えている耳を触る。リリアに耳が見えなくなる魔法をかけてもらっていたが、もう解けてしまっているらしい。
「……この耳が、見えるのか」
耳が見えているのなら、この少女にも怖がられてしまうのだろうか。異質だ、異常だ、と。
「え?普通は見えないものなの?でも、かわいい」
少女の言葉は予想に反して、好意的なものだった。どうやら、怖がられてはいないらしい。
「魔法が切れたのか…まあ、いい。俺はアレク。君は?」
この耳と同じ者はいないが、獣の体を持つ人間は少なからずいるらしい。国外から来たメイドや兵が言っていた。『アレク様の耳は特別なものですが、異質なものではありませんよ』と。王は何度言われても聞かなかったらしいが。
「私は…えっと、あの…私は…マリーです」
少女は迷いながらもマリーと名乗った。おそらく偽名だろう。詳しく問いただしたところで意味はないので追及はしないでおく。
「マリーね。この耳は、あんまりいい思い出がないんだ。できれば、触れないでほしい」
今更好意的に受け止める人が現れたといっても、今までに受けた差別的な視線を忘れることはできない。できれば触れないでほしい問題だ。できることなら見えないほうがいいぐらいだ。
「あっなんでアレクが仲良くなってるんだよ!僕もかわいこちゃんと話したいのに!」
二階から降りてきたウィルがうらやましそうに叫んだ。どうやらウィルもこの子が気になっていたらしい。
「初めまして。私はマリー。ウィル…で、合ってる?」
マリーがお辞儀をしてにこりと微笑んだ。幼さの残るかわいらしい笑顔だ。
「うんうん!合ってるよ!僕はウィル!よろしくね、マリーちゃん!」
ウィルもお辞儀をして差し出された手を握った。明るい笑顔に若干引いているようだがウィルにも好意的な視線を向けていた。
俺と会ったときはこのガキは誰だとか言っていたのにな。
「俺の時と違う…」
つい言葉が漏れる。ウィルは女の子好きなのかもしれないな。
「で、街を案内すればいいんだね?」
ウィルが用意した朝食を食べながら話を続ける。昨日のスープの残りとロールパンのサンドウィッチだ。中に入っている野菜は見たことのないものだったが味はいいので問題はないだろう。
「ここって、なんて名前の国?」
マリーが質問をした。どうやら国の名前すら知らなかったらしい。
「ここはフォレスティア。大陸の北側にある国で、ロニーって町。交易が盛んな街だからほかの街よりは栄えてるよ。俺らが店を構えてるのは中心地にある噴水広場の一角、魔法使いの薬草店って名前の店だ」
ウィルがより詳しい説明をしてくれた。この店は薬草を売っていたのか。学校だと思っていた。
「案内って言われてもな…。あっ街で買い物でもするか。アレクの服がないし、マリーちゃんもほかに持ってないだろ?」
何をするか悩んでいたウィルだが、俺を見て提案した。確かに、俺は元々着ていた上等な服しか持っていない。ウィルの服だといささか大きいだろう。
「俺、お金持ってないんだけど。ウィルが出してくれんの?」
元々着ていた服を売ればそれなりの金になるだろうがそれだけでは足りないだろう。マリーも酒瓶以外に持ち物はなさそうだし金を持っているようには見えない。
ウィルは不安な俺をよそに自慢げにふふんと笑い
「師匠から預かった。二人の服を揃えるくらいできるしついでに食材の仕入れも頼まれたから終わったら市場に行こうか」
と言ってと言って食べ終わった食器を洗い始めた。やはり彼は食べるのが早い。俺も残りを食べて食器を片付ける。
「洗面台が二階に上がってすぐのところにある。女の子は、身だしなみを大事にするって聞いた」
マリーには先に準備してもらおう。女の子は出かける準備に時間がかかると聞いていた。彼女も丁度食べ終わったようなので食器を片付ける。手伝いたそうにしていたがやんわりと断り二階へ上がってもらった。
「……で、ウィル。彼女、どう思う?」
洗い終わった食器を拭きながら問いかける。ウィルはよくわかっていないようで
「ん?何が?」
と返してきた。
「いや、彼女、怪しすぎるだろ。偽名だし、この国の名前すら知らない。なのに、リリアを訪ねてきた。酒を渡してほしいって、誰に言われたんだ?」
疑問に思ったことを伝えていく。ドアの音もしなかったのに家の中にいたのも驚きだ。
「誰にって、そりゃ誰かにだよ。師匠の客人は妙な魔法使いが多い。あの子は本当に何も知らないのかもしれないし、隠しているのかもしれないが、俺たちが追及すべきじゃない。だから彼女がいない今、話してるんだろう?」
水道の水を止め、生ごみの処理をするウィル。魔法を使ったのか、まとめられていた生ごみは圧縮され小さなキューブ状になりコロンとシンクに落ちた。それを拾い上げ、ごみ箱に入れる。
「ピリカが動くまで、真相は闇の中ってことか」
手を洗うウィルの横で食器を片付け終わり棚の扉を閉める。どれもシンプルな食器だが、かなりの量が棚に収められていた。おそらく夜にあずかる子供たち用だろう。
「ま、そういうこと。午後になったら師匠も起きるだろうしそれまではマリーちゃんと遊ぼうぜ。かわいいじゃん、あの子」
どうも楽観的らしい。まあ俺も悲観的過ぎるからあまり考えないほうがいいだろう。
「……かわいいのは、同意する。あれぐらいの女の子と接するの、初めてなんだけど…」
俺が言うとウィルは笑って
「お前ほんとに城から出たことないんだな。あんまり考えすぎなくていいだろ。さ、俺たちも着替えないと。外に出る時ぐらいはちゃんと耳隠さないとな」
と言って二階へと上っていく。やはり耳が見えるようになっているらしいな。俺も後に続いて上る。
ウィルの部屋に入り、クローゼットから服を何着か出された。シンプルなデザインのシャツとズボンだ。
「その辺が小さくなった服だ。お前ならちょうどいいだろ」
確かに小さくなった服なら俺にちょうどいいだろう。とりあえず今着ていた服を脱いで差し出された服に袖を通す。
「ウィル?アレク?タオル使っちゃったんだけど、どうすれば…」
突然、マリーの声が聞こえた。振り返ると平然とした顔をしているマリーがドアを開けたようだ。
「あっ」
俺もウィルも着替え中だ。みるみるマリーの顔が赤くなっていく。
「ま、マリーちゃん。人の部屋に入る時はノックしような?」
動揺したウィルが服を直しながらマリーを外に追い出す。
「普通は着替えを見られるのが恥ずかしいんだったな」
すっかり忘れていた。自分で着替えとかを行っていたが貴族は人に手伝わせて着替えや入浴をする。庶民は人にむやみに肌を見せないものだったな。
「恥ずかしいていうか、さすがに女の子に見られるのは抵抗あるかな。さっさと済ませよう」
よく見るとウィルも赤くなっていた。ウィルは俺からの視線を隠すように、帽子を押し付けた。