005 薬草と脅威
明けましておめでとうございます。
皆様はどの様なお正月を楽しまれたのでしょうか。
私はいつもと変わらぬ正月になりましたが、英気を養うことが出来ましたので、本年も頑張ってまいります。
トアとフラドの二人は森の中を歩いている。
昨日トアが倒れていた場所から北へ少し進んだ場所に群生地帯が有ると道具屋の店主が教えてくれた。
「はぁ、はぁ…こんな事ならこの森に居た時に教えておいてほしかったな…」
「仕方ないのぅ。
そのような物が近くに有った事など先程初めて知ったことだからのぅ」
フラドの言う通り、知らない事を言っても意味の無いことなのだが、愚痴が口をついて出てしまう。
それも此処までの道のりの過酷さから出てしまうのである。
崖を下るのは気をつけていた事と必死について行っていた事も有り、気にしていなかったが色々と正常な判断が出来るようになった事で急な斜面を登る事の大変さを思い知ってしまったトアであった。
「キッツ!…こんな山登りとかっ…学生…の時以来なんだけどっ…ゲホッゲホッ」
「…大丈夫…では無さそう…だのぅ?」
トアを見てそんな事を言うフラドは残念な物を見る目をしているが、疲れや体力の衰えなど全く感じさせないしっかりとした足取りをしている。
そもそも普段からデスクワークをしている人間がいきなり標高一八〇メートル程の山登りをすれば普通は疲れもする。
「まぁもう直ぐ崖上。
一踏ん張りせんとのぅ」
「そこは…少しっ…くらい、手を引いて……くれても…」
そこまで口に出して気付いてしまった、フラドはどう見ても立派な高齢のおじいさんで、自分はまだ働き盛りの若者?であると。
それに気付いてしまったトアは、少し微妙な表情になり溜息を一つつくと再び文句を言わずに斜面を上り始めたのだった。
「つっ!着いたー!!ぜはー、ぜはー…ごほっ」
「何を言っておるのかのぅ?
まだ崖を登っただけで目的の場所まではまだまだ有るんだがのぅ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!はぁはぁ…きゅ、休憩させてくれっ!」
「情けないのぅ…それでも男なのかのぅ?」
「はぁはぁ、し、仕方ないだろ?
それでなくても普段からデスクワークでっ…はぁはぁ、身体を動かすのなんて十年ぶりくらいなんだから…」
「…仕方ないのぅ…夕暮れまでにはまだ時間もある事だし少しだけ休憩にするかのぅ?」
「あ、ありがとう。助かるよ」
ゲーム会社等何処でも同じような物なのだが、デベロッパーはそれが更に酷くなる傾向に有る。
休み?何それ美味しいの?的な程不具合が有れば急な呼び出しを喰らい出社。
平日も良くて一一時間、殆どが終電で帰るのが当たり前の状態で酷ければ何日も泊りがけ等当たり前の世界である。
そんな状態の現場で仕事をしていれば嫌でも病気にもなるしトアが鬱になったのも頷けると言うものだ。
そしてそこで働く人達が身体を動かす時間が取れるのかと言えば、まぁ察しの良い方々には分かるとは思うが有る分けがない。
例え休日が有ったとしても泥のように眠りにつき一日ぼーっとして過ごしたいと言う思いも頷けると言うものだ。
話が逸れてしまったが、普段の運動不足が祟ったトアはフラドから休憩の許しを得て、その場に座り込んで荒い息を整えだした。
「お前さんちと動けなさ過ぎるのぅ。
少なくとも、もうちぃと体力を付けんとのぅ」
「そんな事言っても直ぐに体力付ける事なんて出来るのかよ?」
「そうは言ってもお前さんはこれから薬草を取る仕事をこなしていくとなれば必要な事であることは分かっておろう?」
「まぁそれに関しては一理あるけど…」
「まぁ直ぐに体力をつけろとは言わんが、出来る限り早く体力をつける事をオススメするのぅ。
そうしなければ、お前さんは直ぐに命を落とす事になるからのぅ」
命を落とす。
その言葉はフラドにとっては軽く放たれた言葉だが、どこまでも重みを感じる言葉である。
今までの世界ではそれこそ交通事故や病気等と言った物に遭遇しなければ命を落とす場面などそうそう無いが、この世界ではそれは隣り合わせにある物だ。
だからこそトアが体力をつけ直ぐにでも自身の身を守れるだけの力を身に着けなければならないのだ。
しかし、トアはこの世界に来てまだ丸一日。
この世界の危険性等全く知らない為問題を先延ばしにしたいと考えてしまうのも仕方ないのだろう。
その後も取り留めの無いような話をして三十分程休憩した後にトアはフラドに促されて森の奥へ向かって歩み始めた。
先送りにした考えを直ぐに思い直す事になるとは知らずに。
しばらく森の中を進んでいると色々な物へ視線が向く。
昨日はフラドに急かされていた事も有り、周囲へ意識が向かなかったトアだったが、冷静に思考出来るようになった今のトアの目には様々な物が目に飛び込んでくる。
動植物達は地球のそれとは同じようにも見えるが、見たことの無いような色や形から興味が尽きることは無い。
トアにとっては地球のそれとは少し違うとは思うがはっきりとした違いが分かる程の知識が有るわけではないため詳しく調べたり足を止めたり等はしないが、研究者達からすれば世紀の大発見の連続で世紀の大発見のバーゲンセールの様なものだ。
そんな事とは知らずに慣れない森の中を歩いている為少しずつ息が荒くなっていくトアは先を歩くフラドについていく。
「なぁ。こっちで本当に合ってるのか?
さっきから同じところを歩いてるような気がするんだけど?」
「うんむ。同じ様な場所では有るが、先には進んでいるのよのぅ」
「はぁはぁ…そうなのか?でも昨日通った時はもっと静かだったような気がするんだけど?」
「それは少々気になる事だがのぅ。
まぁ、間違いなく先に進んでおるよのぅ。
その証拠にほれ」
フラドが促す視線の先にはトアが倒れていた付近に合った湖らしきものが見えてきていた。
勿論一度しか見ていない湖を角度が変わった事もあり覚えている訳がないのだが、同じような景色が終わりを告げたことに安堵したトアだった。
「湖か…はぁ。
ちょっと休まないか?」
「またかのぅ?
先程も休んだばかりだったはずだが、もうへこたれたのかのぅ?」
「先ほどって、二時間くらいぶっ続けで歩いてるんだから疲れるに決まってるだろ」
「仕方ないのぅ。
あと少しで目的の場所に着く筈だから、そこまで行ってからにすると良いのぅ」
「えー。まぁあと少しだってんなら良いけどさ…」
疲労の色が見えるトアの顔を伺うが、これまでに掛かった時間を考えると余りゆっくりしていられないと判断し目的地で薬草を取り終えてから一休みさせようと考えたフラドの返答にトアは不承不承納得し歩みを続けた。
程なくして開けた場所にたどり着いた先には一面の花畑が咲き誇っていた。
白く小さめの花で地球ではアルニカと言う花に似ており兎の耳の様な形の花びらが特徴だった。
「此処が薬草の群生地で間違い無さそうだのぅ」
「やっと着いたー!もう駄目歩けない。
ちょっと休憩させてくれ」
「仕方ないのぅ。しばし休んでおれ…と言いたい所だが、わしの後ろから離れるでないよのぅ」
そう言うとフラドは剣呑な表情で周囲を見回し始め同時に何処からかともなく子供の身の丈程も長さの有る一振りの白銀に輝く長杖を取り出していた。
どこから出したのだろうと思う間もなくトアはフラドの真剣な眼差しに気圧され荒い息を整える事も忘れフラドの元へかけて行った。
「わしの後で身を固めておれ」
「どうすれば良い?」
「…腰を低くくして頭を下げておれば良い。後はその場から下手に動かんことよのぅ」
「わ、分かった」
フラドが見つめている方向へ息を殺しながら
程なくして森の中から姿を表したのは大型の赤い犬だった。
サバンナの王者ライオンと同じくらいのサイズは有ろう体躯からその脅威を認識できるだろうが、何より恐ろしいのはその数である。
同型の赤い犬が合計六頭現れたのだ。
地球では動物園くらいでしか見たことの無いような大きさの動物が六頭檻にも入っておらず、鎖にも繋がれていない猛禽類が野を闊歩しているのだ。
恐ろしくない筈が無い。
しかもこちらの様子を伺うようにギラついた瞳をこちらに向けて荒い息をついているのだ。
トアも息を荒げていたがそれとこれとは全くの別物だ。
そして互いに目を合わせている中大型の赤い犬達は一匹を残してジリジリと距離を詰めるように周囲を回り始めた。
フラドは周囲の赤い犬達を警戒しながらも眼前から動かない赤い犬から視線を外さないようにして手に持った白銀の長杖を片手で水平に眼前に向けると小声で何かを口にしだした。
「大いなる恵みよ。その御手から零れ落ちる数多なる力を貸し給え。
我が眼前の潤いを拒みしかの者への救済とならん事を」
水平に持った杖の先端に赤く光る模様が浮かび上がったと思えば白銀の長杖の先端から水がゆっくりと滴り落ちるのが見える。
更にその水は地面に大きな水たまりを作るかと思われたがまるで見えないホースの中に有るかのように紐状になっている。
「ローア・グ・アークト」
「キャインッ!」
「キャウン」
フラドがその一言を発し終えると同時に長杖の先端を振るうようにしてぐるぐると三度回しだした事で、先端に連なっていた水がまるで鞭の様に周囲を囲んでいた赤い犬達を裂いていく。
ジリジリと距離を詰めていた赤い犬達は今の水の鞭によって水平に切り裂かれてスライス状に地面に横たわった。
「グルルゥー……」
「残ってるのはお前さんだけだのぅ?どうする?
「ガァッ!」
一定の距離を取っていた赤い犬はそれを見ると同時にフラドへの警戒を露わにしたが、フラドからの挑発には乗らず一声威嚇だけをしてそのまま後ずさる様にして森の入口へ差し掛かると一声あげて去っていった。
そして去っていった方向を睨むようにしてフラドは構えたままの姿で立ち止まっている。
「………」
「お、おい?どうしたんだ?」
トアは犬が去っていったにも関わらず警戒を中々解かないフラドが気になり声をかけたが、帰ってきたのは周囲の森を睨むように目つきを鋭くするフラドの表情だった。
そして五分程して赤い犬が去っていった先からは遠吠えが聞こえてきたと同時に周囲の森の中の気配が無くなったのかフラドが息を漏らすのが聞こえた。
「ふぅ。
やっと去ったのぅ」
「え?あいつらまだそこに居たのかよ?」
「んむ?気付いとらんかったのかのぅ?
森から姿を出したのは偵察の様なものだったんだろうのぅ。
森の中にはまだまだ気配が沢山あったから警戒しておったが、先程の遠吠えを機に去っていく気配がしたのぅ」
「それは良かった…でもさっきの奴ら一体何だったんだ?」
「先ほど見たものは魔獣だのぅ」
「あれが魔獣…あんなのが…」
魔獣。
この世界の人々を襲いその生活を脅かす存在で有る。
そのような存在を見たことが無かったトアだったが、その脅威だけは脳裏に深く刻まれた。
何を隠しても未だに腰を深く落としたままと言うか、腰を抜かして尻もちをついている体制なのだ。
フラドが追い払っていなければ、もし赤い犬が一斉にフラド達に襲いかかっていれば逃げることの出来ないトアはたちまちその脅威に身を裂かれて居たことだろうと言う想像が頭をよぎって顔を青くするトアだった。
「さってと。さっさと目的のユポンの花とシーラスの花を取って帰るとするかのぅ」
「あ、あぁ…」
恐怖に腰を抜かしているトアを促し無理やり立ち上がらせると薬草採取を始めた。
そして魔獣の事も有ったが、薬草採取が思いの外重労働で急いで体力作りを始めとした筋トレを行おうとトアが心に決めるまでにそう時間はかからなかった。