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早春物語  作者: 綿花音和
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先生Ⅱ

 先生の様子は、少年のようで突き放せない危うさがあった。これまで私に、家庭教師としていつも距離をもち紳士的に、親身になってくれていた先生。私の心を捉えて離さない人。ときどき遠くなったり近くなったりしながら、私たちは今日まで結びつきを強めてきたのかもしれない。

 見つめ合っている時間は一瞬にも永遠にも思えた。


「先生、そろそろ限界です。心臓が爆発しちゃいます」

 目を離したくないのを誤魔化して、先生から視線を逸らした。

「美夏さん、ありがとう。僕を拒絶しないでくれて」

 震えながら彼は私の頬から手を離した。その顔に、いつもの優しさ穏やかさが戻ってくるのを感じた。

「急にびっくりしただろう。ごめん」

「謝るくらいならしないでください」

 私はきつく咎めた。

「先生はずるいよ。急に危なっかしい表情をするから心配で動けなくなっちゃった」

「あなたは僕が思っていたより、ずっと大人だったのかもしれない。星に惹かれるように、憧れてしまう」

 神妙に発言した先生に、

「はい?」

 心が追いつかず聞き返していた。

「なんだか肉まんを食べたときみたいに心がほかほかだ」

 先生は初めて大きな口を開け歯を見せて笑った。私の純情は肉まんなのか? と思ったが、先生が笑ってくれたので、動悸も吹っ飛ぶくらい嬉しかった。


「私立高校合格おめでとう。特進コースにも合格したんだってね。自慢の生徒だ」

 お母さんに思いを寄せていた少年時代の先生。望んでも重ならない時。担任と生徒という関係は、今も二人の心の奥では変わっていないのかもしれない。自分の胸に分からない黒いものがある。だけど私は、肉まんの笑顔を信じたかった。


「芳原先生、ありがとうね。娘にここまで実力がついたのはあなたのおかげだわ」

 お母さんが玄関で深く頭を下げた。

「まだまだ油断大敵です。第一志望の公立高校に合格するまで美春先生、美夏さん頑張りましょう」

「残り少ない受験勉強の日々。気を抜かないようにします」

 気合を入れなおした。


 芳原先生は手をひらひらさせ、そのまま帰ると思っていた。だが、今夜は違った。

「美春先生、僕を美夏さんの家庭教師に選んでくれてありがとうございます」

 そう母に礼を言ったのだった。

「こちらこそ。私もあなたを娘の先生にしてよかった」

 母は淋しげに優しく微笑んだ。


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