先生Ⅰ
勉強机に向かい浅く座って、深呼吸する。芳原先生がいつものように遠慮がちにノックする音が聞こえた。
「美夏さん入っていいですか?」
「どうぞ、先生。お入りください」
先生を部屋に迎えて、ひそかに練習した自分に出来るとっておきの笑顔を作る。
「美夏さんは大人に近付いていくみたいだね。若いときの時間は進むのが速いんだな」
先生は呟く。淋し気な表情が気になった。先生から陰りはすぐに消えて、私の前に凛々しく座った。
「私立高校は合格していましたか」
銀縁眼鏡のつるを直しながらたずねられた。
「芳原先生、初めて合格通知を手に入れることができました! きっとお守りのお陰です。ありがとうございました」
胸の中は合格の喜びと感謝の気持ちでいっぱいだった私は、椅子から立ち上がりお辞儀をした。
「貴方が頑張ったから、当然の結果だよ」
先生は手柄を認めずに誤魔化すように小さく笑い出した。突き放された気がして腹が立った。
「先生がいてくれたからです」
私は頬を膨らませた。すると先生はあろうことか私のほっぺたを両方に引っ張り、もてあそび始めた。
「しぇんしぇいにゃにしてるんでしゅか?」
「柔らかくて掴んだら気持ち良さそうだなと思って」
不意の悪戯が嫌ではなく嬉しくて困った。先生の大きな手を引っ剥がさないとと思い、私の掌を重ねようとしたそのときだった。
先生の手のひらが頬を優しく包んだ。眼鏡の奥の目が私をじっと見ている。心臓が早鐘のように鳴り出した。芳原先生どうしたんですか? と訊ねる余裕などなかった。先生から目が離せなかった。先生が笑いながら泣いていたからだ。
「美夏さんもう少しだけこのままで居させて下さい」
先生は絞り出すように言った。
「はい」
頷き、私は身体の力を抜いた。彼を信じていた。私をここまで照らしてくれた先生。時々淋しそうな顔をするこの人を知りたかった。




