その7
お待たせいたしました。前話から二ヶ月も開いてしまったのですが、これからはある程度定期的にUPできると思いますので、よろしくお願いします。
朝、教室に行くと、最近では毎度お馴染みであったのだが、俺の席に岩崎はいなかった。それどころか教室にすらいなかった。ただし学校には登校済であるようで、岩崎の席の上には岩崎のものらしきかばんが置いてあった。
ここだけの話、俺は自分の第六感の正確性をそこそこ信じていた。ことに嫌な予感には天気予報以上の正確性を自負している。その、俺の第六感が俺の頭の中でけたたましい警報を鳴らしていた。嫌な予感がする。特に理由はない。岩崎が教室にいないというだけである。しかし、それが一番の理由であると呼べるだろう。
あいつがどこか駆け回っていると思うととてつもなく気持ちが悪い。理由はどうあれ、あいつには俺の目の届くところにいてもらいたい。誤解されそうな言葉ではあるが、その言葉の真意は、何てことない、ただ単純に俺の目の届かないところで好き勝手振舞ったあいつが何かしでかして、俺に厄災を持ってきそうな気がするだけだ。他意はない。
やれやれ、などとえらくマイナス思考な言葉を吐こうとして、すんでのところで飲み込んだ俺は、自らの席に着こうとしたところで、ある人物が視界に入ってきた。
その人物は、いつ何時も不機嫌な(もしかして俺の前だけか?)隣の席のクラスメート、真嶋綾香である。
最近は時を共にすることが多くなっているのだが、俺は声をかけたりしない。静かにイスを引き、着席する。どうやら真嶋は俺の登場に気が付いていない様子。
この女、授業での態度や友人の多さなどを鑑みるに人間的にできた性格のようだが、どこか抜けているという印象を受ける。どれだけ俺が音を立てずに登場しようと、隣の席なのだ、普通は気付く。岩崎ならば教室に入ってきた時点で気が付く。しかし、自らの手元をじっと見つめている真嶋は一向に気が付きそうにない。
今気が付いたのだが、真嶋はかばんから教科書や筆記用具などを取り出している。授業の準備をしているのだ。動きがえらく緩慢で固まっている時間のほうが長いため、はっきり言ってボーっとしているようにしか見えなかった。
しかしどうしたのだろうか。何か考え事でもしているのだろうか。そういえば占いの後も少し様子がおかしかったな。思いつめているというか、思考の旅に出ているというか。とにかく話しかけにくい状態だった。話しかけないけど。
とまあ、散々気にしているような描写をしてきたのだが、正直俺はちっとも興味がなかった。真嶋だって年頃の女子なんだし、思いつめることもノイローゼになることもあるだろうよ。あるいは俺の考えが及ばないような事態が起こっているのかもしれないが、それは俺には関係ない。関係ない人間が心配したり妙に構ったりするのはもはや余計なお世話でしかないのだ。
真嶋の観察を適当に止めると、俺はかばんの中身を机の中へと移し始めた。一応毎日教材を持ち帰っては予習復習をしているわけなのだが、どうにも面倒になってきたね。まあ、やらなくてはならないほど勉強に困っているわけではないので、止めてしまえばいいのだが、一度やり出すと止めにくくなってしまうのは俺の精神面の弱さからくるものなのだろうか。
すると、隣からバタン、という音が聞こえてきた。どうやら真嶋が教科書を落としたようだ。俺は、巣穴の入り口付近で見張り役になったプレーリードッグのように、その音に反応してそっちを見ると。教科書を拾う真嶋を目が合った。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
固まった真嶋。それにつられるように固まり、若干冷や汗を流しながら肌で嫌な予感をぴりぴり感じている俺。そして、
「あ、な、ななな、成瀬!あ、あんた、いつ来たのよ!」
いつの間に(真嶋の心情的に)来ていた俺に驚いた真嶋は、朝の比較的賑やかな教室内ですら響き渡るくらい見事に叫んだ。
驚きすぎて軽くパニックになっている真嶋はイスを蹴飛ばしながら立ち上がると同時に勢いよく肘を机にぶつけかばんを逆さまに落とし、中身をぶちまけた。
俺は思わず耳をふさぎたくなったが止めておいて、頭を抱えたくなったがそれも止めて、とりあえず、
「悪い。声かけるべきだった」
俺はクラスの注目を浴びる中、ひそかに反省した。こんなことになるくらいなら、やはり声をかけるべきだった。たぶんそれでもこいつはものすごく驚くこと請け合いだったろうけど。
「あ、いや、別に謝ってくれなくてもいいんだけど・・・」
俺が謝ったことで冷静さを取り戻したのか、足元に散らばった教科書たちを静かに拾い始めた。俺は黙ってみていたが、こいつが俺と一緒にいるとき、若干の緊張を感じるのはなぜだろうか。気のせいではないはずだが。
「ねえ」
作業を進めながら真嶋が話しかけてくる。
「何だ?」
「あれから沙耶と会った?」
突然の話題だな。
「あれから一度も会ってない」
隣のクラスの住人なのだから、一度や二度すれ違ってもいてもいいのだけど、まあ麻生だって会おうと思わなければ会わないのだから、あまり驚くことではないか。
「そう」
自分から振った話題にもかかわらず、返事がそっけない。何だかわざとそうしているような感じだ。ひょっとして、
「まさか、責任感じているのか?」
正直にそう感じた。もしそうならばそれは誤解だ。その辺は正さなければならない。しかし、
「ば、バカ言ってんじゃないわよ!」
またしても、ものすごい怒鳴られた。余談だが、こいつが他のやつに怒鳴っているところはあまり見たことないな。
「あ、あたしは別に悪いことしてないし」
全くそのとおりだ。
「確かにな。悪いのは俺だ」
いやいや、自虐ではない。本心だ。それもどうかと思うが。
「べ、別に成瀬が悪いって言ってるわけじゃないんだけど・・・。成瀬も悪くないよ、本当に」
やはり、こいつは責任を感じているようだ。今のセリフもそれを意識しているのが解る。
「あんた、結構いいやつだな」
思わず口に出てしまった。当然目の前にいた真嶋にも聞こえてしまっていたようで、
「な!」
と言って、固まっていた。顔が真っ赤である。照れているのか、怒っているのか。俺には解らないが、驚いているのは間違いなさそうである。
俺は真嶋がフリーズしていることをいいことに、正面からまじまじと観察してやった。今思うと、俺は嫌われているから、という理由で真嶋のことをちゃんと見ていなかったようだ。外見も内面も、実はよく知らない。最近は時間を同じくすることが増えていたのに、それでも以前と比べて解ったことなど特にない。
その点、真嶋は俺のことをよく見ていたようだ。俺が天野に嫌われる性格であるか否かは置いておいて、俺の性格をある程度把握していないと口にできないセリフを吐いていた。
少し、俺も見習うべきなのかもな。深く関わるつもりはないにしても、相手が俺のことを知ろうとしてくれているのだ、俺もそれに応えるために微力を尽くさなくてはいけないような気がする。多少は義務があると思う。
どうしてこんなことを考えてしまったのだろうか、らしくない。そう思っていると、目の前に原因があった。
目の前にいる真嶋は以前、顔を真っ赤にしながら固まったままだった。こいつ、いつもは冷静沈着で隙なんてまったく作らないのに、今はかなり隙だらけだった。こいつのこういうところを見たら、クラスの連中にも今以上に好かれるに違いない。そしてこんなところを見てしまった俺は、世迷言というか偽善めいたことを考えてしまったわけだ。
俺は思わず苦笑してしまった。できるだけ声を殺したつもりだったが、目の前のこいつには聞こえてしまったようで、息を吹き返した真嶋に、
「な、何笑っているのよ!」
と、怒号にも似た詰問を受けてしまった。まさか、本当のことを言うわけにもいかないので、瞬時に作り話を三つほど考えたが、それはどれも使うことはなかった。
「成瀬さん、大変です!」
岩崎が、どこへ行っていたのか知らないが、教室に帰ってきた。何事だ、騒々しい。
「大変なんです!本当に大変なんです!」
すでに俺の目の前まで来ているのにもかかわらず、精一杯叫ぶ岩崎。やかましいよ、聞こえてるって。しかも何度も同じことばかり言いやがって、さっぱり解らん。いい加減続きを話せ。もしくは黙れ。またしてもクラスの連中の衆目にさらされてしまっているじゃないか。さっきも真嶋のおかげで同じような目に遭っていたのに。やれやれだ。
岩崎も岩崎で、ちっとも事の重大さを理解していない俺に苛立っている様子。はっきり言って完全に俺は悪くないのだが。そして、岩崎は嘆かわしい、といった感じで首を振った。
そこで岩崎はようやく俺の目の前にいるもう一人に気が付いた。
「真嶋さん、どうかしたんですか?顔が真っ赤ですけど?」
先ほど息を吹き返した真嶋だったが、未だ顔の赤さは取れていなかった。
「な、何でもない」
真嶋はこう言うと、両頬に手を押し当て、顔をそらした。
岩崎は理解できない様子で首をかしげた。
俺としてはこのまま何もなかったかのように、自らの席に座ってしまってもよかったのだが、さすがに無視すると後が怖い。
「それで、一体何が大変なんだ?何があった?」
俺がそう問いかけると、
「そうでした!」
岩崎は再び俺のほうに顔を向けた。そして、
「それが、大変なんです!」
と、丁寧にもそこから始めてくれた。そこはもう何度も聞いたんだが。
「だから、何が大変なんだよ」