その3
放課後、俺は一人で部室に向かっていた。
岩崎も麻生も今日は委員会があるそうなので、結構のんびりできる。まあ正直に言えば帰宅したかったところだが、この前冗談とはいえ二人の留守中はいったい誰がTCCを守るのだ的な発言をしてしまったので、仕方ない。自分の言葉にはある程度責任を持たなければならないと、俺の脳の片隅で言っていた誰かの発言に素直に従うことにした。
しかし、俺のわずかな善意もあまり長い間持ちはしなかった。旧館と呼ばれる古びた校舎の一角にあるTCCの部室についてから思い出す。鍵がない。
いつもは岩崎がいつの間に作ったのか知らないが、スペアキーで手早く開錠していたのだが、通常、部室の鍵は職員室に保管してあり、誰か暇そうな教師を捕まえて、そいつを取り出してもらわなければいけない。
俺は校舎と、各部屋の配置を頭の中に思い描く。ここは旧館。うちの学校の敷地の最も端に位置している校舎である。一方職員室は正門から一番近い校舎の二階に位置している。簡単に解りやすく言うと、かなり遠くて鍵を取りにいくのは面倒極まりない。
取りに行くか、などと考えたのは正直二秒ほどだ。すぐさまその考えを否定し、俺はここからある程度近くに位置している図書室に向かうことにした。
一年の前期はそこそこ利用した図書室だが、ここ半年くらい滅多に使わない場所となってしまった。俺が通っていたころから大規模な図書館改装工事がない限り、なかなかの書籍数を誇っていたと記憶している。種類も豊富で、小説・伝記から専門書や入門書など幅広い種類の書籍を扱っていた。借りて家で読むことはしなかったが、ピーク時は相当長居したことを覚えている。
図書室に着くと、特に何も意識せずにドアを開けた。すると、
「お!成瀬じゃねえか」
麻生がいた。そういえばこいつは図書委員だったな。
「何しに来たんだ?」
「図書室に来てすることはそんなに多くないだろ」
カウンターの、貸し出し、と書かれている場所に麻生が座っているのはとても似合わないな。正直何かの冗談か罰ゲームに見える。
「お前、部室に行っていたんじゃなかったのか?」
「行ったが鍵開いてなかったから中には入れなかった」
「そりゃ当然だろ。岩崎はまだなのか?」
そんなことは知らない。今考えてみたら、一人であの部室にいて客を待つなんてとてもじゃないが耐えられん。
「岩崎にばれたら結構やばいんじゃないか?」
「いつものことだ」
今気が付いたのだが、麻生の隣には返却と書かれた場所が存在していて、そこには女子生徒が座っていた。何気なくふとそっちに顔を向けると、
「・・・・・・・・・・・・・」
とても言葉では言い表せないような表情でにらみつけてきていた。俺は思わず心情的に一歩引いてしまう。すると、その女子生徒は追い討ちをかけるように、
「ここは図書室なんで私語は謹んでもらえますか?」
ときつい表情と声色で俺に向かって発言した。言葉の体裁こそ丁寧語だが、ニュアンス的には脅しに近い気がする。
そこで俺の頭にふと何かがよぎった。そういえばこの女子生徒、どこかで見たことあるような・・・。
「聞いているの?」
二言目にあっけなく丁寧語は解除された。
「ああ、すまない」
俺は、別にこのくらいいいだろう、と心の中で思いながらも、相手の言い分のほうが正しいことは間違いないので一応謝っておいた。
「気を付けて下さい」
俺としては比較的温和な態度をとって、静かに終わらせようと思ったのだが、相手の女子生徒は相変わらず好戦的な態度である。いったいなんなんだこいつは。
「悪かった。俺からも謝るよ。こいつも悪気なかったと思うし、そんなに怒るな」
二人の――というか一方的に女子生徒の――険悪な態度に、麻生が慌てて仲裁に入った。
「こいつ、俺の親友で成瀬って言うんだ」
親友とか言うな、気持ち悪い。
「で、こっちは俺のクラスの図書委員、天野沙耶」
紹介してもらって悪いのだが、俺はともかく相手はよろしくなんて雰囲気じゃない。俺にがんを飛ばしていたかと思うと、今は全く俺のほうを見ようとしない。こいつも俺のことが気に食わないらしい。
麻生のクラスというと、隣のクラスか。俺は天野沙耶と呼ばれる女子生徒を注視した。
背は座っているので解らないが、上半身を見る限りとてもスレンダーな体型をしている。
骨格そのものが細い感じだ。顔は鋭く、何となくきつい印象を与える。髪は肩より少し長いくらいで、若干赤みを帯びていて、ウエーブも少しかかっている。先ほどからどこかで見たことあると思っていたのだが、やっと思い出した。つい数日前に、うちの教室の前を通りかかった女子生徒だ。そのときも俺と目があった瞬間、にらみつけてきた。
最近にらまれることが多いな。真嶋綾香に続いて二人目か。とはいえ真嶋のほうがまだましである。真嶋はどことなく戸惑っているように、瞳に困惑の色が見て取れる。おそらくこの前の生徒手帳の件が絡んでいるに違いない。心のどこかで罪悪感が残っているのかもしれない。
だがこいつは百パーセント心からにらんでいる。生理的にというか、何か俺の行動や言動に気に食わないところがあって、嫌悪の対象になっているような、そんな感じがする。
言っている俺自身、よく解らない説明なのだが、これが俺の感じた印象である。
「何よ」
俺が注視していたことに気が付いた天野は、再び俺のことをにらみつけた。
「いや」
俺は短くそう答え、ついさっき入ってきたばかりの図書室の出入り口に向かった。
「おい、本は読まないのか?」
麻生が声をかけてきたが、俺は手を振って否定の意を表し、
「また今度にする」
そう言って図書室を出た。ああもあからさまに嫌悪感を表に出してくるやつの近くにわざわ
ざ居座ることないだろ。俺はそんな趣味ないし、もともと大した用事もなく暇つぶしに来ただけだ。
しかし俺自身そんなに好かれる人間じゃないことは自覚していたが、こうも嫌われているとは思わなかった。そもそも真嶋も天野も知り合いじゃない。関わっていない人間に嫌われるのはいささか不愉快である。
まああまり気にしないことにする。真嶋はともかく、天野はクラスが違う。関わろうと思っても関われないような関係だ。意識することもないだろ。真嶋だって関わらないように意識すれば関わらずにすむ。
そのあと、俺は部室に戻る気も起きず、かと言って他に時間をつぶすところも思い当たらないので、帰宅することにした。一応岩崎には連絡を入れておいた。