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その1

 新学期になって初めにやることは、とりあえず委員会を決めることであるらしい。もちろん俺は何もならずに一年次をすごしたので、今回も何もやるつもりはない。岩崎はどうであるかというと、どういうつもりか知らないが、誰もが避けて通りたがるクラス委員なるものを自ら率先して立候補した。


 他に立候補をしようという妙な輩がいなかったため、とりあえず岩崎は決定。もう一人は難航に難航を極め、最終的に一年のときにクラス委員をやっていたらしい女子生徒に決まった。何でか知らないが、お互いのことをすでに知っていたみたいですぐに打ち解けていた。俺の知らないところで交友関係を広げているという話は本当だったようだ。

 

 その日はホームルームだけで終わり、すぐさま放課後になった。俺が帰宅の準備を進めていると、


「成瀬さん」


 と岩崎が声をかけてきた。


「何だ?」

「クラス委員には何やらお話があるみたいなので、先生のところへ行ってきたいと思います。とりあえず部室に行っていてください。すぐに終わると思います」


 クラス委員とはやはり大変なもののようだな。というか、今日も部活があるのか?


「ああ、解ったよ」


 とりあえずそう返事をして、立ち上がると岩崎は、さっさとドアに向かった。ドアのところで待っていた相方の女子に侘びの言葉を告げると、教室の外へ消えていった。そのとき偶然うちの教室の前を通りかかった女子生徒と目が合った。そいつは俺と目が合った瞬間、目じりを吊り上げ、なんだかにらみつけるようにして俺の顔を二秒ほど見ると、目線を嫌な感じではずし、そのまま消えていった。何なんだ、あいつは。


 別に興味ないので、深く考えることなく、とりあえず部室に向かうことにした。春になって新学期を向かえたとしても未だ肌寒い。教室ってやつは何でこんなに寒いのか。廊下よりは少しましだがどうしても寒さに弱い俺にはつらいものがある。部室に行けば簡易だが暖房器具が存在している。さっさと部室に行って暖を取ろう。


 そう思って教室を足早に出た。



 部室に着くとすでに麻生が来ていた。


「よう。一人で寂しくないか?」


 俺がそう言うと、読んでいた漫画雑誌から顔を上げ、いやらしくにやっと笑うと、


「そりゃ俺のセリフだ。先に言っておくが、俺は結構人気者なんだ。少なくてもお前よりは友達もいる。寂しいのはお前のほうだろ」


 憎まれ口を叩いた。正直安心したね。こういうやり取りは俺たちの中では日常である。やはり日常ほど安心なものはない。こういった日常こそが守るべき幸せなのだと俺は改めて理解した。麻生が瞳に涙を浮かべて、『やはり俺にはお前が必要だ』などと世迷言を言い始めたらいったい俺はどうしたらいいのだ。それは自殺用のロープを無意識のうちに探しているのと同じくらい怖い状況である。


「岩崎はどうした?」


 一人できた俺をいぶかしんだのか、麻生はきょろきょろしながら言った。


「あいつなら、クラス委員の仕事で遅れるらしい」

「へぇ、クラス委員ね。あいつ、そういうのにも興味があったのか」


 別に意外でもなんでもないが。何かと世話焼きなやつだからな。ぴったりとも言える。


「そのうち生徒会長とかに立候補したりして」

「まさか」


 と俺は答えたが、正直完全に否定できるだけの証拠を俺は持ち合わせていない。うーむ、やらないとは思うが、立候補の確率は六割といったところか。


「で、岩崎の相方は男か?」

「いや女だ」

「なんだ、つまらんな」


 どういう意味だ。なんで男だったらお前が楽しい気分になる。


「委員会っていうのは、結構な出会いの場なんだぜ?お前は興味ないかもしれないが」


 出会いの場ね。ということは、委員会の面倒さを省みず、異性とのコミュニケートを求めて委員会に入るやつがいるということか。正直理解できんな。


「それで、お前は何か委員会に入ったのか?」

「おうよ!図書委員会だ」


 こんな近くにそんなやつがいたとは。図書委員会ね、全く麻生には似合わないな。一応聞いてみることにしよう。


「まさかとは思うが、お前も出会い目当てか?」

「まあね」


 やっぱりか。こいつが漫画以外の本を読んでいるシーンを想像できない。仕事できるのだろうか。


「相手の女の子が結構美人でさ。なんていうか、研ぎ澄まされた刃みたいな横顔なんだよ。触れたら切れそうな?」


 よく解らない説明だ。おそらくキツイ顔ってことか。硬質な美人とでも言うのか、その辺の言い回しはよく知らないが、たぶん合っていると思う。


「背は高くて、モデルみたいなんだよ。出るとこ出てない雰囲気だけど、まあ俺はそういうのあまり気にしないし」


 本人の前では絶対に言えない話である。


「で、どうなんだ?脈はありそうなのか?」

「いや。まだ何とも。正直俺もまだ解らないしね。恋心っていうか好奇心かな」


 どっちにしても俺には関係ない話だな。興味もないし。


「お前はどうなんだ?誰かかわいい娘いたか?」

「知らん。まだほとんど見てない」

「お前はだめだな。興味あるなしに関わらず、クラスメートの顔と名前くらい覚えてやれよ。それくらいは学生の義務と言えるぞ」


 珍しく麻生の方が正しいかもしれない。


「精一杯善処しよう」


 適当に始めた会話が一段落したとき、部室のドアが叩かれた。


「どうぞ」


 麻生が返事をすると、そいつは中に入ってきた。


「お待たせしました!」


 言うまでもなく岩崎である。


「お客さんだと思いましたか?いや、私も少し意識してみたんですけど!」


 思ってない。少しも思っていない。なぜなら、うちは閑古鳥が鳴きっぱなしだからだ。どうしても客が来たなどと思うことができない。それにしても、


「何やら上機嫌だな、何でだ?」


 と俺が聞くと、


「え?そう見えますか?」


 などと冗談めかして答えた。これが上機嫌でなければいったいなんだ。というか、これが上機嫌でなければ、上機嫌という状態がいったいどの程度まで気分が高揚するのか恐ろしい。


「いや、それは春だからですよ!」

「はあ?」

「春っていいですね、何だか生まれ変わったみたいです!クラスも学年も変わり、重いコート脱ぎ捨てて、気分一新です!新たな出会い、新生活のスタートって感じですね!何だか着ているものも全て一新したい気分です!」

「それだけでそんなに上機嫌なのか?」

「そうですが、何か文句ありますか?成瀬さんは高揚した気分にならないんですか?春に高揚しないなんておかしいです!」


 花粉症の人に謝れと言いたい。連中が春にどれだけ恐怖し、憤っていることか。それに新しい生活が始まるってことは、新たに始めなきゃいけないことが多くて、どうしてもやることが増える。そう思うと俺は憂鬱で仕様がない。まあ暖かくなるから春は嫌いではないが、この時期はまだ肌寒くて好きではない。どうせならさっさと夏になってもらいたい。余談だが、春になるたび着ているものを一新していたら、金がいくらあっても足りないだろう。その辺は気楽な学生のセリフとも言えるな。


「俺も岩崎の気持ちが解るぜ!」

「そうですよね!麻生さん」


 こいつらは俺とは違う思考回路の持ち主であることから、結構同意見になることが多い。そうなると、いつも以上に面倒な連中になる。今回もおそらくそのパターンである。


「春は成長の季節だ。つぼみが花を咲かすように、さなぎが蝶になるように、去年までの殻を破り、自らも一新できる気がする!」

「そのとおりです!去年までのうじうじした自分とはおさらば!この春からはまた新たな自分を見つけ出して、周りの皆さんにアピールしましょう!もう今までの自分とは違うのだと!」


 熱いな。少年漫画でも最近はこんな熱のこもったアピールはない。しかも内容が微妙である。対象にしているのは、不登校の学生か、もしくはニートか、そんなところではないかと俺は予想する。


「成瀬さんは冷めすぎです。最近クールな男性が人気であるのに便乗して女の子の心をわしづかみにしようとしているのかもしれませんが、成瀬さんは少々履き違えていますね。成瀬さんのはクールじゃなくてフールです!周りの気持ちを理解できないおバカさんです!」


 誰がうまいこと言えと言った。まず最近クールが人気なのかどうか俺は知らないし、俺の性格は物心ついたときにはこんな感じだったので、便乗してというところも否だ。これ以上は面倒なので割愛させてもらうが、突っ込みどころ満載だったということは伝えておこう。


「確かにな。そんなんじゃ、青春を謳歌できないどころか、老け込むのが人の三倍くらいになっちまうぞ」


 もうとても面倒なので会話に参加したくないのだが、これ以上言われるのはそこそこ腹が立つので一言だけ言わせてもらう。


「お前らは春を正しく過ごすために何かしているのかよ?」


 それがなきゃ俺と同じであるのに異論はないな?


 そう思ったのだが、岩崎は自信満々に、


「私はより楽しく快適にこの二学年を過ごすために、クラス委員に立候補しました!麻生さんはどうですか?」

「俺も中学一年以来委員会に参加することにした」


 つまり、二人とも去年とは違うことをしていると言いたいらしい。まあいいや。今回は俺の負けで。俺自身、いったい何の勝敗なのかはよく解らないが、先ほど岩崎が勝利宣言をしていたのでどうやら俺の負けらしい。


「成瀬さんも委員会をやってはいかがですか?今日の時点で決められなかった委員会がいくつかありましたよ?保険委員とかいかがです?」

「却下だ」


 理由はないが何となく響きが嫌いだ。


「俺は委員会などやるつもりはない」

「まだ我々の言っていることが解らないのですか!」


 と本格的に説教をしようという雰囲気になってきたので、俺はこう言うことにした。


「三人とも委員会に入ってしまったら、いったい誰がTCCを動かすんだ?」

「ううっ!それは・・・」


 別段TCCの活動についてやる気を持ち始めたわけではない。が、とりあえずここは逃げ道を作っておく必要がある。


「もしとてつもない悩みを抱えてる生徒がこのドアを叩いたとき、一斉委員会の開催日だったらどうするんだ?」

「そ、それは・・・」


 岩崎はかなりたじろいでいる。俺はここで止めをさす。


「俺は委員会など入らない」

「ううっそれで、構わないと思います・・・」


 これでこの会話は終わり、いつものように内容があるんだかないんだか解らない会話になった。しばらく話しているうちに下校のチャイムが校内に鳴り響き、今日の活動は終了となった。


「あ、そういえば私はさっき先生からもらった委員会の資料を教室に置いてこなければいけないので、先に昇降口に向かってて下さい」


 そう言って、岩崎は部室から出て行った。



 俺を麻生はまっすぐ昇降口に向かった。しばらく待ったのだが、岩崎はそれなりに時間がかかっているようで、なかなか現れなかった。


「俺、今のうちにトイレ行ってくるわ」

「ああ」


 ずっと我慢していたのか、麻生は焦った様子でトイレに向かっていった。そういえば何やらそわそわしていたな。さっき部室出ると気にでも言ってくればよかったのに。


 俺は昇降口の外で待っていたのだがいかんせん、夕方になると気温が下がってきて、時折強く吹く風がやたら寒かったので、急遽中に入ることにした。


 風がなくなるだけで、なかなか暖かいものだ。俺は視界の利かなくなった校舎内をゆっくり歩いていると、奥のほうからとてもやかましく走っているような音が聞こえた。どうやらその音の主はこっちに向かっているようだった。


 まさか麻生や岩崎ではあるまい。そう思いながらも、こんな時間に校舎内に人がいるとも思えず、そちらのほうに目を向けていた。明かりを消した校舎内は、結構な暗さを誇り外からもれる街灯の明かりくらいしか、光源がない。


 すると突如として、影が現れ、その影はものすごい勢いで俺に向かって突進してきた。どうやら俺の死角から出てきたらしく、全く不意を衝かれた俺は、ものの見事に転倒した。

校舎内ってやつは音が反響しやすくなっているみたいだな、全然気がつかなかった。


「いたたた・・・」


 突っ込んできたのはどうやら女子生徒だったようだ。そいつも俺の目の前で四つんばいになっている。


「ごめんなさい、ちょっと急いでて・・・」


 そこまで言ったところでようやく俺の事を見た。


「あ、あんた!」


 俺のことを知っているようだ。ちなみに俺は解らない。


 しばらく俺の事を見て固まっていたようだが、はっと正気に戻ると、


「あ、あたし行くわ!」


 と言って、この場から逃げ出すように消えていった。


「何なんだ、あいつは?」


 俺は立ち上がろうと、床に手を着くと、そこには何かが落ちていた。そいつを拾ってよくよく見てみると、それは生徒手帳だった。


 そこには、


「真嶋綾香。二年五組」


 そいつは俺のクラスの女子だった。


 そのときは気がつかなかったが、どうやらこれが事の発端だったようだ。発端とはよく解らないものだ。





 次の日。


 俺は新しくなった自分の教室、二年五組に来ていた。とりあえずまずイの一番にやることがあった。


 そのためにはすでに教室に来ていた岩崎に声をかける必要がある。


「おい」

「あ、成瀬さん。おはようございます。何か用ですか?」

「真嶋綾香ってどいつだ?」


 やることというのは、昨日拾った生徒手帳を届けることだった。


 新学期になったばかりなので席順は五十音順で、探そうと思えば探せるのだが、ホームルームの前の時間に自分の席に着いているやつなどほとんど皆無なのである。正直生徒手帳というのは、そんなに必要なものではなく、少なくとも毎日に肌身離さず持っていなければいけないものではないのだが、いつまでも他人の生徒手帳を持っているのもどうかと思うし、これが厄介ごとを呼ぶ可能性もある。できれば早いうちに渡しておきたい。


「ああ、昨日の生徒手帳ですか?」


 昨日の帰りにすでに話していたため、スムーズにことが運んでいる。何の脈絡もなしに女子の名前を出そうものなら、怒り狂って詮索をするだろう。昨日のうちに話しを通しておいてよかった。


「ああ、そうだ。で、どいつだ?」


 そう聞くと、


「本当にご存知ないんですか?」


 などと言い、呆れたような表情で俺を見た。


「何だよ」

「真嶋さんって、成瀬さんの隣の方ですよ?」


 なるほど、と俺は思った。そういえば俺の隣はマ行である可能性が高い。いや、すっかり忘れていた。


 続けて岩崎は、


「席の話は置いておいて、隣の方の名前くらい覚えていて下さいよ」


 などと非難めいた口調で、俺のことをなじった。


「うるさいよ。人の顔と名前を覚えるのは得意じゃないんだ」

「人の顔と名前じゃなくて、興味のない情報を記憶することが苦手なんですよね?」


 嫌味なやつである。


 俺は岩崎を無視して、さっそくミッションに取り掛かった。解りやすいことに真嶋なる人物は今来たばかりのようで、自分の席に荷物を置いているところだった。


「おい、ちょっと」


 俺が声をかけると、自然な雰囲気で顔をこちらに向ける。


「あ、あんた!」


 昨日と同じ第一声である。何だ、こいつは。失礼なやつだな。


「な、何よ。何か用?」


 わざとらしく視線を俺からはずすと、機嫌の悪そうな口調でこう言った。いったい何なんだよ。朝からずいぶんと機嫌が悪そうだな。それとも俺が嫌いなのだろうか。


「これ。昨日落としただろ」


 俺は相手の不機嫌なオーラなど気がつかない振りをして、自然な口調で言った。するとそいつは、あ、と口を開き、ものすごい勢いで俺から手帳をひったくった。差し出した右手が痛い。

 

 お礼の言葉を待っていると、真嶋は俺のことをじとっとした目で二秒ほどにらみつけ、


「あんた、中見なかったでしょうね?」


 などと言ってきた。機嫌が悪かろうと、相手が嫌いであろうと、世話になった相手にはありがとうと言うべきではないだろうか。さらになんて失礼なことをさらっと言いやがる。気になるのは解るが、言い方ってものがあるだろう。


 俺も不機嫌になりそうになってきたので、こいつの相手をするのは止めておこう。そしてクラスメートの中で最初に言葉を交わしたこいつについての情報を、俺の脳に書き込む。『あまり関わらないほうが身のため』


「安心しろ。名前を見ただけだ」


 それだけ言うと相手の返事を待たずに自分の席に着いた。まあ隣なのだが。


「あ」


 と、小さい吐息のような声と、何だか悲しそうな顔が俺の視線を掠めたが、それ以上何も言ってこなかったので、知らない振りをして、授業の準備を始めた。



 今日から授業が開始されたのだが、隣の席の住人、真嶋は授業の最中ずっと、ちらちらと俺のほうを見ていた。


 俺だって簡単に、俺のほう、という単語を使ったわけではない。いったいなんだと、俺がそちらの顔を向けると慌てたように顔を背け、あからさまに教科書・ノートと黒板を交互に見始めたのだ。どう考えても俺のほうを見ていて、それについて感づかれたからと言う理由で顔を背けているに違いない、という理由に達したのだ。何度も確かめたから間違いない。決してその反応が面白くて何度もやっていたわけではないことを書き添えておこう。


 今日の授業全てが遅滞なく終了し、俺は足しげく部室に向かうために必要なものをかばんにつめていた。すると、


「あ、あのさ」


 と隣の席の住人、真嶋綾香が俺に声をかけてきた。


「何だ?」


 と俺がそちらに顔を向けると、またしても失礼な感じで顔をそらした。わざとやっているのか?俺を怒らせたいのか?


「あ、あのさ」


 何か言い出しにくいことなのか、なかなか先を言えないでいる。俺が口を挟まずに先を待っていると、違うやつが口を挟んできた。


「成瀬さん、部室に向かいましょう。ってどうかしたんですか?」


 紹介はいらないだろう。TCC部長の岩崎である。


 岩崎は俺と真嶋の顔を交互に見る。俺はいつもどおり、真嶋は困ったように顔を伏せている。


「どうしたんですか?」


 理解ができなかったようで、結局もう一度俺に問い質した。


「俺に聞くな」


 そういうと、岩崎は真嶋のほうに顔を向けた。真嶋は追い詰められたと感じたのか、見る見るうちに顔を真っ赤にして、


「こ、」


 と言った。


「こ?」


 俺と岩崎が同時に首をかしげながら先を促すと、


「こ、こいつがあたしの手帳の中見たの!」


 などとほざきやがった。しかもなぜか大声で。最悪である。名前を言われなかっただけましだったが。


「な!成瀬さん、真嶋さんの手帳を見たんですか?」


 こいつが言いやがった。見事な連係プレイである。どうやら罠に嵌められたようだ。こいつが話しかけてきたのも、罠の一環だったのだろう。なんてやつらだ。いったいいつ作戦会議をしたのだろう。そしていくつか突っ込まなくてはいけないので、やれやれと言いそうになる口の形を無理矢理変えて、真嶋に向かって言葉を発した。


「手帳を拾っただけで、中身は見ていない。それに手帳じゃなくて生徒手帳だ。似ているものだが、ニュアンスが違う。そこのところを訂正しろ。というか全部訂正しろ」

「じゃあなんで昨日のうちに渡してくれなかったのよ!渡さないまでも事務室でも職員室にでも届ければいいでしょ!」

「昨日はもう時間が時間だったし、あの時間には事務室はしまっていたはずだ。職員室になんかいったら説教されちまう。それにクラス同じなんだから、明日でいいやってなるだろうよ!」


 俺の指摘の正しさに心の奥では気付いているのか、一瞬たじろいだが、結局は力技で


「う、嘘よ!どうせ家に持って帰っていやらしい目で見ていたに違いないわ!」


 と言って、同情を誘う手に出たらしい。こうなると男の俺にはなす術なし。いつの間に社会は男のほうが不利になってしまったのだろうか。


 いい加減意味が解らん。俺のことが嫌いなら嫌いでいいし、俺も二度と話しかけたりしないから、こういう手でけんかを売るのは止めていただきたい。しかもよりによって岩崎の目の前で。こいつは女がらみになると、輪をかけて面倒なやつになるのだ。


「成瀬さん!それは本当ですか?」

「違うと言っているだろうが!」


 俺は荷物を取ってこの場を去ろうとした。すると、(今日はどうやら厄日らしい)いつからいたのか担任が教室に戻ってきていた。


 ちょっと職員室まで来てもらおうか、などと言われて、俺はあえなくお縄になってしまった。被害者?である真嶋も一緒に同行することになった。岩崎は自分も着いていくと最後まで粘っていたが、結局職員室に行くのは真嶋と俺だけになった。偶然であることを切に願うね。



 俺が解放されたのはなんと午後五時。一時間以上も尋問を受けていた。担任は頭が古いんだか新しいんだか解らんやつで、真嶋の話を一方的に信じ込み、プライバシーについて俺にとうとうと説明してくれやがった。


 俺は何度も何度も無罪であることを主張した。正直後半になればなるほど、面倒になっていき、さっさと謝って終わらせちまおうかな、などという妥協案も頭をよぎったが、そうすると俺は明日からクラスメートの手帳を盗み見た変態という不名誉極まりないキャッチコピーを持ってしまうことになる。こんな俺でも自尊心のかけら程度は持ち合わせていたようで、何で悪いことなどこれっぽっちもしていない俺が、俺を嘘で貶めたやつに頭を下げなくてはならないのかという気持ちになり、意地でも謝らないことを誓ったのだ。


 こうして俺の意地が認められたのか、あるいは突然泣き出して真嶋が嘘を告白したのが原因だったのかは解らないが、めでたく俺の無罪が認められたのだ。俺の言いたいことは一つ。貴重な時間を返せ。


 俺と真嶋は同時に解放され、同時に帰宅となった。


 荷物を取りに行くべく、教室に向かった俺たちだが、二人とも一切口を利かなかった。俺は少なからず頭にきていたし、正直今しゃべると、恨み辛みの言葉しか出てこない気がした。そういうのは俺自身が耐えられない。ここは無言を押し通すという選択肢しかなかった。そういう意味では真嶋が口を利かなかったのはとても助かった。


 教室に着くとなぜかそこに岩崎がいた。どうやら俺のことを待っていたようで、その横顔は何か心配事抱えているように見えた。


「よう」


 声をかけると、勢いよくこっちに振り返った。


「成瀬さん!」

「何してたんだ?いつも俺が部室に行かないとぶーぶーうるさいくせに」

「な!いったい誰を心配して私がここにいたと思っているんですか!」

「あーそうかい。悪かったよ」


 適当に岩崎を制して、俺は荷物を持つと、


「行こうぜ」


 と言って、教室から出て行こうとした。


「あの、成瀬さん、それで、どうなったんですか?」


 岩崎は、俺と一緒に教室に入ってきた真嶋のほうを見ながら、俺に聞いた。


「もちろん、無罪放免だ。俺は何もしていないからな」

「そうですか」


 なぜか岩崎は悲しそうな顔をした。真嶋も悲しそうな顔をしている。岩崎は真嶋に何か言いたいことがあるようで、何度か口を開きかけては閉じ、という動きを繰り返していた。俺はもちろん、真嶋に言うことなど何もない。あるとしても、まずは真嶋が何かを言わなければ俺は何も言う必要がない。


「行くぞ」


 今度こそ、俺は出て行こうとした。岩崎も何度か真嶋のほうを振り返りながらも俺の後についてくる。すると、


「待って!」


 もちろん、言ったのは真嶋だった。俺と岩崎は振り返る。


「何だ?」


 真嶋は顔をうつむかせる。正直これ以上の面倒ごとは勘弁願いたい。ごめん被りたい。こいつに関わっているとろくなことがないという事実が証明されたのだ。さっさと退散したい。


 真嶋は黙ったままだった。ここままじゃ埒が明かないので、俺が一言。


「用がないなら帰るぞ」

「・・・・・・」


 俺の言葉に反応し一度は顔を上げたが、また真嶋は顔を伏せる。いい加減にしろと言いたい。


 俺はその態度を返答と理解し、再び振り返るとドアに向かって歩き出す。


「あ」


 と真嶋が言ったが、聞こえない振り。後ろで岩崎が、


「いいんですか、成瀬さん」


 と言っていたが、これも聞こえない振り。


 そして俺が教室を出て行く寸前、ようやく真嶋が声を上げた。


「な、何であたしに何も言わないの?」


 俺は立ち止まると、真嶋に視線を移動させた。


「あたし、成瀬にひどいことしたよね?何であたしに何も言わないの?」

「それが解っているなら、まずあんたが俺に言うことがあるだろう」


 それが当然の筋ってもんだ。真嶋は泣きそうな顔をいっそう泣きそうに変化させると、


「・・・ごめんなさい」


 と蚊の鳴くような声で言った。すると、俺が何か言う前に、岩崎が


「はい!この件はこれで無事解決です。お互い仲直りしましょう!」


 と、俺と真嶋の間に入ってきて宣言した。


「で、でも・・・」

「大丈夫ですよ、成瀬さんはああ見えて結構心の広い方です!もう怒っていませんよ。だから真嶋さんも二度とこういうことはしちゃだめですよ!」

「うん」


 被害者である俺を差し置いて、示談交渉がどんどん進められていた。まあ正直俺もこれ以上責めるつもりはなかった。とりあえずこの場から早いところ撤退したかったのが本音だ。この交渉は俺に不利益がなかったと言って問題ないので特に口出しはしないことにする。


「真嶋さん、あのとき成瀬さんにお礼を言おうと思っていたんですよね?」


 岩崎が泣き出しそうになっている真嶋に優しく声をかけた。


「そこに私が来ちゃったから言い出すに言い出せなくなってしまったのですよね?」


 岩崎の話が図星だったのか、真嶋は一瞬目を見開くと、あとはダムが決壊したように泣き出してしまった。


「ただ不器用なだけだったのです。だから成瀬さんも彼女を許してあげて下さい」


 正直、岩崎に言い包められてしまったようでとても面白くない。断ってやろうかと思ったが、しかし、ここでそんなことを言えるはずもなく、俺は、


「ああ」


 とだけ答えた。


 泣き出してしまった真嶋を置いて帰るわけには行かず、泣き止むまで待たなくてはいけなくなってしまった俺たちは、結局下校時間まで教室に残ってしまい、今日の部活はいつも以上に開店休業状態となってしまった。



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