第36話
「じゃあ、そろそろ着替えてくださいね」
「うーい」
のそのそとこたつから出てきた先輩は、ベッド下の引き出しから、よそ行きの服を適当に引っ張り出して、私と色違いの袖が広めのスウェットを脱いでそれに着替える。
先輩の服装は、タートルネックのクリーム色セーターに、厚手の黒っぽいジーンズ。私は綿の濃い緑のジップパーカーに、淡めのカーキっぽい綿パンだった。
その上に、私も先輩も学校指定の紺色のコートを着て校外に繰り出す。
「さっむうぃ……。今年も暖冬じゃなかったっけ……?」
「雪降らないだけですよね、正直」
割と風が強めに吹いていて、コートの下から冷たい風がちょこちょこ吹き込んでくる。
高等部の校門から出ると、私達は買い物に行くときとは逆の道に進んで、小さい稲荷神社のある方へ向かう。
その少し高台の道は、左右が住宅地になっていて、家族連れや小中学生ぐらいの子達の集団がチラホラ歩いていた。
身体を縮こまらせる先輩と並んで歩いていると、小学生のぐらいの女の子2人組が、先輩の脇からキャッキャとはしゃぎながら追い抜いていった。
「いやー、若いって良いですな楓さんや」
その後ろ姿を眺めながら怠そうに歩く先輩は、わざとらしく老夫婦の会話みたいな言い方をした。
「私達もまだ若いですよ」
「でもあんな無限の体力ないじゃん?」
「まあ、そう見えるだけですよ。多分あれ、帰ったら2人とも爆睡じゃないですかね」
「そんなもんか――おっととと」
ゆーらゆーらと歩いていた先輩は、街路樹の根っこで膨らんだ部分に引っかかって、派手に転びそうになる。
私はとっさに先輩の腕を掴んで、何とかそれを阻止した。
「ちゃんと足元見て下さいよ……」
「おーさんきゅ。楓さん」
万が一腕が骨折でもしたら、と焦っていたから、心臓がバクバクいっている。
「ここだからまだ良かったんですけど、もし車道にでも飛び出したらどうするんですか」
「やー、おっしゃる通り……」
小さい子が注意されてるみたいになってるからか、先輩は気恥ずかしそうに苦笑いしてペコッと頭を下げた。
「……まったくもう。危ないから手、繋ぎましょう」
「えっ、あっ、うんっ!」
私が1つ息を吐いて、そう言いながらさっと左手を差し出すと、カクンカクン、みたいな動きをして、おずおずと右手で握ってきた。
先輩の手、案外冷たいな……。
嬉しさと緊張が満載みたいな顔をする、引き続きなんか動きが硬い先輩の手は、私のそれに比べてかなり白いように見えた。
ちょっとでも暖かいかと思って、私は自分の指を先輩のそれに絡ませて、一緒に自分のコートのポケットへ手を突っ込んだ。
「……。――かっかかか、楓さん!?」
その瞬間から数秒間、ノーリアクションだった先輩は、一瞬で顔を真っ赤にしながら、泡を食った様にそう言って、ポケットと私の顔を順に見た。
「ああ、すいません。嫌でしたか?」
流石に何も言わずにはマズかったか、と思って、すぐに止めようとしたら、
「あっ、いやっ! その嫌とかじゃなくて、ちょっとびっくりしただけというかっ!」
と、早口で説明する先輩の方から強めに握り返されて、ぐりぐりと中に突っ込んできた。
「やー、楓さんのポケットの中暖かーい。出来るなら全身入りたいぐらい快適だなー!」
「子どものカンガルーですか」
先輩は指をにぎにぎしながら、すっとぼけた事を言って、嫌がってない事を必死にアピールしてくる。
「分かりました。嫌ではないんですね?」
「そそ」
それが伝わった事が分かると、先輩は激しく頷いて念押ししてきた。
「分かりました。じゃあ、さっさと行きましょう」
「はいはいー」
そうやりとりしてから、私達はまた歩き始めた。
足取りがやけに軽やかな先輩は、どこからどう見ても上機嫌な様子だった。
そんな先輩を見ていると、なんかさっきの子達みたいな感じがして、私の中の母性本能が刺激された。
「んっふふ。楓ママー」
「スナックの常連客か何かですか……」
……先輩の言い方のせいで、さっきの子達みたいなイメージが、酔っ払いのダメなお姉さんのそれに上書きされてしまった。
*
「おー、案外人がいる」
「出店までありますね」
本殿が小高い山の上にある稲荷神社に着くと、黒山、と言うほどでもないけど人がいて、参道には何軒かの屋台が出ていた。
1つ真っ赤に塗られた鳥居が境界線上にあって、30メートルぐらいの石畳の参道が石段の下まで続いていて、そこから先が上の本殿まで鳥居のトンネルになっていた。
その一番外側の鳥居をくぐって、狐の石像の間を通ったところで、先輩は背の高いクールそうな巫女さんが、甘酒を配っているテントにふらふらと吸い寄せられていった。
「先輩。まずお参りしてからにしてください」
「あー……」
先輩の手をそのままグイグイ引っ張って、私は先輩を本殿へ連行する。
「寒いからまず暖まろうよー……」
「いや、お参りもなしにいきなりは、神様に失礼だと思いますよ」
「んもー、真面目なんだからー」
顔と声は不満そうだったけど、先輩は渋々甘酒を後回しにして、素直に石段の脇にある手水舎に行く私についてきた。
水が出てくる所は竹の筒で出来ていて、水を受けるところは黒っぽい岩の上を削ったものだった。
伏せて置いてあった青竹の柄杓で、流れ出てくる水を掬ったところで、
――あれ、ここからどうするんだっけ?
私は作法をど忘れしてしまって、その状態で動きを止める。
先輩なら知ってそうだな、と思って、横をちらっと見ると、柄杓を持つ動作がかなり手慣れた感じだった。
「先輩、作法忘れちゃったんで、教えて貰ってもいいですか?」
「いいよー。任せなさい」
先輩にそう頼むと、待ってました、とばかりに快諾して丁寧に実演して教えてくれた。
この辺は流石先輩だなあ。抜かりない。
と思いながら、身を清めていると、先輩のコートのポケットから、参拝の手順、と書いた紙がはみ出ているのが見えた。
多分さっき、私が訊いたときに慌てて見たらしい。
それを見なかったことにして、私は先に石段を進む先輩の後ろをついて歩く。
「あ、楓さん。さっき言い忘れてたけど、鳥居は端っこを通らないといけないんだって」
「はい」
「鈴ならした後は、2礼2拍手1礼だよ」
「はい」
「本殿の回りに何個かほこらがあるでしょ? あれ順番に回るんだって」
「はい」
張り切りのスイッチが入ったのか、先輩はその後のことを全部手取り足取り教えてくれた。
なんか、必死に白鳥がバタ足するのを見てしまった様な、なんともいえない思いを引きずりながら、私は先輩の隣で参拝の所作をした。




