第30話
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寮の部屋に戻った私と先輩は、部屋着に着替えていつも通り晩ご飯作りにとりかかる。
「じゃあ、先輩は野菜を洗っといてください」
「がんばる!」
といっても、先輩は野菜を洗ったらお役御免なんだけど。
「……そこまで気合い入れる必要あります?」
「もちろん! もしかしたら、手が滑って床に落ちるかもしれないし!」
「ウナギのつかみ取りじゃないんですから……」
模型でも組み立てるみたいな顔で、真剣にニンジンをすすぎ始めようとする先輩だけど、
「うわーッ!」
「ちょっ!? 冷たっ!」
力みすぎて一気に蛇口を全開にしたせいで、水が思い切り飛び散ってしまった。
「何やってんですか……」
「申し訳ない……」
先輩の服のお腹周りだけじゃなくて、酒かすをお湯で溶かしていた、私の袖も巻き添えを喰って濡れた。
気を取り直して、先輩が奮闘しているのを横目に、私はちょっと大振りの椎茸を薄切りにする。
次に、油揚げとこんにゃくをちょうど良いサイズに切ったところで、先輩が全部の野菜を洗い終えた。
その野菜をピーラーで皮はぎしていると、
「それにしても、こっちだとサツマイモ入れるんだね」
ザルに突っ込まれた、細身のそれを手に取った先輩が、感心した様子でそう訊いてきた。
「大体、何入れるものだったんです?」
「ジャガイモだよ」
その流れでうっかり、先輩のお母さんの話題になりかねない事を私は訊いてしまった。
危ない危ない……。
「あー、名産ですもんね」
なんとか浅い知識の中から、その情報を引っ張り出しつつ、私はそこで話を切る事にした。
「ところで先輩。暇でしょうから、洗濯物畳んどいて貰って良いですか?」
「あー、うん。いいよー」
運良く、先輩のやることが無くなったときに、サツマイモの事を訊かれたおかげで、それは自然な流れで成功した。
先輩がパタパタと脱衣所に向かったところで、私は声を出さない様に、安堵のため息を吐いた。
それから、皮を剥き終わった根菜類を扇切りに、サツマイモを皮ごと輪切りにして、1つにまとめてレンジでチンを始めた。
暖めている間に、1番大きい鍋を使って私は豚こまを炒める。
ちなみに先輩は、乾いたのを洗濯カゴに詰めて、居間へ持って行って畳んでいる。
ちょっと肉の色が白っぽくなったところで、レンジのブザーが鳴った。
素早くそれらが入った皿をシンクに置くと、上にかかるラップをはがして、中身を一気に鍋へ入れた。
こんにゃくと油揚げも投入してから、ケトルで湧かしていたお湯を7分目ぐらいまで注ぐ。
それに酒かす汁を9割方混ぜると、しばらくの間、大して手間がかからなくなる。
火を若干落として、時々鍋をかき混ぜながら、
……あんな顔をするって事は、先輩のお母さんは、もう亡くなってる、んだろうな……。
さっき見た、渡り廊下での先輩の様子を思い浮かべ、私はそんな事を考え始めた。
予測でしかないけど、豚汁は先輩にとっては思い出の味で、私が作ると聞いたからそれを思い出したんだと思う。
なら、同じ作り方をすれば喜んで――。
……いや、止めておこう、万が一の事があって、傷を抉ってしまうかもしれないし。
私は先輩のように器用じゃないし、もし私と同じ様な状態になったら、私は何もしてあげられない。
下手に何かしちゃうのはダメだ、っていうは、身をもって分かっているはずなのに、また悪い癖が出てしまった。
もうその辺の事は考えないようにして、ぐつぐつと煮えている鍋の火を止めた。
後は、冷蔵庫から出した味噌適量と、残しておいた分の酒かす汁を入れれば完成だ。
小皿にとって味見をすると、ちょうど良い感じの塩加減に仕上がっていた。
「楓さん、でーきたー?」
小皿をシンクに置いたところで、畳んだタオルを抱えた先輩が来て、わくわくした様子でそう訊いてきた。
「ちょうど出来たところですよ」
「りょーかい! これしまっとくから、ご飯よそうとかやっといて」
「そんなにかかるんですか?」
「えっ、うん」
私は目をジトッとさせてそう訊くと、案の定、面倒くさいからやって欲しかった様で、あからさまに目を逸らした。
「まあ、やっときますよ」
このくらいの甘えは、たまには許してあげてもいいよね。
そう思った私は、どんぶり茶碗を2つ出しながら、目を泳がせる先輩へそう言った。
「……うん。ありがと」
そう返した先輩は、足早に脱衣所に入ったけど、
「おわーっ!?」
何かに引っかかりでもして転んだらしく、ドテッ、というやや重めの音がした。
「大丈夫ですか先輩ー」
「うん……。タオル以外は問題なーし……」
心配して覗きに行くと、五体投地状態で転がっている先輩と、その前方に散らかるタオル、という光景が目に飛び込んできた。
「私が畳み直すから、楓さんは続けて……」
「あっはい……」
結果的に、私がご飯も含めてよそうより、先輩が戻ってくるのが遅くなった。
「膝、痣になるかもー……」
「痛み止めのヤツでも塗ります?」
「塗るー……」
先に居間のローテーブルで座って待っていると、テンションダダ下がり状態で先輩はやって来て、痛み止めのローションを薬箱から出して塗った。
私の向かいの、自分の茶碗が置かれた位置に先輩が座ったところで、
「そんじゃ、いただきまーす」
「いただきます」
私達は手を合わせてそう言ってから、器を触った感じ、良い具合に冷めた豚汁を啜る。
「ふえー……。やっぱりこの、いかにも暖まりそうな感じいいねぇ……」
一啜りしたところで、先輩は器を置きながら、ご満悦、といった様子でそう言って息を1つ吐いた。
それから、若干厚切りにしたサツマイモを1切れ口に入れた。どうやら意外に熱かったらしく、はふはふ言ってすぐ水を飲んだ。
もの凄く美味しそうに食べる先輩を見てると、こっちとしても、毎回本当に作りがいがある。
「ん? なんか思い出し笑いでもしてる?」
「顔、笑ってました?」
「うん」
じっと見ている私の視線に気がついた様で、先輩は小首を傾げながらそう訊いてきた。
「いや、先輩って何でも美味しそうに食べるなって」
「あ、そう?」
それはどうもー、と言いながら、先輩はどんぶりを手に取って、汁をズズズ、と飲んだ。
「これ、ご飯入れても美味しいんですよね」
「おお。早速やってみよう」
先輩は私からの情報を耳にして、中身が半分ほど減ったご飯茶碗を手に取った。
「分かってるとは思いますけど、全部入れると――」
「あっ」
飛び散りますよ、と言い切る前に、ご飯の塊が汁にダイブして、ちょっとした水しぶきを立てた。
「先輩……」
「いやー、慣れないもんで……」
気恥ずかしそうに笑う先輩へ、私はすかさずティッシュを3枚ほど渡した。
慣れない、ってことは、あの父親のしつけで、ああいう事をやってなかったのかもしれない。
……いや別に、それ自体は全然普通にあり得そうではあるんだけど。
まあ、汁かけご飯レベルなら、少なくともウチの中だけでは好きにさせてあげよう。
「おおう。確かに美味しいねぇ」
幸せそうにズルズルやる先輩を見ながら、そんな事を考えていた私も、小さい塊単位ずつご飯を汁椀の中に投入した。




