第28話
二学期の中間テストが終わった11月の頭、この学校の大イベントの1つである、後期生徒会長選挙の準備期間が始まる。
スケジュールとしては、立候補と準備期間が4日間で、終わった次の日に立ち会い演説会があって、その1週間後に各クラスでの投票が行なわれる事になっている。
その結果は3日後、職員室横の掲示板に張り出されて発表される。
もちろん、先輩は真っ先に立候補の届け出を出した。
そのときは、実質先輩の信任投票、と噂されていたし、他に立候補が無いかと思っていたら、その次の日に、もう2人男子生徒が立候補を届け出た。
クラスの選管委員の武田さんから聞いたけど、その理由としては、選挙戦で無いのは民主主義的にはあんまり好ましくないから、らしい。
というわけで、前期副会長だった3年の福嶋先輩と、当然の様に私が、先輩の推薦人としていろいろと手伝うことになった。
……別にそれ自体は嫌では無いし、その上、応援演説は福嶋先輩がやるから、まあ良いんだけど。
で、そんな私が何をしているのかというと、
上着、着てくれば良かったかな。
暖房が無くてそこそこ寒い、職員室向かいの階段下にある印刷室で、先輩の選挙ポスターを刷っていた。
若干古めのインクジェットプリンターな事もあって、A3のそれを7枚刷るのには結構時間がかかる。
一方で、先輩と福嶋先輩の方は、家庭科準備室を間借りした「選挙事務所」で、演説の原稿を練っている。
事務所、と言っても、折りたたみの長机とパイプ椅子、貸し出しのノートパソコン2台、書類とかを入れておく箱が、窓際に置いてあるだけだけど。
ちなみに、やけに選挙戦が本格的なのは、社会に放り出されたときに、子供たちが困らない様にする、という理事長先生の方針らしい。
印刷室の窓から見える紅葉は、葉っぱが結構落ちていて、多分、もう一月もしたら雪が降ってくるはず。
……それにしても、やっぱり先輩って凄いよな。
この前、先輩が先輩の父親になんか不穏な事を言われていて、相当なプレッシャーがあったはずだけど、それをはねのけて9教科全部100点満点という、伝説を打ち立てていた。
各学年上位得点者3名が書かれている表が、掲示板に張り出されているんだけど、先輩の名前の横には赤字で「満点」と書いてあった。
これなら、あの先輩の父親も文句は無いはず。……多分褒めはしなさそうだけど。
なんて余計な事を考えていたからか、プリンターが紙を詰まらせてしまった。
あちゃー……。紙が折れてたかな?
蓋を開けると、厚紙がクシャクシャの状態で中に引っかかっていた。
壊さないように慎重に紙を引っ張り出してから、私はプリンター横に置かれた、ノートパソコンを操作して印刷を再開した。
今度は最後まで紙詰まりが起こらずに、最後まで全部印刷し終わった。
その最終チェックをしてから、さっきダメになった紙をシュレッダーにかける。
さてと、次は掲示許可をもらいに行かなきゃ。
トントンと整えてから、スタンプを押してもらいに職員室へ向かおう、と印刷室を出たところで、
「わっ!?」
「あぶない!」
「あいたっ」
私から見て左側の、特別教室棟への廊下からやって来た、長机を運んでいる女子生徒2人と出会い頭にぶつかった。
ちなみに2人とも、上履きの色が私と同じ緑の1年生だった。
そのせいで、私はポスターをばらまきながら、後ろに転んで尻餅をついた。
すぐ近くに、花が生けてある花瓶とそれが乗った台があったけど、なんとかそれにはぶつからずに済んだ。
「高木さん大丈夫?」
「ごっ、ごめんなさい!」
「ああうん、大丈夫。私も見てなかったから、こっちこそごめん」
すかさず、2人は机を壁に立て掛けて、片方は私に手を貸してきて、ぶつかったもう片方は散らばったポスターを集め始めた。
私を含めて3人もいたおかげで、ポスターは素早く集まった。
「集めてくれてありがとね」
「どういたしましてー」
長机を持って、えっちらおっちら階段を昇っていく2人の返事を聞くと、私は気を取り直して職員室へ向かった。
掲示許可のスタンプを貰って、先輩達のいる特別教室棟の家庭科準備室へ行くと、先輩と福嶋先輩は小型のパソコンの画面を見ながら、何やら話し合っているところだった。
「お疲れさまです」
「高木さんもね」
「おつー」
頭をペコリと下げて私が言うと、2人共こっち向いてにこやかにそう言ってきた。
机の右奥に置いてある文書箱に、持ってきたポスターを入れようとすると、
「あ、ポスターちょっと見せて貰えない?」
「はい。どうぞ」
福嶋先輩がそう私へ言ってきたから、一番上の1枚を取って手渡して、後は蓋を閉めてない箱の中に入れた。
「おお、良い感じに刷り上がってるね。本物より綺麗じゃない?」
「えー? そう?」
2人でポスターをのぞき込みながら、冗談交じりの口調で談笑し始めた。私はそれを横目に、もう1台のノートパソコンの電源を入れる。
「これだけでもう当選確実かもよ?」
「流石にそれは無いって。由希」
「いーや、響なら間違いないでしょ」
「おっ、吹かしてくれるねえ」
「もう実質信任投票って言われてるのに相変わらず謙虚だね」
なんかこう、前から思ってたけど、2人共、学年が違うのに仲いいなあ。
立ち上がったパソコンに、USBメモリを挿しつつ、そんな2人の様子を目だけ動かして見る。
先輩は一応、外向けの表情ではあるんだけど、私以外に向ける様な、作った感じのものではなく、ある程度は素を出している様に見えた。
私と2人きりじゃなくても、ああやって少しは気を緩められるのは、別に悪い事ではないんだけど。でも、
……なんかこう、ちょっとモヤッとするというか……。
そうとしか表現出来ない様な、なんかよく分からない気持ちが、私の心の中で雨雲みたいに広がってくる。
別に、先輩はコミュニケーション能力自体は結構高いだろうし、仲のいい人が私以外にも居ても当然なんだけど……。
なんて、無意味な事で悩んでいると、福嶋先輩がこっちに気がついて目線が合った。
「あ、ごめん。ポスター返すね」
返してくれるの待ちかと思ったらしくて、サッとポスターを渡してきた。
2人はそれから、雑談を切り上げて演説の原稿作業に戻った。
そうだった。今さっきみたいな事に、時間を割いている暇なんか無いんだ。
ポスター優先で後回しにしていたけど、今度は各クラスとかに貼る、小さいポスターのデザイン案を私は任せられている。
そのまま小さくすれば良いんじゃ無いか、とは思ったけど、そこの辺りもこだわりたい、と先輩に相談された。
先輩がそう言うなら、その通りにしてあげたいから、5つ試作案を考えたところで、ポスター印刷のせいで止まっていた。
「あ、そうだ。高木さん、小さい方のポスター案見せて貰って良い?」
「ああ、はい。どうぞ」
ファイルを開いたところで、ちょうど先輩がそう訊いてきたので、私はパソコンを持ち上げて先輩と福嶋先輩の間に置いた。
「ん。どれどれ」
2人の間にしゃがんでいる私の肩に、先輩の長い髪がかかって、そのシャンプーの匂いがふわりと鼻をくすぐる。
「……どれが良いですか?」
「ん。これだね」
「私も賛成」
それにちょっとドギマギしながらそう訊くと、先輩は4つ目の爽やか系の青に白い文字で、先輩の名前と写真、公約が書いてある案をカーソルで指した。
「じゃ、試し刷りしてみよっか」
「ちゃんと色出るかな?」
これも学校から借りた、大きめの弁当箱みたいなサイズのプリンターでそれを刷ると、
「おー、良い感じ。流石高木さん」
「高木ちゃんセンスあるねえ」
特に変な色味になることも無く、我ながら完璧な仕上がりだった。
「ありがとうございます」
先輩達の向かいに、パソコンごと移動してそれを見ていた私は、そう言いながら先輩の方をふと見た。
すると、先輩はこっちを見ていて、得意そうな微笑みを浮かべていた。
先輩の表情には、私への好意みたいなものが強く感じられて、それは福嶋先輩に向けているものより強く思えた。
……安心、してるのかな……?
やっぱり私は先輩にとって「特別」なんだ、と分かったおかげで、さっきのモヤモヤは晴れたけど、
……あれ、そもそもなんで不安になってたんだろ? 福嶋先輩と話してるところなんて、何回も見てたのに……。
今度は別の、よく分からない感覚がする様になった。
というか、先輩が私のことを「特別」に思ってるなんて、調子に乗り過ぎだよな……。
私は先輩に関する事で、自分でもよく分からない気持ちになる事が、なんか本当に近頃多すぎる気がする。
今日のはなんだろう、独占欲、ってやつなのかな?
その感情の名前は分かったけど、何でそうなるかの理由は、少し考えてみたけど分からなかった。




