第26話
「はい?」
人違いみたいな言い方で振り返ると、そこにいたのは予想通り、地味なスーツを着て渋い顔を貼り付けた先輩の父親だった。
その後ろには、さっきまで無かったいかにも高級な黒い車があった。
「ふん。間違いなさそうだ」
父親は、折りたたみの携帯の画面と私を交互に見ながら、機嫌悪そうな声を出してそう言った。
「……どなたですか?」
「とぼけようとするな」
あくまで他人のフリをしようとしたら、父親はそれを見抜いたらしく、威圧するようにそう言った。
「私の事を見て分からないとは、教養が足りていないようだな」
父親はそうチクリと刺すような言い方をして、懐から押しつけるように名刺を渡してきた。
そこには、『ヨシノ重工業株式会社 常務 吉野則男』、と書いてあった。
名前を聞いたら、たまにTVのCMやネット広告で見かける、そこそこ有名なバイクのメーカーだった。
「ええっと、どういったご用事ですか?」
腕時計をチラリと見て、いかにも急いでる感じを出しながらそう訊くと、
「貴様は大人を馬鹿にしてるのか?」
思い切り不愉快そうな顔をして、今にも怒鳴りそうな様子で睨まれた。
「……まあ、そんな事はどうでもいい」
どうやら大人げないと思ったらしく、一つ咳払いしてそう言うと、手に提げていた四角い鞄からタブレット端末を出して何回か操作した。
「これを見れば分かるように、私の娘の成績が、お前の来た後から下がっている」
父親は私に線グラフを見せながら、イラついている様子でそう私へ言った。
そのグラフは、先輩の中間期末と休み明けテストのもので、確かに2学期に入ってから90点台後半だったものが前半に下がっていた。
私からすれば、当然そこまでカリカリする程でもないんだけど、
「お前、娘に何か余計な事をしているだろう? 正直に言え。娘はお前程度が干渉して良いような人間ではない」
まるで、私が非行の片棒を担がせた、ぐらいの勢いで、父親は詰め寄る様にそう言ってくる。
「いえ、特に私からは、何もした覚えが無いんですが」
「とぼけようとしたってそうは行かない。正直に言わないなら――」
私の反論を完全に無視して、やたら含みを持たせて言葉を止めた。
「さあ。2つに……」
「困りますよ吉野さん。こんな往来でそのような事は」
父親が掴みかかってくるかと思ったところで、ちょうど仕事終わりに寄ったらしい、教頭先生が間に割って入ってきてくれた。
「しかし、娘の将来をだね」
「吉野さんのご心中はお察しいたします。しかし、そういった事はまず我々にご相談頂けるとですね……」
そう言ってなだめる教頭先生が、行きなさい、と目で合図を出したので、私は頭をぺこりと下げてさっさと帰った。
怒鳴り声まで上げる気はないらしく、後ろから父親の声は飛んでは来なかった。
何なのあの人……。
私が先輩を拐かしてる、みたいな言いようは流石に腹が立った。
赤の他人にもあそこまで言うんだから、もしかして先輩ヘは、もっと強く出てるのかな……。
そこまで考えたところで、私はまたあのときみたいに、勝手に他人の事情を勝手に想像している事にはたと気がついた。
何でこうも、おんなじ事を繰り返そうとするのかな。私は……。
それ以上は一切考えるのを止めて、自転車を漕ぐことに集中した。
先輩、お腹空かして待ってるだろうし、急がなきゃ。
信号で止まった所で時計を確認すると、門限の30分前の5時になっていた。なので、信号が青になった途端、思い切り踏み込んで加速した。
「えっ」
横断歩道を渡りきったところで、後輪からガキンとかバキン、みたいな音が聞こえた。
それからは、漕いでも力がタイヤに伝わらなくなった。
もしかして、と思って1回下りた私は、自転車を押して街灯の下まで移動した。
「あー……。やっぱり外れてる……」
スタンドを下ろしてから、しゃがんでチェーンを確認すると、案の定、後輪のチェーンが外れていた。
「うーん、伸びてたのかな……」
チェーンってどうやって直すんだっけ、と思ってスマホで調べてみたけど、チェーンがカバーで覆ってある物は自分では無理だ、という事が分かっただけだった。
仕方ない。押して行こう……。
自転車が単なる手押し車になった途端、目の前にある坂道が、いきなり山道みたいに思えてきて気が滅入りそうになる。
門限に遅れない様に、私は全力ダッシュでその坂を登る。
「あれ、高木さんどうしたの?」
「あー、うん……、チェーンが……、外れちゃって……」
「あらら。荷物持とっか?」
「ううん……。大丈夫……」
「ああそう? ……じゃあ、頑張ってね」
だけど、後から来たクラスメイトの女子に追いつかれて心配されたり、
「あー疲れた……」
「そう? 私まだ余裕だよまっきー」
「本当、体力オバケよね、悠花って……」
マラソンの練習をした帰りらしい、反射材のたすきをかけた陸上部の集団に、面白いように追い抜かれたりした。
単純に走ったのは、体育祭以来でちょっと忘れていたけど、私の走力は大した事は無いんだった。
大して登らない内に、脚が乳酸でパンパンになって、私はゼーゼーと息をしながら立ち止まった。
さっきまで寒かったのに、今は逆に汗だく状態になっていた。これなら、上着持ってこなくて逆に良かったかもしれない。
しばらく立ったまま息を整えてから、私は深呼吸をして気合いを入れると、もう一回全力で前へ進み始めた。




