第23話
先輩が、この頃部屋へ帰ってくるのがやけに遅い。
「遅いなあ……」
とっくに帰ってきてもいい6時前になっても、先輩は帰ってくる様子がないし、
今までこんなこと無かったのに……。
机の上のノートの右脇にあるスマホには、通知が来る気配すらも未だにない。
いやまあ、普通に考えれば中間テスト前だし、先生に聞きに行ってるか、テスト勉強してるんだろうけども。
『今回の休み開けテストは大目に見てやるが、もう一度10位を割ったら……、分かるよな? 響』
『はい、お父様』
……あんな事もあったし、そもそも、先輩は授業で聞けば分かるって言ってたから、素直にそうとは思えない。
でも本当に勉強かも知れないし……。ああもう、どっちなんだろ……。
「何にも知らないな、先輩のこと……」
私は独り言と一緒に、シャーペンをスマホとは逆の位置にある、数学の教科書の上に放った。
こんなはっきりこうと言えないんじゃ、先輩にもし助けを求められたとき、何もしてあげられないよ……。
とにかく私は、人の心情とかへの勘が悪いから、何となくじゃ、あのときみたいに助けるどころか、もっと悪い方へ追い詰めてしまうはず。
だからもっと、よく知らないといけないんだけど、どこまで知って良いのか全然分からないんだよな……。
絶対無理だけど仮に直接訊いて問題なくても、先輩は確実に見栄を張って、本当の事を絶対言わないだろう。
かといって、ちょっと前に先輩の言った通り、相手が言いたくなるまで待ってるのは、先輩にはどう考えても逆効果だ。
本当に、自分の不器用さが心底嫌になる。
誰かに相談できると良いんだけど、私にそんな相談できる様な相手は……。あっ、いた。
私はスマホを手に取ると、初対面でなし崩し的にアドレス交換した、同じ学年の坂田さんに今電話して良いか訊いた。
「おわっ」
――その2秒後ぐらいに、彼女から電話が来て、危うく携帯を落っことしかけた。
「おー、楓っち。どったのー? なんか相談事かね?」
それを受けると、坂田さんは開口一番そう訊いてきた。
「ああうん、そうなんだ」
「おーう。私に出来る範囲でバッチコイ」
多分、彼女は勘でそう言ってるんだろうけど、それにしてもバッチリ当ててくるなんて凄いなあ……。
私はそんな彼女に内心舌を巻きながら、詳細は伏せて、先輩が何か悩んでるように見えるんだけど、相談に乗ってあげるにはどうしたら良いか、と訊いた。
「あー、嫌な思いさせない様に、上手いことやりたいわけだ」
「まあ、そんなところかな」
経験のなせる技なのか、坂田さんは要点をしっかり掴んでそう言ってきた。
ちなみに坂田さんは、自販機のある自習室で誰かの相談に乗っているのをよく見かける。
「私、よく相談には乗るけど、大体相手から話して来るのを聞いてるだけだしなあ……」
ちょっと待ってね、と言って、坂田さんはしばらく考え込んで、
「うーん。残念だけど、はっきりこうだって言えないや」
役に立たなくてごめんね、といった様子で申し訳なさそうにそう言った。
「そっか。こっちこそごめんね。大体、自分で考えて何とかしないといけない事なのに」
坂田さんまで責任を背負わせる訳にはいかないし、私としても、はっきり言ってくれて助かった。
先輩の方から相談されてからの話にしよう、という話になって、私は電話を切ろうとした。
「まあ楓っちなら、私に訊くまでもなく大丈夫だと思うよ」
その前に、坂田さんが滑り込む様なタイミングで、ふんわりとした口調でそう言ってきた。
「そう、かな」
「うん。だって、楓っちは優しい人だし、会長にすごく信用されるぐらい、楓葉高生で1番理解出来てるんだろし」
「それは買いかぶり過ぎだよ」
――だって私は、先輩の事を他の人より知ってるだけだから。
「いやいや。楓っちはもっと自信持ちなよー」
じゃ、そろそろ勉強しなくちゃだから、と言った坂田さんは、また明日ね、と言って電話を切る。
その後すぐ、困ったときは話聞くからね、とメッセージが来た。
私が優しい、ね……。先輩にも、そんな事言われたなあ……。
徹底して相手の心に踏み込まない、ってポリシーが間違って無かった、っていう証明なんだろうけど、なんか騙してるみたいで罪悪感がすごい。
……というか、まだ相談すらされてないのに、何を悩んでるんだろう。私は。
そういう余計な心配をする方が、妙に鋭い所がある先輩には良くない事だってあるかもしれない。
まあひとまず、この件は一旦隅に置いておく事にしよう。
でもそれからしばらく経って、6時半前になっても先輩は帰って来なかった。
いくら「踏み込まない」とはいえ、流石にこの時間になっても心配しない訳にも行かない。
……ちょっと校舎の方へ行ってみるかな。
私は部屋着からジャージに着替えて、校舎に向かう渡り廊下に出た。
案外冷えるなあ……。
カマボコ型のトタン屋根に、等間隔で黄色っぽい蛍光灯が付いただけの吹きさらしで、まだ11月とはいえもう十分に寒い。
雪が降るようになったらもっと寒いだろうな、とか考えていると、
あっ、先輩。
廊下の先にある、校舎に繋がる引き戸が開いて、ぬるりって感じで先輩が出てきた。
かなり疲れているらしく、遠目でも何となく覇気が無いように見える。
まあひとまず話しかけよう、と思った所で、先輩の方が先に気がついた。
「か――、高木さん……!」
私を見つけた途端、うっかり名前で私を呼びかけた先輩の表情が、着火した花火みたいに一気に明るくなった。
てこてこ、とやって来る先輩を見て、実家で飼ってる犬みたいだなあ、とか、その嬉しげな表情を見ながら若干失礼な事を思った。
「どうしたのー? もしかしてお出迎え?」
目の前まで来た先輩は、ご機嫌感全開で私にそう訊いてきた。
心配だから探しに出た、というと、先輩は何か感づいてしまうかもしれないから、
「いや、ちょっとココアでも買おうかと思ったんですよ」
私は自分から見て右の向こうの方にある、学食前の自販機を見ながらそう言ってごまかした。
「あー、なら、私も何か買って貰おうかなー」
「自分で買って下さい」
「えー」
「後輩にたからないで下さい」
一本ぐらい良いじゃーん、という先輩を引き連れて、私は丁字状になった渡り廊下を学食の方へと向かう。
途中、首だけ動かして先輩の様子を確認すると、いつも通り、部屋でのホワホワしてる感じだった。
「それはそうと先輩。ご飯どうします?」
飲み物を買った帰り、手を繋いで歩きながら、私は先輩へそう訊いた。
「あれ、まだ食べてなかったの?」
「はい。食べてくれる人がいないと、張り合いが無いですし」
「そっかー。そっかー……。えへへ……」
私にそう言われた先輩は、スキップでもしそうなぐらい、さらにご機嫌になった。
「先輩、誰か来ますよ」
だらしない笑顔を見せる先輩は、渡り廊下に出てきた他の生徒を見て、慌ててクールな感じを装った。
ちなみにこの日の晩ご飯は、実家で余って仕方が無いから、と貰ったそうめんを暖かいつゆで食べた。




