蕾は花開き
吸血鬼。
暗闇の下、人の血を啜り生きる存在。
人はその存在を恐れた。強大な力を持ち、いかなる武器でも対抗は困難とされ犠牲は止む無しとされ、古い文献によると一部の村では若い生娘を生贄に捧げていたともされている。しばらくして、銀でできた武器に弱い等の対抗策が講じられ、ヴァンパイアハンターなる業種も生まれたころには吸血鬼の脅威もなりを潜めることとなった。
*
学校で少々不吉な噂が流れていた。
いつもの様に聞こえてくる、恋愛話のような甘い話だったらいいけれど、最近になって耳にする噂は不吉と言う他に物騒とも言えた。
なにせ何人もの人が亡くなっているのだから。普通の交通事故や、病死ではなく全身の血を抜き取られた形で。女性の場合は行方不明者が続出し、地元警察が外出時に注意するように呼びかけてはいるものの被害者は後を絶たなかった。
「で、あるからして――」
謎の殺人と誘拐が近辺で続出しているにも関わらず、学校での授業は平常のまま行われ、最終下校時刻を早める程度の措置した執られなかった。
現に今、黒板の前ではなんの面白みもない数学の授業が展開されている。
「おい鳳仙、この問題解けるか?」
教師の悪戯か授業中に惚けている生徒に対する愛情かどうかはわからないが、一人の女子生徒を名指しした。
「六分の一……」
「おお、できるなぁ鳳仙は……」
意図も簡単に悪戯を踏みにじられた所為か、苦笑いを浮かべながらまた黒板に向き直る。教員の悪戯を踏みにじった張本人――鳳仙 玲花は何もなかったかの様にまた白い顔を窓に向ける。普段からすることもなく、勉強と読書くらいしかしていないこともあって、成績は非常に優秀だった。
ただ、少々風変りな所があり、クラスメートや同学年の生徒からは“変わり者”と見られていた。
授業終了を告げるチャイムがなり、昼休みになると自然と彼女の友人である、柊 ナズナと槍水仙 拓馬が玲花のもとにやって来る。
「玲花ちゃん、一緒にお昼食べよ?」
玲花と違って感情豊かで誰にでも優しいナズナは、玲花にとって数少ない友人の一人と言える。
「って言っても、鳳仙はいつもの通りココア飲むだけだろ?」
ナズナの隣に立つ拓馬はその幼馴染で、よく二人で行動していることもあり玲花とは自然と話す仲となっていた。
「まぁ、そうなるかな」
そして、玲花の風変りな所は気にせず接してくれる友人でもある。
拓馬の言ったように、玲花は毎度昼食の時間はココアを一缶飲むだけで一切の食事を必要としない。これには玲花本人も不思議に思ってはいるのだが、周囲の人間には自然にある“空腹”の概念が理解できないのだ。別に食べ物が食べれない訳ではなく、ナズナに連れられ海沿いにある喫茶店でおいしいと評判のケーキを食べたこともある。しかし、甘いだけで何も満たされることもなかった。
「俺も飲み物買いに行くから、一緒に行くか」
「うん」
拓馬は玲花を連れ、一階にある自販機へ向かう。
その道中、彼は連続誘拐・殺人事件について話し始めた。
「今度は1年の奴が居なくなったったってさ……」
「居なくなったと言うと、やっぱり?」
「ああ、お察しの通り女子だって」
幾つか男性が誘拐されるケースもあったのだが、誘拐となると女性が過半数を占めていた。その上、被害者の年齢層は10代~20代前半の男女で、校内で噂になったり恐怖心に苛まれるのも無理はない。
学校側も一人で下校したり、夜分に出歩かないように注意は呼びかけてはいるが、根本的な解決がされない以上何も変わらないだろうと玲花は思っていた。
「鳳仙も気をつけろよ。帰りはいつも一人なんだからさ」
「そっちこそ、気を付けないと全身の血を抜かれるよ?」
「怖いこと言わないでくれよ……」
男性は全身の血液を抜き取られた形で殺害される。
警察側も信じられないことに犯人の手紋などの痕跡を一切、死体はおろか事件現場周辺からも発見できずにいた。ただ唯一の手がかりと呼べるものは首筋に残された噛みつかれた痕だけだと言う。事件の起きた推定時刻が殆ど日が沈んでからの犯行だったことから、メディアは吸血鬼の仕業ではないかと報じ始める始末だった。
「みんなは吸血鬼の仕業とか言ってるけど、私には現実逃避にしか聞こえないな」
テレビのニュース番組では写真こそ出なかったが、噛み痕の件については大々的に報じていた。
「ああ、死体に残ってた首筋の噛み痕な。でもあれじゃあ、吸血鬼の仕業と思うに無理もないと思うけどなぁ」
自販機に着くと、玲花は小銭を入れホットココアのボタンを押した。外に出れば吐く息も白い冬の最中ならば最適な飲み物だった。その後、拓馬が温かいお茶を買ってから教室へ戻る。
教室に戻ってから玲花はナズナにどこか嫉妬めいた目線を感じたが、気にしないことにした。
*
放課後、玲花は真っ直ぐ家に向かっていた。
玲花の通う蒼龍高校は文字通り山の中に位置しているため、自転車通学の生徒からは評判がよろしくない。玲花は徒歩で自分の住む小さな教会から学校へ通っているので、別に関係なかった。
玲花は両親との記憶がなく、代わりにシスター・リーリャの教会で育てられた。リーリャは母親の知り合いらしく、まだ幼かった玲花を残して亡くなった両親に代わって玲花を育てているのだ。両親の話も全てリーリャから聞いた話でしかなく、それも二人とも病死だと聞かされている程度でしかない。幾ら両親の話を聞いても玲花自身、納得どころか両親の存在すらあやふやに感じてしまう始末で、どうにも悲しいと思えなかったのだ。
リーリャが嘘をついている訳ではないだろうとは思ってはいるが、自分の出生については謎が多いなと感じざるをおえなかった。
そのシスター・リーリャと自分の住む、教会は学校からは峠道を歩いて、少し下った所にある森の中にあり、一見人がいるのかどうかは疑問に持ってしまう人が多いかもしれない。
「これは誰も連れてきたくないなぁ……」
教会のある森の中は日が暮れると真っ暗になってしまい、リーリャが気を利かせて立ててくれた目印を頼りに獣道を進んで行く。
幾度か物好きなナズナに『玲花ちゃんのお家に遊びに行きたい』と言われたことがあったが、連れては来られても帰りは困難を極めるだろうなと、玲花は思っていた。夜分になると玲花でも外に出れないほど深淵に包まれてしまうからだ。
それ以外にもあの教会にはとても他人には見せられないものがあるので、玲花は誰も連れてきてはいない。
「あ、お帰りなさい! もう、心配しましたよ!?」
その見せられないものの一つ目であるシスター・リーリャが教会の扉の前で、ランタンを片手に待っていてくれた。
「それでも、いつもと変わらない時間じゃない?」
「最近物騒な事件が多いでしょう? ですから心配だったのです」
そう言ってリーリャは玲花を教会の中へ入れる。
上品さと優しさを感じると言葉使い、長く垂れる銀髪と百人中百人の男性がリーリャを前にすれば『美人』と評すであろう美貌は認めるとしても、問題は服装だった。彼女の着る修道服は胸元が開けていて豊満なバストを惜しげもなく強調し、スカートには深くスリットが入って長く綺麗な足が覗いているのだ。生足でないにしても、ニーソックスに包まれた足は逆にエロスティックな雰囲気を醸し出している。
これのどこがシスターなのか? この玲花の疑問は高校2年生になった今も解決に至っていない。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「いいえ、いいのです。夕食――玲花ちゃんの好きなホットココア入れます?」
外は寒かったでしょうから、と付け加えたリーリャは服装以外は本当に恵まれた人なんだなと玲花は思う。
「ありがとう、リーリャさん。お言葉に甘えて一杯貰おうかな」
「はい、それではお部屋で待っていてください」
リーリャはココアを淹れに礼拝堂奥の扉へ向かった。一人残された玲花の目の前に広がるのはリーリャが信仰する逆さになった十字架に座る堕落神の像と、その後ろに広がるのステンドガラスには黒い羽根を広げた天使が描かれていた。
「これじゃあ、カルト教団じゃないのさ……」
いかにも危険な香りのする宗教だが、リーリャは堕落神の教えは玲花は愚か他人へ布教している様子はなかった。内容については詳しく知らないが、玲花にしてみればあまり布教してほしくないな、と思えた。
*
寝室にある小さなテレビから、例の事件についての報道が流れている。
拓馬の言った通りに蒼龍高校1年の娘だったとアナウンサーが読み上げる声を聴きながら、リーリャが淹れてくれたココアを一口啜った。なにも他人ごとではない、身近に迫る見えない脅威の犠牲になるのは玲花自身なのかもしれないし、ナズナ、拓馬だって犠牲になる可能性を秘めている、と玲花は思うたびにいち早く犯人を捕まえて欲しいと願うばかりだった。
「吸血鬼か……」
玲花の中では小説や漫画にしか存在しない、架空の存在でしかなかったが事件の内容(玲花が見ているニュースからの情報だけだが)を見るとあながち嘘ではない気がしてくる。無論、犯人がそう演出しているに過ぎないのかもしれないとしても、演出にしても犯人のメリットとはなんだろうか?
犯行は決まって夜とされている上、外出した所を狙ったターゲットも限定的。その上、亡くなった被害者から金品等の貴重品には一切盗まれた形跡はないと言う。これでは本当に犯人の目的は、若い女性の身体(校内の噂によると綺麗で男子との恋愛経験が余りない娘が被害にあっているらしい)と男性の血だけの様に見えてしまうのだ。
そんな時、ドアをノックする音が玲花を思考の渦から引き返させる。
「玲花ちゃん? お風呂どうぞ」
少し開いたドアの向こうにいるリーリャは風呂上りの所為か、少し頬を紅くしていつも以上に色気を増していた。
「うん、わかった――けど、やっぱりその恰好はシスターあるまじきじゃないの?」
ショーツを穿いて、上はワイシャツだけのシスター・リーリャの決まった就寝スタイルに玲花は未だに意義を唱えていた。
「いいですか、玲花ちゃん? 私が随えるのは堕落神さまですよ? 快楽、誘惑、堕落なんでもそうですけど、人はこれを捨てられません。抑圧すればするほど大きくなり、最後には破裂して大変なことになってしまいます。ですから、人は抑えるのではなく、それを理解した上で生きていくのです――と、まぁ簡単に言ってしまうと欲に素直であれと言うことです」
ピン、と人差し指を立ててこれが堕落神の教えですっ、と言わんばかりのリーリャ。
「答えになってるのかどうか、分かりにくい気もするけど……でもそれじゃ、法を犯してもいいとも言ってしまっている気がするよ?」
「まぁ、堕落論にはそれについての答えが書いてありますよ。でも堕落神が望むのはそう言ったことではないのです」
では、どうなのか? そう聞こうとするとリーリャはわかった様に玲花の唇に指を添え、言葉を遮った。
「まず、お風呂に入ってきてください。続きはその時にしましょう?」
「そうだね、そうするよ」
思い返せばリーリャの信ずる堕落神について聞こうと興味が湧いたのは初めてと言ってもいい。リーリャの口車にでも乗せられたかな、と思うと少し笑みがこぼれた。
お風呂を上がってから、リーリャから堕落神の教えについて話を聞くと、少々難しく哲学的なことがわかってきた。
『秩序の中でも混沌は存在する。
秩序は未熟で不完全な人間に与えた制限である。そのなかで、嫉妬や誘惑は消えることなく存在し時にそれは人を狂わせ、人としての形を失わせるだろう』
リーリャは堕落論について書かれた書籍を手に、恰好はどうあれ本職のシスターを感じさせる穏やかな語り口で教えを説いてくれた。
『だが、その嫉妬も誘惑も堕落を誘うのは抑圧された秩序の元に生まれてしまうこともあるだろう。
ならば、それを抑圧するのではなく理解し素直に受け入れ、堕落に身を捧げよう』
それは、一種の現実逃避と言ってもよかったのかもしれない。いずれにせよ、人と言う生き物は何かにすがって生きているようなものだ。
堕落の教えは一番“人”という生き物を理解したものなのかもしれない。どうせ、生み出したのは人以外の何物でもないのだろうが。
『秩序を切り離した堕落の先にあるのは無だ。極楽ではない。
正があってこそ負が存在し、負があるからこそ正が存在する。
堕落も同じである。秩序の中で生きることで生じた苦を取り払うためにあるのだ。
苦がなければ堕落は成り立たない。
秩序もなければ苦は成り立たない。
秩序なき堕落へ走るもの、他に苦を与え続け快楽をむさぼる者こそ人の形をした生きる屍の他は無い。その者こそ神の鉄槌を受けるだろう』
最後の節を読み終え、リーリャは本を閉じた。
風呂に入る前にリーリャの言った通りに思うがまま何をしてもいいわけではないというのは本当だった。
「なんだか、話を聞いてびっくりしちゃった」
「フフッ、そうですか?」
「もう少しハチャメチャな感じかと思ってたから」
少し信仰する者に対しては失礼な物言いだとはわかってはいるが、シスター・リーリャの普段からの有様を見てれば奇妙な宗教色に見えるのは仕方ないのかもしれない。
「興味を持っていただけただけで、私は嬉しいですよ」
「そう……」
だとしたら、今起きている事件の犯人も堕落神からは鉄槌を与えられる存在だろうな、と玲花は思う。
「人は完全な生き物ではありません。堕落神はその“汚さ”を司る者なのです。人はその汚さから目を逸らさず向き合って生きなければならないのです。愛する者と愛し合いこともその汚さが無ければ成り立たないこともありましょう。ですから、堕落の教えを説く前に人はそれぞれに汚さと向き合っていますので、私が教えを講ずるまでもないのです」
リーリャが布教をしないのはこういうことだったのだろう。
ある意味この神様は人に近い存在なのだろうと思うとちょっと親近感が湧いてくるのだった。
*
翌日。
授業が終わるころ、日はすっかりと暮れてしまい真っ暗になっていた。ただでさえ、蒼龍高校周辺の町は人が少なく、街頭もわずかで暗くなると歩きにくいと言うのに学校側は余り被害の危機感を覚えていないのか、未だに授業を続行している。
リーリャも玲花の身を案じてか、放課後に迎えに行こうかと提案したが、あの恰好で来られては困る、と一蹴される始末だった。それにはもう一つ理由があり、事件の被害がパタリと止んだのだ。
それでも、犯人は見つかっていないのだから不安の種が消えたわけではなかった。
「寒い、な……」
一人、そう呟きながら寒さを紛らわせようと手を合わせ自分の吐息で暖める。両手の間を潜った白い吐息が暗闇へ消えていく。
「寒い?」
玲花の独り言に難える何者かの声。予想外の出来事に驚きが隠せず、身体を震わせる。
「誰?」
単なる幻聴? それは幻聴にしては、はっきりとしていて危険なまでに美しく、聴いた者を引き寄せてしまう様な女性の声だった。
「う~ん、名前はどうでもいいんじゃないかな?」
その声は足音もなく、一言置きに近づいていた。
得体のしれない恐怖感が帰路へ向かうはずだった歩みを止めさせてしまう。
「今はただ、寒さに震える貴女の身体を温めてあげたいの……それに私も寒いの。だから、二人で温め合いましょう?」
思考を真っ白に、甘く溶かしてしまう誘惑の声。
気づいた時には背筋に触れる柔らかい人肌を感じた時には二つの細い腕が優しく身体を抱きしめていた。
「っ……温かい娘」
「あ、なに、してる……っ!?」
耳元を擽る吐息を掻い潜ろうにも、女は肢体を絡ませてくる。
足の間を絡む様に割って入ってくる黒いストッキングに包まれた女の足と制服越しに玲花の肢体をなぞる白い指。
もはや愛撫に近いそれは、快楽と引き換えにじっくりと恐怖心と抵抗する意思を奪っていく。
「おいしそう……ちゅっ」
うなじに触れる女の唇は玲花の肌を吸う。
「ねぇ、もっと気持ちいいことしない?」
玲花には断る言葉が頭に浮かばず、ただうわ言が小さく紡がれるだけ。
もう、逃げられなかった。
「ふふっ、すっかり蕩けちゃってる……それじゃ、ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね?」
その言葉の後、注射を刺された様な鋭い痛みが走る。
女が首筋に噛みついたのだ。
しかし、それが注射器なら刺された後に続くのは鈍い不愉快な痛みのはずだが、女から与えられたものは違った。
「んくっ……んくっ」
女が嚥下するたびに余りに官能的な快楽が全身を襲う。
「はあっ、はあっ、んあっ」
血を吸われている。
快楽に揺れる中、何故かそう理解できた。
――でも、なにか違う
玲花はほんのりと違和感を覚える。
違和感と言うにも不確かな感覚が胸につっかえた。
――私、この気持ちよさを知ってる?
それは違和感ではなく既視感と言えるものだった。
そして、快楽とは別の渇望が喉を渇かす。
――甘く、熱く、蕩ける様な舌触りで、私を唯一満たす物
「ねぇ、私、思い出したみたい」
「んっ?」
玲花の奥底で眠っていた、赤い薔薇の蕾が快楽と共に花開く。
薔薇は美しい。それ故に見るものを引き寄せ、惑わせる。
そして、触れるものを自らの棘で傷つけ、弄ぶ。私に触れるのは容易ではない、と。
芽生えた蔦が女の腕に絡まってゆく。
「――んはぁ……貴方が何を思い出したのか、教えてくれる?」
女はすっかり玲花を物にしたと思っているのだろう。満足したような声が耳朶に触れる。
「私も貴女と同じ吸血鬼だってこと」
自分の身体を抱きしめる腕を解き、女の方を見るとそこに立っていたのは自分と同じ黒いセーラー服――蒼龍高校の制服を着た生徒が立っていた。
玲花は片手を相手の腰へ回して身体を引き寄せ、鮮血に濡れた女の唇と自分のそれを重ねる。
普通なら見ず知らずの同性などにいきなりキスをしようとは思わない。しかし、今の玲花には目の前の生徒が“生きのいい同族”にしか見えていなかった。
「ちゅっ……」
唇を伝って仄かに血の香りが伝わる。
自分の血であったというのに、その香りはとても蠱惑的で“食欲”をそそるものだった。
一度、唇を離し相手の顔をよく見つめると、瞳は血と同じく紅く濁った色彩を放ち、暗闇の中薄らと光っている。
そして、その顔はテレビニュースで見た行方不明被害者とそっくりだった。
「その瞳で魅了しようなんて思わないことね。私、多分貴女よりスゴイから」
玲花は吸血鬼と言う自分の種族についてある程度は本能的に思い出していた。
この女子生徒は他の吸血鬼に誘拐された後、吸血と同時に魔力を流し込まれ吸血鬼にされたのだろう、と大方の察しがついた。
もちろん自分達の持つ力についても理解している。
「お、ねえ……さ、ま」
恐らくつまみ食いした後、自分の“主人”の元へ玲花を連れて行く気だったのだろう。
吸血鬼には元来、人を魔力で引き寄せる魅了を用いて抵抗する意図を殺ぎ、血を味わう。餌を引き寄せるにも、抵抗する者を服従させるも魅了を使う者の自由。
「あぁ、わたし、は……!」
無論、玲花も今となっては吸血鬼へ戻ったのだから、完璧と言えなくとも魅了を使うことはできた。女子生徒が玲花の瞳を見て震えだす。主人を裏切ってしまう恐怖からか、相手が度を超えた者だったからか、あるいはどちらもなのか。
「怖がらないで? 力を抜いて私にその身を委ねていいの」
そっと、震える背中を優しく撫で、生徒が玲花にした様に首元に顔をうずめる。
「とても、おいしそうな香りがするのね。さぞ主人には気に入られたのでしょう?」
陶磁器の様に白い肌に浮かぶ噛み痕は一つだけではなく、幾つも残っていた。玲花はそこへ唇を落とす。
「だめぇ、あぁっ!」
「ちゅっ……貴女の主人は乱暴な者ね、私ならこうはしないのに」
玲花は彼女の香りと肢体の柔らかさを五感で味わうも、喉の渇きは収まる所を知らずに欲望が胸を揺さぶるばかり。
「ねぇ、貴女が欲しくてたまらないの」
「だめぇ、だめなのぉ」
「これでも、いや?」
拒絶を繰り返す獲物の柔らかく瑞々しい内腿に指を滑らせていく。
「ふあぁぁあぁっ! おね、さ、まのほうが、んぁあっ!」
「そう? それでも以前の主人を取るのね? 身体はこんなにも悦んでいるのに」
身を蝕む快楽に抗うように獲物は身体に爪を立てる。玲花はそれを嘲笑うようにスカート中へ手を入れ、肉付きの良い臀部を撫でまわした。
「はあっ、はあっ、だめぇえ!」
絶え間ない愛撫に息も荒く整わなくなっている獲物に優しく語りかける。
「私の物になれば、貴女は主人からの愛を独り占めできるの。きっと貴女の主人はたくさんの隷属を相手にしきれていないのではない?」
「どうしてぇ、わか、んあぁぁっ、んんっ、はあっ、わかるの?」
ようやく揺らいできた、と愛撫の手をゆっくりとさせ、玲花は答える。
「だって私も吸血鬼だもの。何となく、ね?」
かと言って、人をさらって隷属を増やしてなお、隷属に人さらいをさせる感覚は理解できないものがあった。
玲花は獲物の頭をそっと撫でてやる。
「だから、私と一緒になろ?」
玲花は問いかける。
正直、魅了も何も首筋に噛みついてしまえば流れ込む快楽で物にできたのかもしれない。しかし、玲花が欲しいのは獲物の“血”だけではなく、“獲物自身”だ。吸われる快楽だけを求める人形に興味はない。
――愛し合える同族が欲しい。
だから、ゆっくりとなぶる様に責め立てた。
「ん、あぁ……おねえ、さま」
目の前の獲物は恍惚とした表情を浮かべると、少し頭を傾げ、噛み痕の残る首筋を晒す。
「お姉さま、どうぞ」
はっきりと獲物は玲花の問いに答え、身を差し出すと玲花は何も言わず、牙を突き立てた。
「んあああぁぁぁぁああっ!」
玲花の牙から流れる快楽に獲物はその場にへたり込んでしまいそうになるが、玲花はその身体を支えながらゆっくりとその場へ腰を下ろさせた。
「んくっ、んっ、っ」
満たされなかったものが、いまようやく玲花の心を満たしていた。
口の中を満たす獲物の血は濃厚で甘く、自分の血以上に蠱惑的で血の味を思い出させるには美味すぎるものだった。それが喉を伝い、身体に落ちていくに連れ胸の鼓動は高鳴り、心臓の音で耳がいっぱいになる。
「おねえ、さま、おいしそう、に吸われますね……んあぁん、あぁぁ」
獲物は血を吸う玲花の頭を愛おしそうに撫で、玲花もそれに答えるように太腿を撫でる。
「ぷはぁ、すごくおいしかったよ……んっ」
堪能したのか玲花は首元から牙を抜き、そのまま獲物の唇を吸った。
血と唾液に濡れた舌が獲物の唇を割っていく。
玲花は自分でも人として異常な事をしているとわかっていたが、吸血鬼として目覚めた今、身体が血と快楽を求める衝動のままに獲物の肢体を蹂躙していた。
獲物の頭を押さえ深く、ねっとりと舌を絡めあう度に胸が苦しくなる。
――もっと、もっと、深く……
獲物は玲花の欲求に応える様に舌を絡め、身体を委ねていた。そんな獲物が愛おしくて堪らなくなる。
――もう、これだけじゃ足りない。
名残惜しいが玲花は唇を離し、冬の冷え切った空気を取り込んで熱を冷ます。情欲に染まった頭を少しずつクリアにして、獲物を改めて見つめる。
「ねぇ、今更感がスゴイけど名前教えてくれるかな?」
これだけ熱を交わして名前も知らないなんて奇怪だ、と獲物に名前を問う。
「ふふっ、そうですね。私は蘇芳 悠。悠と呼んでください。お姉さまのお名前は?」
すっかりと隷属感を漂わせる獲物改め悠に玲花は言った。
「私は鳳仙 玲花。玲花でいいよ。お姉さまなんて呼ばないでよ悠、私が欲しいのは隷属じゃなくて愛し合える同族だから、ね?」
*
リーリャは心配だった。
玲花の帰りがいつも以上に遅いこともあったが、つい先ほどから感じる背筋をなぞる悪寒が不安を駆りたてた。
それは単なる身体の不調からか、単なる気のせいか、それとも――。
「まさか……」
その感覚には身の覚えがあった。
「カーミラと似てる」
かつて、ヨーロッパを賑せた女吸血鬼カーミラの強大な魔力の感触と今のそれはほぼ同様と言って良かった。
「でもカーミラ、貴女はもう――」
そこまで一人、亡き親友(恋人とも言える)であるカーミラへ呟く。
それ以外に思い当たる悪寒の原因は一つだけ。そして真相は教会の扉を開く音と共に、向こうからやって来た。
「ただいま、リーリャさん」
髪の色こそカーミラとは違っても、発する魔力、血に染まった様な紅い瞳と陶磁器の様に白くシミや出来物の一つもないどこか生気に欠けた無機物の様な頬はカーミラと同じ物となっていた。
傍らにも吸血鬼であろう玲花と同じ制服を着た少女がいた。
「玲花ちゃん……」
「私、吸血鬼に戻ったみたい」
リーリャは玲花の姿を見るなり亡きカーミラへ心の中で謝った。貴女の約束を守れなくてごめんなさい、と自分の無力さに苛立った。
「リーリャさんは何も悪くないよ? だからそんな顔しないで」
きっと、顔に出てしまっていたのだろう。
玲花はリーリャの頬をそっと撫でる。かつて、カーミラがそうしてくれた様に。
彼女はいつも明るく、自分が悩んでいたり、落ち込んでいたりすると手を差し伸べてくれたことを思い出す。
そのカーミラの姿と今の玲花が薄らと重なる。
「前より今の私の方が自然体な感じがするんだ。それと、もしかしたらだけど連続誘拐事件の謎も解けちゃうかもしれないよ?」
複雑な心境でいるリーリャに対して、玲花は殆どいつも通りの様子でこう言った。
「ダメです! 玲花ちゃんはこれ以上――」
カーミラと誓ったのだ。娘を守ると。
私と同じ吸血鬼としてではなく、人の子として平和な人生を送らせてあげて。
死の直前にカーミラはリーリャにこう言い残していた。
吸血鬼としての本能を思い出した今、もう人間の中で人間として生きていくことは無理なことで、何事もなく学校に行かせることはできないだろう。
進むも退くも修羅の道、と言っていいのかもしれない玲花へ自分は何が出来ると言うのだろうか、リーリャはこれ以上吸血鬼の道を進まないでとも言えず言葉に詰まった。
「もともと、普通の暮らしなんて無理だったと思うよ。それでもリーリャさんは私の事、突き放したりしないの?」
「そんなことありません……私は玲花ちゃんにことのすべてをお話ししなければなりませんね。貴女のお母様――カーミラのことと、私の本当の姿を」
*
カーミラ、玲花の母。
もともとカーミラと言う名も本当かは定かではない。彼女自身、何年何百年と生きていく中で名前は余り重要な要素ではなかったらしく、何となく以前の名前の文字を入れ替えてカーミラとしたらしい。
何分、恋多き女だったらしく父親については本人も最後まで語らず、玲花を生んでから静かに息を引き取ってしまったという。
ただ、カーミラは強大な魔力の持ち主だった上に、人と触れ合うことが好きだったらしく、基本的に人間に対し排他的かつ尊大な吸血鬼とは違った見方の持ち主で同族にも敵は多かったと言われている。
リーリャはこの世界とは真逆に存在するとされる魔界からやって来たサキュバスで、自分と同じ魔界から人間界にやって来た魔物を助けたり、人を襲うことを選んだものには裁きを加えていたという。(最近はその仕事からは手を引いて隠居状態だった)
魔物と人間の間に立ち、両者の関係に軋みが出ないように働くこと。
それが、リーリャの役目だ。
そんな中で静かに子を育てたいとリーリャの教会へ訪れたのがカーミラだったのだ。
「でも、お母さんはなんで死んだの?」
リーリャから今まで隠されていたことを聞いて唯一釈然としないのはカーミラの死因である。
一人残された娘としては気になるのは当然の事だ。しかしリーリャ自身もこればかりは解らなかったと他に言葉が出てこなかった。
死ぬ直前のカーミラは唯、衰弱していくばかりだった、としか玲花は聞けなかった。
「息を引き取る前にカーミラは玲花ちゃんに偽装魔法をかけるように私に頼んだんです」
それは亡き母の小さな願いから来るものだった。
玲花には自分の様に吸血鬼の血に囚われた生き方をして欲しくはないから、とリーリャはカーミラの言う通りに玲花に偽装魔法をかけ、強大な吸血鬼の力を封じ込めた。それでも、芯に在るのは吸血鬼の身体と本能であり、人のそれとは異なるもので偽装にも限度があった。
吸血鬼が口にして満足できるものは生きる者の血だけ。
そして、吸われた者には快楽を与え同族へと誘う。
悠の吸血は皮肉にも同族への誘いではなく、玲花にとっては回帰へのトリガーに過ぎなかったのだ。それも、玲花は吸血鬼の中でも強大な力を持っていたカーミラの血を継いだ娘だ。
悠の相手が悪すぎたと言っていい。
そしてこれが悠の“元、お姉さま”に思わぬ誤算を与え、血に染まった惨劇の序幕に過ぎないことを誰も知らない。




