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短編集

福はない

作者: 吉水ガリ

「節分か」

 ベッドの上からカレンダーを眺め、一人ごちる。

 高橋隆夫はダメ人間である。

 不細工でデブでコミュ障で卑屈で変態で怠惰で悲観的で愚鈍でニート。大学を卒業してから数か月、仕事もせずに自分の部屋でだらだらと過ごす身の上である。

 そんな隆夫にとって、今日が節分であることは何の意味も持たない。今日も今日とて自室でだらだらと過ごすのみ。そもそも他の行事と比べれば、節分が特別な日であるという認識はされていない。もうすぐバレンタインもやってくるが、それでも隆夫の日常に変化はない。しかしそれでいいのだ。

 隆夫はすでに人生に希望を持っていない。親の金があるうちはどうにかなあなあで暮らしていけるだろうと、そう思っている。このご時世、自分のようなダメな人間は巷に溢れているはずだ。

 十把一からげの有象無象のひとりとして、つつがない人生を歩めればそれで良い。

 隆夫はベッドの上で寝返りを打ち、天井を見上げた。窓から差し込む朝日が眩しい。どこかで始業のチャイムが鳴った。それを聞きながら、

「今日はがっつりとゲームでもするか」

 重い身体を起こす。

 その瞬間、部屋の扉が開け放たれた。

「失礼するよ!」

 同時に飛び込んできたのはよく通る男の声。そして、巫女の群れだった。

 隆夫が驚きの声を上げる間もなく、その視界が何かに遮られた。そして、首に締め上げられる感覚が走る。

 ほどなくして、隆夫は意識を失った。


 意識を取り戻したとき、隆夫は縛り上げられていた。

 眼前には一人の男と複数の女。神主と巫女だ。場所は神社の境内。拝殿、賽銭箱の目の前に座らされ、取り囲まれている状況である。

 突然の襲撃から、何時間経過したのか、すでに夕日が沈み始めている。どこかで下校のチャイムが鳴った。

 場には沈黙が流れる。

 初対面の人間、それも大人数。おまけに周りを囲まれており、あまつさえそいつらは自分をいきなり襲ってきた連中だ。当然隆夫は言葉を発せられない。目線も合わすことができず、地面に向かった視線の端で相手の動向を確認するのみ。

 対する神主は、そんな隆夫をしばらく眺めたのち、不意にすっと右手を挙げた。

 その合図に、巫女たちが神主の背後にまわる。そして、人ひとり入っていてもおかしくない大きさの、丸い団子状になった風呂敷包みを運んできた。

 隆夫の眼前まで持ってこられたそれを、神主が無言で開く。包まれていたのは、溢れんばかりのお手玉だった。

「じゃあ準備を済ませるか」

 言って、神主は数歩退いた。代わりに、巫女たちが前に出てきて、思い思いにお手玉を手に取る。ひとつの手に2、3個ずつ。当然風呂敷の上にはまだまだこんもりとお手玉が残っている。

 巫女たちはそのまま、隆夫をまっすぐに見る。その視線を受け止めることもできず、隆夫の目はさらに下へと向く。

「始め!」

 部屋で聞いたのと同じ、よく通る声。それが響いた次の瞬間、巫女たちが隆夫の身体に殺到した。ただし隆夫が感じたのは女性の身体の柔らかな感触ではなく、ざらざらとした荒い布の感触と、それを超えて主張してくる大豆のゴロゴロとした感触だった。

「いでっ! ――あがっ! ――――痛たたたたたたた!」

 反射的に声が出る。

 巫女たちが、手に持ったお手玉を隆夫の身体に擦りつけてくる。がしがしと力任せに、布が破けるんじゃないかという勢いでひたすらに擦る。顔と言わず腕と言わず胸と言わず腹と言わず股間と言わず足と言わず、身体のありとあらゆるところをお手玉で擦る。

 なんだこれは、拷問か。率直な感想が隆夫の頭に浮かぶ。お手玉自体はさして硬くもなく頑丈なものでもないが、全力で擦られれば勿論痛い。しかし身を逃れさせることはできず、耐えるほかない。

 巫女たちは時折、擦っていたお手玉を後方に放り、新しいお手玉と交換。また一心不乱に擦り始める。風呂敷包みの中のお手玉すべてを使って、この作業を行うつもりのようだ。

 隆夫はお手玉でもみくちゃにされながら、ただただ痛みに耐えた。

 そして数分ののち、

「よし、終わったな」

 神主の言葉通り、巫女たちはその作業を終えた。額に汗をにじませ、荒い息を整えながらその身を引く。その場に残された隆夫は、巫女たちの何倍も汗を流し、荒い息を吐いて横たわっている。

 すると、地面に落ちた隆夫の視線の外、そこから声が聞こえた。

「いやあ、はたから見てても大変だなあ」

 それは神主のものとは異なり、のんきで、どこか楽しげなものだった。

 隆夫はどうにか頭だけを動かし、声の方向を確認する。そこにいたのは、父親の敏行だった。

「は?」

 声が漏れる。

 敏行は未だ倒れたままの隆夫に歩み寄ってきた。

「よお」

 その口元には笑みが浮かんでいる。

「なんでいるんだよ?」

「なんでって、休みだからだよ。お前は曜日がわからないから、気づいてなかったかもしらんが」

「そうじゃなくて、なんでここにいるんだよ! これは何の集まりだよ!? お前の仕業か!?」

「今から豆まきが始まる」

「は?」

「鬼が来るから豆まき。今日は節分だぞ。お前は日にちの感覚もないかもしれんが――」

「そんなもん勝手にやれ! なんで俺が拉致されてこんな目に合うんだよ!」

「それは、必要だからに決まってるだろ」

 敏行は神主の方を向いた。

「そろそろ来ますか?」

「日も落ちましたからね」

 気付けば、先ほどまで神社を赤々と照らしていた夕日はその姿をほとんど消し、境内は暗さを帯びてきている。

 敏行は隆夫に向き直る。

「ちなみにお前のやることはもう終わったから、そのまま休んでいていいぞ」

「何もしてないぞ」

「お手玉でゴシゴシされたろ――あれはお手玉、正確にはその中の大豆に、お前のダメなところを移したんだ。そっくり移動するんじゃなくてエッセンスだけ、いわば『ダメ成分』を封じ込めるって感じだが」

「……どういうことだよ、それ」

「もともと節分には、形代というものに自分を移して、穢れを清めたり、不幸を引き受けてくれる身代わりにしたりする風習がある。バカで物を知らないお前には初耳だろうが、いまやったのはそれの応用みたいなものだ」

 淡々と説明される。しかし隆夫にはその言葉も、いまの状況もまたくもって意味が分からない。

 そんな隆夫の思いは表情にありありと浮かんでいるはずなのだが、対する敏行は、先ほどからの口元の笑みもそのままに、子供のような、何かを待ち望んでわくわくしている子供のような目で隆夫を見下ろしている。

「来たぞ!」

 突然、神主が声を張り上げた。

 隆夫を除く皆が振り返り、階段の方を向く。つられて向いた視線の先、境内に至る階段に、鬼がいた。

 牛の角に虎の牙、赤黒い肌に虎柄の腰巻。人を超えた身の丈の、逞しい身体を持つそれは、隆夫が判断する限り確かに鬼だった。しかも鬼は一体ではない。ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる鬼の背後には、同じようにこちらに歩を進める二体目の鬼がいる。そしてその背後にも。

「豆まき、用意!」

 巫女たちがお手玉を各々手に取った。そして鬼に向かって構える。

 隆夫にとっては急展開だったが、神主と巫女たちは迅速に動いていた。

「始め!」

 神主の号令で、一斉にお手玉が投げられた。

 さほどスピードはなく、緩い放物線を描いたお手玉が鬼に飛んでいく。

 投擲武器としては威力はないに等しい。隆夫はそう思った。投げるものはお手玉、投げる人は普通筋力の成人女性。推測しても、実際の軌道を見ても、当たったところで痛くも痒くもない。これと比べれば、自分が受けた擦り包囲網の方がよっぽど攻撃的だ。

 鬼は身体をずらし、お手玉を避ける。弓なりに飛んできているため、避けるのも比較的容易だろう。

 だが、さすがにすべてを避けるのは難しかったようだ。ぺしっとひとつ、お手玉が鬼の肩に当たる。お手玉は着弾と同時に爆発するようなことも、衝撃を与えることもなく、ずるりと肩を滑り、地面に落ちた。

 だが、次の瞬間、鬼がその身体を投げ出した。手足を開き、仰向けに。大の字で地面の上に転がった。しかしそれは何かダメージを負った結果ではなく、まるで自分から寝転がるような、そんな動きだった。

 そして、その証拠に、鬼の口から豪快ないびきの音があがった。

 それを見ていた敏行が噴き出した。

「――あれは怠惰みたいだな。怠け癖はダメ人間の定番だからなあ。年中部屋でゴロゴロしてるお前のことだから、数は一番多いんじゃないか」

「それどういう意味だよ?」

「だから言っただろ、お手玉にはお前のダメなところを移したって。あれを鬼に当てれば、ダメなところが鬼に移るんだ。バカならバカ、不細工なら不細工。そっくりそのまま移る。その結果ああいう風に、鬼の動きが止まる」

 敏行が指差す先、鬼は四肢を投げ出し、盛大にいびきをかいている。どう見ても爆睡している。

「年に一度の豆まきだ。なかなか見られるもんじゃないんだから、せいぜい楽しめよ」

 そう言って隆夫の身体を締め上げていたロープをほどく。自由の身になり、身体を起こすことはできたが、立ち上がる気力はなかった。

「いやあ、いいなあこの光景」

 敏行の声に促されるように、鬼たちの方を見る。

「やれ! どんどん投げろ! 一体も漏らすな――!」

 十を超え、まだまだ数を増していく鬼たちは一歩一歩を強く踏みしめ、向かう巫女たちは次々にお手玉を放る。

 そのひとつに当たった鬼は、一瞬動きを止めたのち、その身を隠す腰巻を勢いよく外した。そして見せつけるように腰を突き出す。

「おお! あれは性癖のうちの露出願望か。お前そんな趣味もあったんだな」

「違う! 俺はそんなので興奮しないし、あんなこともしない!」

「隠すなよ~。こんな状況でいきなり寝るのも女に股間見せつけるのも、全部お前から生まれたものだ。自分のダメさをよく見ろよ」

 敏行の口元に浮かんだ笑みは、いつの間にか、にやついたそれに変わっていた。

「ほらほら、あっちの鬼は空を眺めてぼけっとしてるぞ。ここに来た目的でも忘れたえか? 向こうは膝抱えてうずくまっちまったな。臆病なのか、マイナス思考なのか。あ、あ青ざめてプルプル震えてるあっちの奴が臆病か」

 お手玉の弾幕の前に、鬼たちは次々と被弾している。

「あそこの奴は逆に顔赤らめて巫女さんたちの方を見てるぞ。あのいやらしい目つき、遠目に見てるだけで気持ち悪いな。お! 仲間を盾にして進もうとしてるやつがいるな、お前もなかなか卑怯なところがあるんだな」

 隆夫の目の前で、鬼たちが醜態を晒す。

 それらが、すべて自分から生まれたもの。自分のダメな部分が表に出たものだと、目の前の父親は言う。

 だが、

「俺はあそこまでひどくない! 世の中の連中と大して変わらねえよ! ――やめろお前ら! ふざけんなよ、俺はそんなクズじゃねえ!」

 鬼に向かって声を張り上げるが、声が届く様子はない。

 隆夫は自分がダメ人間であることは自覚している。どうあがいてもデキる人間にも人格者にもなれないことはわかっている。だが、それでも中の下ぐらいには位置している人間だと自覚していた。

 しかし眼前の光景はその自覚を許してくれない。自分はこんなに醜く愚かな人間か。

 そんな問いが頭を廻る。いま隆夫の心を、ニートになってさえ感じなかった、恥、そして屈辱という感情が占めている。

 目の前の状況にうめき声しか出せずにいる隆夫とは正反対に、敏行は、いまや口を大きく開き、笑い声をあげながら、

「いやあ、滑稽滑稽。愉快愉快。人のアホな姿を見るのがこんなに笑えるなんてなあ。日ごろのストレスも吹っ飛ぶわ」

 手まで叩いて喜んでいた。

 自分自身の姿を、こんな形で見せつけられ、あまつさえ嘲笑されるとは。

「――死にたい」

 自分はまだまだ大丈夫。大したことはないと思っていた。しかし朝とは一転、隆夫はいまや自分の人生を悲観していた。初めから期待はしていなかったが、自分の明るい未来が想像できない。

 鬼の姿を見ることから逃れるように、飛び交うお手玉を眺める。じんわりとぼやけかけた視界の先、不意に隆夫の脳裏に懐かしい記憶が蘇った。

――それは、家の床の間だった。仏壇には線香があげられ、独特の香りが部屋を包む。そこに小さな隆夫は座っていた。目の前にいるのは祖母だ。そして畳の上にはお手玉が転がっている。

 隆夫は小さな頃から家にこもる子供だった。公園はおろか、庭にすら出ず、専ら室内で遊ぶ。そんな隆夫に、祖母は昔ながらの遊びを教えてくれた。

 隆夫は母以上に祖母に懐いていたし、祖母も隆夫のことをよく可愛がってくれた。中学に上がる頃に祖母が亡くなるまで、隆夫の最も親しい人間は祖母だったのだ。

 祖母が亡くなって以降、中学に入学したこともあり、隆夫は性格もすさみ、ダメ人間として順調に道を踏み外してきた気がする。思えば祖母が生きていたころ、自分が子供の頃は毎日が輝いていたんじゃないだろうか。

 突如思い出した祖母の記憶に、隆夫は光を感じた。自分にとっての幸せはあそこにあった。

 虚ろなものになっていた隆夫の目に、光が宿った。

「祖母ちゃんの所へ行こう」

 隆夫はゆっくりと立ち上がった。

「――祖母ちゃん?」

 敏行が振り向いた。

「一緒にいれば幸せになれる」

 言って、隆夫は走りだした。

 突然の行動に呆気にとられた敏行が何も出来ぬうち、隆夫は鬼の群れ、それもお手玉がまだ当たらない後方の群れに向かっていった。

「うお――――っ! 」

 雄叫びをあげながら突っ込んだ矢先、鬼の腕が力強く振るわれた。隆夫の頭が夜空に舞った。

 そして、お手玉に混ざって、宙を舞い、地面に落ちる。

「死んだ――――!?」

 敏行が叫んだ。

「ちょっと高橋さん、なんで息子さん鬼に向かっていったんですか」

 神主がさほど慌てるでもなく、純粋な疑問として言葉を口にした。巫女たちもお手玉を投げる手を止めることはない。

「あいつ、直前に『祖母ちゃん』って言いました。おそらくうちの母のことを思い出して、死のうと思ったんでしょう。自分のダメっぷりに絶望して」

「お祖母さんと自殺がつながるんですか」

「あいつは祖母ちゃんっ子だったんですよ! あのクソババア、俺が子供のころはバカみたいに厳しかったくせに、孫は反吐が出るくらい甘やかせやがって! そんなに初孫が、長男が良かったか! どーせ俺は三男坊だよ、クソがっ!」

「それはそれは、まあよくあることですから」

「ていうか、なんであいつは死んでんだよ! バカか! アホか!」

「悲しいですか」

「死んでんじゃねえよ! 鬼を通してもっと自分の醜態を見せつけられて、どん底にまで落ちて絶望した顔を見せろよ! それを見て俺の心がスカッと晴れるまでがセットだろうが!」

「さすがのクズっぷりですねえ。ともあれ、ダメ人間一位が死んだため、来年以降はまた敏行さん、よろしくお願いします。」

「ああぁぁ、嫌だぁ――! せっかく三十二年間のお役目から逃れられたと思ったのに――っ!」

「息子さんが死んでも悲しまない点も踏まえて、いまやダントツで高橋さんがトップですから、またしばらく交代は無さそうですね」

「くううぅぅぅ! ――――いや待て、まだチャンスはある」

 敏行は神主の目をまっすぐに見て、

「いまから子供を作る!」

 高らかに子作り宣言をした。

「――唸れ、俺の遺伝子!」

 豆まきは続く。

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