そして彼は
真っ白な世界。そこには、何もない。ただただ、白い壁が四方を囲んだ、狭い空間。
そこに、ボクはいたんだ。
いつから、ここにいるのか、覚えていない。どうして、ここにいるのかも。ここに来る前は、どこにいたのかも、覚えていない。
自分の名前も、どんな顔をしているのかも、わからない。ここに、鏡はないから。ただ、ふとした瞬間目に入る銀色の髪と、真っ白い肌をしていて、そして、白い服を身にまとっていることくらいしか、わからない。
「ここから、出よう」
あるとき、どこからか聞こえてきたのは、女の人の声。
どこから聞こえてきたのか、ボクにはわからない。でも、はっきりと、ボクは聞いたんだ。
「ここから出れば、あなたは自由になれる。外の世界を見ることができる。外の世界は、きっとあなたを歓迎してくれるわ」
ボクは、しばらく考えた。
外の世界って? 自由って?
知っているようで、よく分からない。あいまいなイメージだけが、頭に浮かんで消えていった。
「ほら、外に出ましょう?」
そう言って、誘ってくる女の人の声。
外の世界って、どんな世界なんだろう? でもね、なんとなくだけど、きっと白一色の世界じゃないんだろうな。
そんなことを考えて、ボクは立ち上がった。
「外の世界は、きれい?」
「きれいよ。きっと、あなたも気に入るわ」
「どうやったら、ここを出られるの?」
「そんなの、簡単よ。あなたを邪魔することのできる存在なんて、ないんだもの。ほら、壁を壊せばいいじゃない」
女の人は、そういった。
ボクは、おそるおそる壁に触れてみた。ひんやりとした感覚が、妙に懐かしい。ずいぶん、昔に、味わったような感じ。ボクは、この壁を何度もたたいた気がする。何かを、叫びながら。
「無理だよ。壊せないよ」
「大丈夫。今のあなたなら、できるわ。ほら、拳を握りしめて、力いっぱい、壁を叩くのよ」
ボクは、拳を握りしめた。そして、思いっきり、壁を叩いてみた。
そしたら、壁は、思ったより、あっけなく崩れてしまった。
「ほら、出られたでしょ?」
壁の向こうは、紺色だった。白い壁と違って、つぎはぎだらけ。よく分からない光がともったものもあった。いくつもの、配線が壁をはっている。
この景色に、見覚えはない。どうして? ボクは、外に出たことないのかな?
「あとは、出口目指して、歩くだけ」
女性の声は、どこか楽しそうだった。
「さあ、出口で待っているわ。おいで。きっと、すぐに、たどりつくわよ」
それっきり、女の人の声は聞こえなくなってしまった。
ボクは、辺りをうかがいながら、とりあえず、歩き始めてみた。どっちの方向に行けば良いのかもわからなかったから、なんとなく、気の赴くままに、歩いてみたんだ。
やがて、紺色の壁に囲まれた、狭い空間が終わった。
その向こうには、青い色をしたもの――空が広がっていた。下には、草や花の緑が広がっている。
うん、やっぱり、ボクはこの景色を知っている。どうやら、ボクは、あの部屋の外に出たことがあるみたいだ。
でもね、そんなボクでも、わからないことがあるんだ。
その景色とボクの間に立ちふさがる、金色の髪をしたひと。その人は、白い肌に赤い液体をつけていたんだ。
そのひとよりも、赤い液体まみれの女の人。その人は、ぐったりしていて、動かない。
「どこに行くんだ?」
金色の髪をしたひとが、尋ねてきた。
「外の世界」
「どうして、行くんだ?」
「どうして、だろう?」
ボクは、考え込んでしまった。
女の人に言われたから? 外の世界を知りたかったから? それとも――
「うん。そうだ。ボクは、外の世界に行きたいんだ」
「どうして?」
金色の髪をしたひとは、顔をゆがめた。悲しそうな顔だ。
「外の世界に、きみの居場所なんて、ないんだ」
「どうして? 女の人は、外の世界なら、ボクを歓迎してくれるって言ったんだよ?」
「その女の人は、うそつきだから」
「じゃあ、外の世界は、ボクを歓迎してくれないの?」
「そうだよ」
そう言って、金色の髪をした人は、手に持っていた剣を構えたんだ。
僕は、気づいたよ。彼は、僕を殺す気だって。
「どうして? どうして、僕を殺すの?」
「きみは、世界に不要だから」
金色の髪をした人が言う。
そうだ。僕は、世界に不要だって言われた。だから、閉じ込められたんだ。
なら、どうして?
「君は、僕のことを知っているの?」
「知っているよ。だから、戻るんだ。白い、あの部屋に」
あの部屋は、何のための部屋だったかな。
昔のこと、覚えてないはずだったのに、少しずつ思い出してきた。
最後に見た空は、こんなに青くなんかなかった。もっと、赤くって。そして、地面は緑色じゃない。血を吸って赤黒く変色していた。
そうだ。あの白い部屋は、僕を閉じ込めるための部屋だったな。
「また、僕を閉じ込めるつもり?」
「そうだよ。外の世界は、きみに優しくはないから」
「そうだったね。僕を閉じ込めて、人間は平和を手に入れようとしていたんだったね」
こみあげてくる感情。いらいらする。これが、怒りだ。
あの時、人間どもは、僕を殺そうとした。そうだ、目の前のコイツが、僕を殺そうとした。あのときも、コイツは、僕に剣を向けた。
僕は、何もしてない。僕はただ、言われたとおり行動しただけだったのに。
なんで、殺そうとする?
「違うよ。人は、忘れようとした。自分たちが、何をしてしまったのか。自分たちが犯した罪から目をそむけ、なかったことにしようとした」
ちらりと、女の人に目を向ける。女の人は、すでに事切れていることだろう。
そうだ。この人は、ずっと、僕の味方だった。僕のことを認めてくれた。たったひとりの、僕の、大切な人、マスター。
マスターを、コイツが殺したのか?
「だから、人は、きみを消そうとした。そして、あの時、俺がきみを殺そうとした。結局殺せなくて、きみは、白い部屋に閉じ込められた」
何を思ったのだろうか。
目の前のアイツは、剣を下ろした。
「それでも……世界に不要だと言われても、外に出たいなら、出れば良い。俺は、もう止める気もないんだ」
僕は、疑問に思いながらも、外に出た。
外の空気は、白い部屋と違ってきれいだった。変なにおいもしない。
その空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
久しぶりだな、外の世界。
「けど、世界は優しくない。世界がきみに認める意味は、生物兵器としての意味だけなんだ」
空を横切る黒い影。
それに気づかずに、草原を走り回る。
金色の髪をした人が、悲しそうな顔をしたのにも気づかずに。
そして、轟音を立てて上空を飛ぶヘリが、下にいる人影めがけて、爆弾を投下したことも気づかずに。
何かが、降ってきた。それが、何なのか、僕にはわからなかった。
でもね、次の瞬間、体を包んだものが焔だってことは、わかったんだ。そして、草原をなめまわしているのも、焔だって。
そして、焔は熱いんだ。とっても熱くて、痛いくらいなんだ。
でもね、この痛みを僕は知っているんだ。どこかで、散々味わってきた痛みなんだ。
そうだ、僕は、戦場でこの痛みに何度かあってきた。
そうだ、僕は、戦場でマスターの人の言うとおりに人を殺してきたんだ。
「どうして? どうしてなんだい?」
いらないなら、不要なら、なんで生み出したりしたんだよ?
人間になれない、僕は、いったい何者なの?
僕に生きる意味がないなら、消してください。
マスター、命令をください。ねえ、マスター。そこで、寝てないで。ねえ、マスター。
ね……エ……マす……ター
炎に包まれ、灰となっていく銀色の髪の少年を見続けた。
「生命を思いのままにできる、創造神にでもなったつもりかよ? ニンゲンサマ」
皮肉めいた彼の声が、焔に包まれた世界へとのまれ、消えて行った。




