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  "I thought I was a goner."

  もうおしまいだ、死んだと思ったよ。

            チャック・イェーガー


 空軍からの退役が間近に迫っていた。

 だが、わたしには、どうしてもやりたいことがあった。命を賭してさえ、財産を失ってさえやりたいことがあった。それは、今ではわたしと同じように老境に入り、世界の空軍から見向きもされなくなった機体、F-15"イーグル"を思いのままに飛ばすという夢だ。

 しかし、辺境の貧乏国の一人の空軍パイロットの願望など、一体誰が顧みよう。それでも、わたしは生産ラインを閉じ、工作機械や治具さえ撤去したメーカーを訪ねたのだ。もちろん返答は当然、予想したとおりだった。

「なにをばかなことを」

 だが、今こうして背中で感じている操縦席の感触は噓ではない。

「まあ待て、そう焦るな。いいか、飛行は飛行前点検からはじまっているのだ」

 そのとき、遠雷のようにかつての自分の声が蘇った。

 新人パイロットの教官として過ごした日々に、何度も口にしてきた言葉だ。

「お前たちが、その二本の足で無事に滑走路に降り立ちたいなら、点検を疎かにするな」

 わたしは、散々に苦労して手に入れた機体――F-15"ストリーク・イーグル"に向かって歩きはじめていた。

 軽量化のために一切の塗装を拒絶した銀色に輝く機体。大気の暴力と高温に耐えるために、豊富に使われた赤銅色のチタンの色も眩しい。

 わたしは乗降梯子(ラダー)にヘルメットを預けると、陽光に温められた剥き出しの外板に、無言で手を触れた。それから右周りに点検をはじめる。特別発注の耐Gスーツがいささか動きを妨げたが、それは「お前の命を守ってやる」という無言の意志のようだった。

 機首を右手に見て足を進めると、まず見えてくるのは"イーグル"の頭脳ともいうべき、電子機器室の埋め込み把鈕(ファスナー)だ。無論、軽量化のために、この飛行に不必要な装備は、なにひとつ搭載されていない。ただ、高く、遠く、速く飛ぶための頭脳であり本能だけがある。

 その先には、敵機や気象や地上の状況を知るための、目にあたるレーダーが収められている、なだらかな円錐形をしたレドームだ。もちろん、ここも必要最小限だ。

 踵をかえし機体後方に向かう。機体下面に前脚が見える。ここもまた最小限だ。タクシーライトさえ取り払ったシンプルな脚柱は、恐ろしいほど頼りなく見えるが、飛行してしまえばもっとも必要ないのが、この前脚であり主脚だ。

 機首側面にはAOAセンサーが突き出している。こいつは気流に対して、機首が何度傾いているかを知らせる重要な感覚器官だ。さながら、わたしにとっての皮膚といっていい。

 そして、その先にぽっかりと暗黒を飲み込んでいるのが、可変式空気取入口であり、吸入する気流を整えるランプと呼ばれるものだ。そうだ、わたしにとって口であり舌であり気管だ。わたしと"イーグル"にとって、命の源といっていい。

 胴体部には、M61A1バルカン砲の発射口がある。だがここは、空力を乱さないように整形覆い(フェアリング)がかけられている。いうまでもなく、バルカン砲は軽量化のために取り外してある。

 つづいて主翼前縁。じつにシンプルなものだ。機械的な仕掛けは一切ない。ただの固定翼だ。だが、ここには"イーグル"の特徴が十分に見られる。翼端に行くに従って前縁が捻り下げられているのだ。目的は、大迎角時の翼端失速の防止だが、空気を掴んだら逃さない、腕力や握力といえる。

 主翼は滑らかなラインで胴体に接続されている。ブレンデット・ウイング・ボディだ。構造は左右分割式だが、その製造方法は贅を極めている。無垢のチタン合金を削り出し、96%が削り屑になるという豪奢さだ。赤銅色のチタンの鈍い反射がダイヤモンドのようで誇らしい。

 そして、ボロン複合材が使われている大きな垂直尾翼、水平尾翼と昇降舵を兼ねる安定板(スタビレーター)。その一部は機体全体の輝きを嘲笑うような褐色がかった艶のない黒で、無気味なコントラストを醸し出している。

 そして、エンジン。プラット&ホイットニーの、F100-PW-229の排気口。なんら飾り気もなく機械部品を剥きだしにしている。だが、そのパワーは凄まじい。いうまでもなくわたしの心臓である。もし仮にわたしの心臓にこのエンジンを据え付けたなら、圧倒的なパワーに耐えきれず、死んでしまうだろう。

 原型エンジンでさえ、推力重量比(T/W)は1.0を超え、理論的には垂直上昇しながら加速できる、凶暴な怪物である。しかも、この特別チューンされたエンジン"-229"は、推力重量比なら、2.0に迫りかねない。

 ここから踵を返して、機体の左側から操縦席へと滑りこむ。

 そうして、今は操縦席を背中に感じているわけだ。

「すべて順調、異常はない」

 ヘルメットを被り、耐Gスーツと酸素マスクのホース、無線のラインを接続しおえたわたしは、マスクのバルブから漏れる、機械的な呼吸音を耳にしながら、口を開いた。

「"ネイキッド・ガイ"よりコントロールへ、飛行前点検、異常なし。計器、装備とも異常なし。地上整備員からの合図がありしだい、エンジンを始動する」

「こちらコントロール、了解した。ブレーキの準備は万全だ。あとはそちらのペースでやってくれ」

「了解」

 わたしは"JFS"というボタンを押し、左右のエンジンを始動させた。

 とたんに、ヘルメットを通してさえ聞こえる、ファンブレードが大気を圧縮し、耳を殴りつけてくるかん高い金属音に包まれた。

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