【クレーン/逆境】
シズハは、男の子が万が一にも再び狙われないように、自分が姿を晒すことを選んだ。
小舟の集まる桟橋へ走るも、そちらはすでに敵が固めていた。海沿いへ小舟がないかと視線を走らせたその時、彼の背中に衝撃が走り、突然引っ張りこまれた。
「うぐっ!」
「見つけたぞ。お前だなァ隠密は」
奇襲してきた男は片腕をシズハの首に回し、もう片腕でシズハの腕をつかまえて背後に引きこんで固めていた。肘が逆向きに反らされ痛む。山と積まれた木箱の影で、男は船着き場に背を向けてシズハを隠している。殺気立ったざわめきが背中ごしに聞こえていた。
「これで報酬は俺らの船のもんだ。よその連中にゃ渡さんぞ」と男は声を潜めて笑う。
(この声……あの時の、冴えない無精ひげのやつ!)
町娘を装っていた時に聞き込みをしてきたふたりの片割れだ。
シズハの髪は雨粒を受けて、すでに赤毛の偽装は流れ落ちていた。自由の効く片腕で首の戒めを解こうとするが、力が強くびくともしない。敵は巨漢とまではいかないが、彼よりも頭ひとつ分ほど大きい。体格差は歴然だった。
だが同時に気づく、首を固められているものの、血管や気道が締まるほどではなく、むしろわずかだが隙間が空いている。
(荒事に慣れていない? いや、捕獲に徹しているのか)
息が詰まらない分には好都合だ。打開の糸口をつかもうと、シズハは口を開いた。
「それで? このまま日が暮れるまで、こうしていようっての?」
「バカ言え、横やりを警戒しておるだけだ。じきに仲間が来る。そうすれば俺ら皆で担ぎ上げてカシラのところにぶん投げてやる。さすれば他の連中はだれも名乗りを上げられんわ」
「そのお友達さんはいつ来るわけ? 明日? 明後日?」
「イチイチうるせえな。この港中を探し回ってんだ、近くに誰かひとりくらい……」
男は周囲を見回して気づく。北蛮海賊の連中はいない。
「おろ、俺だけか? なあ、誰かおらんのか、おい!」
「おじさん見捨てられたんだ、呆れるね」
「見捨てられてなどおらんわ! ……俺についてくるヤツがいないだけだ」
「はっ、情けな」
男は少しの間、歯を思い切り食いしばって口をつぐんでいた。だがやがて、腕の体勢をそのままに無言で背を反らした。体格の差ゆえ、傾くほどにシズハの身体は持ち上げられる。踵が浮いてわずかにつま先がつくばかりとなり、首と腕に体重がかかるようになった。
「ぐっ……」
「俺はよ、仲間を今しばらく待っていれば、それで構わんのだぜ。おしゃべりはいらん、黙っとれ」
片腕とつま先で体重を必死に支えながら、シズハは思う。
(キレるか動揺してくれたらよかったけど、思ったよりも冷静じゃないか)
思い切り首でも絞められたら、早々に気絶した素振りをして拘束を解くように仕向けるつもりだったのだ。
だがシズハはすでに一手先を考えていた。全身を持ち上げられながらも、つま先だけで両足を跳ね上げた。そして持ち上がった脚の反動を使って、一気に腰を落とした。
「うおっ!?」北蛮の男は、腕へと急に全体重をかけられたことから体勢を崩し、その場に片膝をつく。直後、シズハは相手の腕が緩んだ隙をついて首を抜き、脱出していた。立て続けに、掴まれていた腕も振りほどく。
無精ひげの北蛮とシズハは、一瞬正対し――少年の回し蹴りが男の横っ面に直撃していた。細身ながらも体重が乗り、的確に顎を狙い打ったのだ。ぐわぁんと男の上体がゆらいで、声もなくその場に倒れた。
自分思っていた以上の威力が出たことで、シズハは驚いた。
「しまった、やりすぎた! いや、半端にやって反撃されても困る……か」
良心がすこし痛んだ。この男、野蛮ではあるが、聞き込みの時もさっきまでの捕縛も、暴力を振り回すことを楽しむ様子ではなかったからだ。
彼はそのまま、貨物の影へと下がる。だがその時まさしく、北蛮の女と鉢合わせた。目つきの鋭い女だ。倒れた同輩と、その傍らに立つ『黒髪の少年』……状況は明らかだ。女は舌打ちをして言う。
「獲物相手に手心加えやがったね。まったく! 何やらせても半端だよ!」
そういいながら、女は同時に距離を詰め、木剣を振るっていた。シズハの胴を狙うように、下から振り上げてきたのだ。
シズハは素早く身を引いて木剣から逃れる。無精ひげの男の背中を踏んだがそれも気にしていられなかった。
退路を求めた彼は、荷物のうえへと飛び上がっていた。だがそれにより周囲の視線に身を晒すこととなった。
「おい、あそこだ!」
港は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、シズハは多勢に無勢で追い詰められる。船着き場を防がれ、大船に逃げこもうとして先回りされ、灯台に走ればその方面から敵の群れが現れ……
逃げ道を悉く潰された彼が無我夢中で走るうちに、行きついたのは新造の大型クレーンだった。
雨で滑る骨組みをしかと握ってによじ登り、追手から辛うじて距離を取っていた。しかしこれこそ、ほかに逃げ道のない袋小路に追い込まれているのだ。高く上るほどに彼の焦燥も高まる。
クレーンの基部には追手たちが蝟集していた。やとわれのゴロツキ、王国の兵士たち。そして少し離れて北蛮海賊団のものたち。雨と相まって足場が不安定ゆえに、追手たちも軽々に上っては来れずにいた。
厳めしい顔をした老齢の男が、周りの連中を押しのけてクレーンの一番近い位置へと歩み寄った。居丈高な装飾の施された軽鎧をまとい、片手には鞘付きの長剣を握っている。追手の部隊長であり、ごろつきや北蛮海賊たちの雇い主だ。シズハを見上げて老騎士が叫ぶ。
「子供よ、降りてこい! 騎士の名に、そして王国の名に懸けて、秘宝エリオンさえ渡せば殺しはせぬ!」
「……あいにく、それを渡すのは死に等しいんだ、こっちは」口の中で言う。
投降したうえで抜け出すことはできないか? とシズハは考えを巡らせる。だが街のゴロツキを動員するような者どもだ。捕虜となった場合に真っ当な扱いを期待できない。
なにより、拷問を受けた場合に、腹を殴られて嘔吐してエリオンを晒すというのが最悪の展開だ。
むしろシズハとしては、追手から逃げ切り次第、調合した薬によってわざと嘔吐してそれによって取り出そうと見越しているのだが……
彼の中で心は決まった。とても恐ろしく、非常に大胆な策ではあるが、ほかに手はない。
救いのために力を尽くすのなら、今がその時だ。
(逃げる道筋はひとつ。だがその前に、お前たちにありったけの『毒』を撒いてやる!)
雨脚の強まる中、高所のクレーンのうえでシズハは薄い胸をそびやかして立ちはだかった。黒い三つ編みが風を受けてなびく。
シズハはその場で、手荷物を下に向かって投げた。
落ちた小瓶が割れる。革袋の薬液が漏れる、だが光は漏れない。
「おかしいとは思わないのか。あの秘宝を僕が持つとすれば、どうやってあの光を隠していられる!」
「なにっ!」
追手たちの一部がざわめく。エリオンの性質を知るものたちが、指摘されて気づいたからだ。今のシズハは上半身も裸で、小さな手荷物も布地だ。光源を完全に隠しおおせるようなものはない。
雨に打たれながら、その場でくるりと回って見せた。曇天のなか、どこからも光は見えない。
「ないんだよ、この場に秘宝なんてものは! ここに集まったものはどいつもこいつも愚か者! 無為に踊っていただけだ!」
「ば、バカな! どこへ隠したというのだ!」
「それを言うと思うか? そんなこともわからないから、愚かだというんだ!」
どよめきはさらに大きくなった。
シズハは下で見上げる者たちへ背を向けて、最後に言った。
「じゃあな、下郎ども! お前たちが秘宝を手にすることはない!」
そして少年は、海を目がけて飛び降りる。
「おお、飛びおったぞ!」野太い声がした。
飛び降りる直前。シズハは内心で自嘲した。(愚かだの下郎だのと、ずいぶんな物言いをしたものだ)と。
だが一連の啖呵は、彼の存在自体が陽動であり、もっと別の作戦があるのではないか……そう思わせるためのハッタリであった。
疑念という名の毒である。使命を遂行するためには必要なことだ。
銀海流に乗って泳ぎ続ければ、流れの先の島に行きつくことは可能だ。
しかし可能性としては危険な賭けだ。波にのまれるうちに力尽きればそのまま溺れて死ぬこともありうる。そのうえで彼は、己の心身に賭けて海へ身をゆだねることを選んだ。
雨粒が海面に落ちるさまのひとつひとつが克明に見える、この高度から落ちての海原への接触、その衝撃はどんなものかと、シズハは怖かった。一瞬だというのに、気が遠くなるほどに海は遠かった。同時に肝が冷えるほどに、海は迫ってきた。
だがなによりもシズハの最大の誤算、想定外のことは――彼の動きを読み、行く手に先んじるものがいたことだった。
彼の胴体に何かが絡みつき、急激に横への力がかかった。銀に煌めく水面だけだった彼の視界に、ふたりの人間と一艘の小舟が映る。
「うわっ――!?」
なにが起きたかと思う間もなく、シズハはだれかの腕に受け止められていた。深く降り積もった、新雪に身を預けたような感覚だった。すんなりと沈みこみながらも衝撃が殺され、跳ねることなく身体が止まる。
まったく想定外の事態に、シズハは呆然としてだれかの暖かな腕に抱かれていた。わずかな間だが、夢うつつの気分であった。飛び降りた先がこのような温かく柔らかな感触であるというのがあまりにも非現実的に思え、自らの意識を疑ったのだ。
だがその心地はすぐに破られる。全身がぐるりと転回され、空を見上げる形で横抱きにされたのだ。
彼のまつ毛に、はらりと白いものがかぶさり、すぐに姿を消した。
いつの間にか、降り注ぐ雨は舞い落ちる雪へ変わっていた。
「雪……本当に、雪……?」




