【船着き場/ファーストアタック】
船着き場の見張りを命じられていた連中はほとんどが持ち場を離れていた。散会してまた標的を探しに行ったのだ。シズハは不安に駆られて周囲の建物と屋根に目を配るが、監視の目はゆるい。好機と見て、踏み出した。
桟橋までは、倉庫が四つほど並んだ距離だ
。なんでもない、物々しい空気に怯えるただの町娘、そのように見えるよう歩く。港全体が殺気立っているゆえ、いくらか及び腰であることこそむしろ自然であった。
船着き場までしずしずと進み、距離がやっと半分ほどに縮まったところで、シズハはなにかが髪に触れたと気づく。直後、波の音に交じってぽつりぽつりと水音が聞こえだした。
空を見上げる、雨粒が降ってくる。
(……雪なんてやっぱりなにかの間違いだ。からかわれたのか?)
あの言葉はやはり不可解であった。
だがそのことを考える間もなく、問題に直面する。
(まずい……)と身をこわばらせた。
三つ編みを赤毛に見せている染料は、本当に仮初のものでしかなく水を浴びればすぐに落ちる。
染料が半端に取れている様子を見られれば、あるいは完全に落ち切って黒髪となれば、そうなれば見張りの誰かが不審だと気づくだろう。先ほどの少女の言葉通りに、雪であればまだ事態は良かったが……
シズハはとっさに、すぐそばにあった倉庫の庇の下へ身を寄せる。雨粒に晒されることは避けられた。その時、倉庫の内部からちょうど聞こえてきた。
「お前が宝を隠し持ってるのはわかってんだよ、さっさと出せ、ホラ!」
反射的に周囲を見回したシズハだが、だれひとり自分に目を向けている者は見当たらない。流布されている特徴は「黒髪の少年」であり、今の彼は一見すると赤毛の少女なので、当然とも言える。
(フッ、勘違いしてやんの)と彼は胸の内で笑った。どこの軽率人間がハズれクジを相手にすごんでいるのかと気にかかり、声のした方、ふたつ倉庫の隙間へゆっくり顔を向けた。
彼は笑みをすぐさま打ち消した。視線の先には樽や角材でごちゃついた袋小路があった。そして四人の男たちに囲まれた、栗毛の男の子がいた。その姿がシズハの目に映った瞬間、それはまさしく額を小突かれたその瞬間だった。
「持ってない、知るもんか! 盗んでもねーし!」
男の子は上ずった泣きそうな声を上げた。シズハよりも小さく、おそらく十歳にも届かない。生意気ざかりの顔つきで。
詳しい内容は聞こえないが、懸命に口答えをしては、男たちに怒鳴られたり小突かれたりしている。恐怖と痛さで今にも泣きそうにしているが、眼の端に涙をためて必死に抗っているのだ。
シズハは見当違いなことをしている追手どもに、怒りを抱いて拳を強く握った。
(あんな子供を相手に……見当違いのぬるい仕事をしやがって)
あるいは標的を探した結果を狙ってくるのならば、それが仕事だとも割り切れよう。だがあれらは違う。
直後、追手のひとりは子供をへらへらと笑いながら思い切り殴った。男の子の頬へ真っ赤な跡がついた。男児はその場にしりもちをつき、ついに泣き出した。取り囲む男たちはいっせいに笑った。シズハは気づく。
やつらは最初から間違えてなどいない。遊び気分で、違う子供だと判ったうえでおもちゃにしているのだと。周りを取り囲む男たちのひとりは、身なりからして王国の兵士だ。ゴロツキと結託して、サボりがてらに憂さ晴らしをしているのだ。
シズハはみぞおちの冷たさが、ひどく増したのを感じた。その場でわが身を押しとどめて、固く握った拳を、絡まる紐をほどくようにして指のひとつひとつを開いていった。
そして懸命に思考を巡らせ、最大限に打算的な思考を働かせる。
(状況としては僕に有利だ。あの連中が遊び気分でその場にとどまっていれば、それだけ敵が減る。こちらに注意が向くことはない。このままなら船を入手して逃げ切ることも充分可能だ。あの男の子だって、いくらなんでも殺されはしないだろう。妹のため、伯父の教会のためを思えば優先すべきは僕が無事に帰ること。第一、悪いのは勘違いをした連中だ。そもそも相手が標的かも定かでないままに暴力を加えるなんて、あいつらがおかしいんだ)
そこまで考えてシズハは己に言い聞かせる。
(僕は悪くない……)
最後に、声を押し殺して唱えた。
「そう。なにも悪くない……ん、だけどねぇ……」
その時すでに、足音を忍ばせたシズハは追手たちの背後に迫っていた。男たちは子供を嗤うのに夢中で気づいていない。彼の声は嘲笑でかき消えた。
ここで他人を見捨てたら、司教の伯父上と、その後継ぎとなる妹になんの言い訳が立とうか。「救いの神」の信仰を取り戻すために秘宝を求めたというのに、人を見捨てるなど本末転倒だ。
暴漢越しに、赤毛の少年と目が合う。シズハは口の前で人差し指を立て、沈黙を促した。もう片方の手には、すでに煙玉を握っていた。そしてシズハは、眼をゆっくりと閉じる素振りを見せる、男児へ促すように。
狙い通り、男の子が目をつむったその時、シズハは煙玉を男たちの集まる中心へ叩きつけた。炸裂の瞬間に小さな破裂音がして、仕込んであった少量の火薬が起爆する。そして陶器の外殻が割れ、木の葉と粉塵のまざった煙が一気に拡散した。
「くわっ!」
「な、なんだよおい!」
粉塵で目をやられ、火薬によって木の葉に火がついて狐火が如き小さな火が起こり、と突如として異常な現象が起きたことで、追手たちは混乱した。もはや先刻まで何をしていたかさえ忘れたように、慌てて騒ぎ散らかしていた。喉に粉を吸い込んでせき込み、眼に粉を受けては催涙に喘ぎ、鼻へ粉の塊を受けてくしゃみをし……
その隙を突いてシズハは飛び込んだ。男の子の手を引き、袋小路から逃げ出す。彼は目をつぶっていたことで粉塵の直撃を避けて無事だった。
兵士が叫ぶ。「おい敵だ! ガキをもってかれるぞ!」
男児を先に行かせて、シズハは手荷物から瓶を取り出し、栓を抜いてその場に薬液をまき散らした。液体は路地が樽や角材でもっとも狭くなったところへ撒かれ、地面を広く覆う。
敵がそのエリアへ踏みこむとともに、見事に足を滑らせて転び、顎を地面にぶつけた。シズハが撒いたのは植物から採取した、医療用の潤滑液である。それを足場に撒けばたちまちスリップしてまともに立ってもいられなくなる。それを悪用したのだ。
四人のならずものは、ある者は後頭部を、ある者は鼻っ柱を地面に打ち付けた。シズハと男児が逃げていく背中を見て、だれかが金切り声を上げた。
「敵だ! 誰かこい! ぶっ殺せ!」
「そんな命令権はお前にない」
ボソリと悪態をつきながら、シズハは男の子の手を握って走った。
兵士の男が指笛を鳴らす。その甲高い音は港中に響き渡った。じきにこの船着き場へ、あらゆる追手が集まってくる。
シズハは男児を倉庫の裏手、たくさんの積み荷が集まる一角へと連れて来ていた。彼はようやく泣き止みつつあり、しゃくりあげながら言う。
「ねーちゃん、あんた何もんなの?」
「連中に狙われてる張本人だよ。悪かったね巻き込んで。それより、このあたりでどこか見つからないところに隠れるんだ。君なら荷物の陰に身を潜めてられる。あいつらにまた見つかったらどうなるかわからないぞ」
「うん、ありがと」
恩人の真剣な言い方に、男の子は涙を拭きながら素直に頷いた。シズハは彼の真っ赤な頬を撫でて泣き止ませた。妹にもいつの日かこうしてやったことを、彼は頭の片隅で思い出していた。
「よし、いい子だ……ああ、それとひとつ」
シズハはその場でワンピースを脱ぎ、上半身の肌を晒した。胸元から詰め物にしていた服がその場に零れそうになったのを、手早く荷物にくるむ。
「――ねーちゃんじゃない、兄ちゃんだよ」
「へぇっ……!?」
シズハがいたずらっぽく片目をつむって見せると、子供はぽかんとして口を開けていた。




