【氷室03/潮目】
ニナが素っ頓狂な声をあげた。
「呼ぶ? 海流をぉ?」
「うん。エリオンを灯台に灯した港には、銀の波がやってくる。円環を描く海流の一部分になれる……んだって、伯父上、が」
シズハの声は徐々に小さくなる。
繰り返し説かれた、アウレー再興の希望だが……あまりに話が大きく、自分自身も実のところ確信はないのだ。
ロウギが髭を掻きながら頷く。
「ははあ。そうすると、船が行き交う、商売が盛んになる、島そのものがにぎわう。で、教会にもひとが来るってぇことか」
「うん。伯父上の教会は、もともと大陸中の人が巡礼に来る、人々のよりどころだったんだ。天変地異で大地が割れて、断島になってからさびれてしまった。だけど、海流を呼び込んで人の流れが戻ればきっと、また栄える……」
シズハにとっては、大恩のある伯父のためであり、その地盤を継ぐことになっている双子の妹のためである。
「くだらない迷信じゃねぇの? そんな宝石持ってって、なにがどうなって海流が変化するってんだか」
「迷信じゃない。確かにそういう話がある」
鼻で笑うエイラに、シズハは強い語気で言い返す。
「エリオンだとか灯台によるものかはともかく、銀海流の潮目が変わったって話は俺も聞いたことがあるな」
「本当? やっぱりあるんだ」
シズハは思わず、目を輝かせてトウローを見る。
「ああ、数年前は魚群や漂流物がたくさんきてたのが、まるで見当たらないとか。豊漁豊作が嘘みたいになくなったって、港のじいさんがしょげてたよ」
「ふぅ~ん?」
エイラはまだ、半信半疑でいぶかしんでいる。
考え込んでいたニナが、シズハを見上げて言う。
「それさ。ほんとにできたとしても本末転倒じゃない? あんたの伯父さんがさ、教会のためだーっていっても、海流の流れが変わったら主流から外れる島もあるんじゃん。人の助けをしようってのに、そっちのことはどうでもいいわけ?」
「いや、そういうつもりは……」
「第一、人が来なくなったってのも、単に求められてないからそうなったんじゃないの。潮目が変わってもその後が続くの?」
キャベツに包丁を入れるかのようにザクザクと言われ、シズハは返事に困り、うつむいて小さく言う。
「そこまでは、僕には……」
トウローがつつく。
「ところでもうひとつ、俺が訊きたかったことがあるんだが。エリオン、どうやって探し当てたんだ?」
来た、とシズハは思った。エリオンについて情報を集めるならば、必ずこの手の質問は来るとわかっていた。
だがそれこそ、シズハがなにより隠したいことだ。
「僕の師匠は、使者として他の教会と行き来してたんだ。そういうときに情報収集もしていたものだから。その……風の噂? でさ」
「噂ぁ? あんたんとこって海流のはずれなんだろ。そんなとこまで届く噂なんかで、見っけられたのか? だれかに取られる前に?」
「王国の兵士どもがあれだけ血相変えて奪いに来てたろ? なんの正当性もないのに、子供ひとり追っかけてぶんどりに来るくらいだ。そんな情報が間に合うとは。おかしいな」
エイラとトウローの立て続けの指摘に、シズハはゆっくりとした口調で返した。
「……一度人の手に渡ったら、そう簡単に消えるものじゃない。海に沈んだりしなければ、だれかとだれかの間で話題に上る、そうして伝わるものもある」
「どこへでも聞き耳立ててるんでもない限り、そう簡単に断島の外に伝わるか? そこら中に密使を送るんでもあるまいし」
「人の手を渡ってたってことは、盗んだのか?」
「それは違う。教会の教えに誓って、決して盗んでも奪ってもいない」
限界だ。少年はするりと輪を抜け出した。歩いて来た方の通路を背にし、逃げ出す余地を作ってから言う。
「……この先は、言えないな」
追及が来ることはわかっていた。だがこれ以上を話すことはないと、シズハはすでに決断していたのだ。
***
シズハがなによりも隠しておかねばならないこと。
それは、妹フィシーの祝福のことだ。
彼女は祝福により、風を通じて遠くの物事を知ることができるのである。
伯父が『風読み』と名付けた異能だ。
言ってしまえば、『同じ空の下にあるひとの話し声を聞ける』能力である。
風が伝わる先=空気を遮るものがなければ、限りなく人の声を聴くことができる。
しかし、風の運ぶ膨大な声のなかから、有益な声を拾い出すのはそれだけで大きな労力となる。
風の拾ってくる先が、遠くになるほどに行使するフィシーの負担も大きくなる。
だがそれでも、エリオンの情報を集めるには充分なものだ。
フィシーの長期にわたる風読みにより、エリオンにまつわる物事の情報収集をなしていたのだ。
そして、それが海賊に知られれば……エリオンひとつどころではない。
航海に交易に戦いに、果てしなく便利な人材となる。
シズハは万が一にも、妹がよそのものたちに眼をつけられるのを避けたかったのだ。
***
エイラはムキになり、シズハに食って掛かる。
「言えないってなんだよ、言うだけならいいじゃんか」
「まだなにか聞きたいの? ずいぶんお喋りしたつもりだけど?」
「ちぇっ、一番肝心なところは喋らないってか」
「……そうだな。結構、話し込んだ。そろそろ持ち場に戻るとするか。なあ?」
「あ! やば、仕込みをまかせっぱなしだ!」
ニナの声がよく響いた。そして彼女は帳簿を握りしめ、あっという間に厨房へ駆けだしていった。
トウローは、すでに聞いた話だけで、ひとまずはお開きにするつもりのようだった。
だがシズハは、彼の眼から感じた。このまま話を終わせるつもりはないと。
トウローや船員たちが、軽々に害をなす相手だとは思わない。だが大金が動くとなると日常での人柄などあてにならない。港でシズハを追ってきた兵士たちとて、多くは普通の人間だったことだろう。
シズハは胃が重かった。
(この船でも、思った以上に用心がいるな……)
エイラはまだぐちぐちと言っている。
「あのカシラに一撃くれてやった時は確かに興奮したけどさ……よくよく考えたら、なんでこんなちっぽけなのがあいつに好かれてるんだ?」
呆れながら、トウローはいさめる。
「なにか響いたんだろうさ。男と女の話だ。外からどうこう言ったって仕方ないぜ?」
「男と女ぁ? お互いに男だか女だかわかんないようなツラとガタイのくせにさ。こいつだって、パンツ脱がせでもしなきゃどっちかわかんないね」
緊張の続いていたシズハには、その言いぐさがひどく癇に障った。思わず、エイラを睨みつけて言う。
「なにそれ、侮辱かい?」
エイラは少し驚いた顔をしたが、すぐににやりと笑い、拳を握った。
「だったらどうする?」
「おい、エイラ」
ロウギが割って入ろうとするが、エイラはそれを押しのけた。
「こいつはちょうどいいや。シズハぁ、甲板に上がんなよ。あんたとケンカして泣かしてやれば、鼻血出させるよりもよっぽど頭領の鼻を明かしてやれるね」
シズハは、半ば喜び、半ば窮していた。
フィシーの事からは完全に話を逸らすことができた。その点ではうまく運んだと言える。
しかしそこから、殴り合いのケンカに直行だとはまったく想定していなかった。
今更に、ロウギの助言が思い出される。
『いきなりケンカを吹っ掛けてくるような奴は……いないこともないが、まあないだろ。うん』
『特別に血の気の多いのがひとりな。ほれ、お前が娘っこの格好をしてた時に、一度会った女だよ』
テンヌが規格外とはいえ。エイラだってシズハよりは身体が大きい。明らかにケンカ慣れしている。
船医のクォーレに手当てはしてもらえたが、まだ胸の痛みは尾を引いている。
だが今ここでエイラから逃げ出せば、テンヌに勝利したことで勝ち得たものが陰る。無道丸での自由と、船員たちから一目置かれた立場とが。
「言わんこっちゃない……」
ロウギは頭を抱えていた。
その時――
とん、とん、とん。
床板を叩く音が、穏やかで力強く響いた。
シズハの背後からだ。
その場の四人はいっせいに音の方へ目を向ける。
くすんだ編み笠に灰色の外套……副長が通路の向こうに立っていた。
刀の鞘で足元を叩いたのだ。
その立ち姿は静かだが、場の者に無視をさせない圧がある。統率者の圧だ。
「邪魔をしたか?」
トウローは慌てて言う。
「いいや! そんなことはない。なあロウギ!」
「おお。いやはやまったく……おっと、俺たちに何か用か?」
険悪だった場の空気に、冷や水がかけられたようになる。
エイラはすっかり動揺して目を泳がせている。
シズハは身構えつつも、安堵のにじむため息が口をついて出た。
そして副長は、少年の方を向き、親指を立てて背後を指した。いっしょに来い、と。
「話がある」
次回:先の告知から延期して、3/25(夜)に予定します。
木曜+三連休が緊急の用事で完全につぶれたため。




