【氷室01/炊事班長と兵長】
保存用の布越しとはいえ、冷凍された肉の塊は手にしているだけで肌身に冷気が沁みる。
「あー、冷やっこい……冷たすぎるよこれ」
シズハは冷たいのが苦手だ。
訓練として、師父に連れられて冬の野営をした明け方には、毛布越しの寒気とそこへ起きて行かねばならない絶望感に本気でさめざめと泣いてしまったことがある。
慌てた師父が、暖かな蜂蜜入りのお茶を入れてくれたことで、心折れるまでは至らなかったが。
「冷凍品なんだからこんなもんだ。嫌ならよ、ほれ急げ急げ」
ロウギはだんだんとぞんざいになってきた。
シズハとしてはそう悪い気はしていなかった。ぞんざいといっても横柄さはなく、同じ立場に立っている感じがした。
(なんで、この冷たいのが平気なんだ?)
ロウギがなんともないのを不思議に思い、先を歩く彼の様子を見るが、まったく平然としていた。
よくよく考えれば、北蛮たちの黒い上着に意味があるのだと気づく。それは断熱性が高く、冷凍品を扱ううえでもこの船に適した制服だ。
対してシズハが身に着けているのは、テンヌからの借り物のブラウスだ。生地は繊細で、薄い。冬場ならもう一枚羽織る前提だろう。そもそも作業着でさえないのだ。
肉の塊を、持ち替えたり肩に乗せたりしながら足早に氷室に向かった。
いくつかの階段を下って船内を通り、氷室の前に着いた。
ちょうど数人の船員が、もとの持ち場に戻っていくところだった。
「それじゃな、ニナ」
「夕飯に期待しておくかんね」
氷室の前にいる女の子に声をかけ、船員たちはシズハとすれ違った。
木箱を積んだ上に、小柄な女の子が座っているのだ。
真っ赤なバンダナを頭に巻いて、長い後ろ髪を首の後ろで結んでいる。
頭のシルエットと両目がまん丸い。幼い印象だ。シズハと同じ年かそれよりも小さいほどに見えた。
シズハはその特徴に見覚えがあった。港での乱戦で、棍棒を担いで参加していた。
ほとんどを成年が占める北蛮海賊にあって、自分より小柄なので目についたのだ。
記憶にあるのはその容姿ばかりではなく……
棍棒を思い切り振り回して、敵の兵士の兜や鎧をへこませている姿も、シズハは目にしていた。
(氷室の管理を任されてる子かな?)
彼女は帳面を手に、なにやら書き記していた。
「おう、炊事班長どのよ。こたびの狩りの竜肉、最終便だぜ」
ロウギが言うと顔をあげ、『ニナ』と呼ばれた女の子は気安い調子で言う。
「了解。ごくろーさん。これは想像以上の大収穫だぞぅ。降ってわいた肉祭りだね、こりゃ」
上機嫌なのがはた目にも伝わる。
(炊事班長? この子ってそうなのか……)
ニナは不意に、視線をシズハへ向けた。
「おー。いのしし、『子狐』連れてきたんだ」
座っている間はシズハと同じくらいの目線の高さだった。
だがニナがひょいと木箱から飛び降りると、男子にしては小柄なシズハがなおも目を下向けることになった。
「だ~れがいのししだ」
「あはは! それ何回目?」
「こっちの台詞だ」
「……子狐? 僕が?」
「呼ばれてたっしょ? ちっちゃくて、ひとをだまくらかして逃げるのが得意。そんでいざとなれば狼にも噛みついて……ぴったりじゃん?」
ニナは歯を見せて、からかうように笑う。
そういえば港で、テンヌからそう喩えられた覚えがあった。
シズハがなんと返したものかと戸惑ううちに、ニナの意識は先の物事へ向かっていた。
帳面に一筆書き加えて、記された数字を眺めて満足そうに言う。
「それにしても。あいつ、やるじゃん」
ニナがあまりにも気安く言う。どうも自分の調子で物事を進める気質のようだ。
「あいつって?」
「ヌ」
「ぬ?」
「そう。ヌ、でしょ」
「あの人をその呼び方で通しとるのはお前だけだ。伝わらんわ」
ロウギが呆れる。
その言い方でシズハの脳裏でふと情報が繋がった。
「ヌって……え? まさかテンヌのこと?」
「そうだよ?」
ニナは当たり前のように頷く。
そんなことでいいのかと、シズハは無意識にロウギへ目配せする。
ロウギは動じた様子はない。小さく鼻から息をついて、いつも通りだと言わんばかり。
「一応、頭領でしょ? 怒られないの?」
「あたしが怒られるくらいなら、もっと怒られるやつがいるなー」
「ああ……」
例のはねっかえりのエイラだ。とシズハは理解する。
「それに、こんな海賊やる前からの付き合いだしね」
「海賊の前? どういう関係なの?」
「親友……だと、ちょい言い過ぎかな。今じゃ一応、親分子分だし。でももともと遊び友達なのは確かだよ」
「え……遊び? あの、失礼だけど……いくつ?」
ギン、とニナの両目が見開かれ、その手には棍棒が握られていた。
「アンタ今! あたしがチビだって言った!?」
シズハは慌て、抱えた肉塊を盾にしながらあとずさりする。
「言ってない! でもだって、ふたりの体格が違いすぎるんだもん! ぱっと見じゃ全然わからないから!」
「比べモノにならないほど小さい!?」
「そうじゃないって!!」
「そうではあるだろ」
妙に冷静にロウギが口を差し挟む。
「あんだって!?」
ニナの怒りが無精髭に向いたところで、男は言う。
「ええい、ケンカやめい。どうしてもってんなら甲板でやれ!」
シズハはたじたじだった。年が近そうに見えたが妹のフィシーとは、えらい違いだ。
とりなしで、ニナの怒りはどうにか落ち着きを見せた。突沸の余韻でぶつぶつと文句を言っていたが、そのうちにばつの悪そうな身振りで腕組みをした。
「まあ、確かに前と比べて話しにくくなったかな……ヌとは」
「立場が変わったから?」
「いや、あいつのこれ見よがしな胸がジャマで。ちょうど視線を遮るから」
(反応しにくい冗談だ……)
シズハは目をそらし、ふと気づく。
「あの、ところで。このお肉を早く氷室に」
「そーだった。それじゃ開けるよ」
ニナは氷室のドアに向かう。氷室の出入り口には他とは形の違う、縦に長い取手がついていた。扉が分厚いのだ。
小柄な身体で思い切り引くと、重々しい音がして開口部から冷気が流れ出てきた。
「入ってすぐ右に今回分が集めてあるから、まずはそこに積んどいて」
ロウギとシズハは氷室に踏み入り、言われた通りに肉塊を置いた。
シズハは吐く息が白くなるのを目にした。好奇の目で氷室を見渡す……といっても、首長竜の巨大な頭が鎮座し、大部分を占めているため全体図を見るとはいかなかった。
片目を失い、敗北を自覚せずに凍り付いたその顔は、死の瞬間のそのままだ。
本当に何もかも凍ったり、冷たいままに保存されている。
透き通った美しい氷がいたるところにされていた。
氷のそばにはまっしろに凍結した魚や肉が吊るされ、壁際にはいくつもの箱が並び、格子状の仕切りの中に飲み物の瓶が収まっている。
ふつうだったら保存の問題で流通しない貴重な食べ物や飲み物がいくつも並んでいるのだ。
(この氷を維持できてるのも、テンヌの力だ……祝福を交易に活かすとは。頭いいかも。それとも例の副長の知恵?)
なかでもシズハが目を惹かれるものがあった。
蓋のついたバケツに色鮮やかな絵がほどこされたものが、平積みで置いてあった。
砂糖と牛乳からつくる氷菓子だ。
妹が、ねだって買ってもらうのを何度か見たことがあった。しかしそれはカップくらいの大きさでも、結構な値が張る。
バケツサイズともなればこれだけで結構な売り物だろう。
(アウレーの港についたら、フィシーに持ち帰ってあげらんないかな……でもこれだってきっと売り物だ。先立つものがないな。テンヌに一方的にねだるようなことはしたくはないし。うーん……)
わずかな時間、考えを巡らせたのだが、それを乱すものがあった。冷気だ。
考えがまとまるよりも先に、シズハは背筋が震えるのを自覚して、尻尾を巻いて退出した。
三つ編みの毛先をさわると、ちょっと固くなっていた。
氷室の外は夏の暑気を残す夕暮れの空気であり、それだけでほっとするようだ。
深呼吸したシズハは、ふと気づく。顔ぶれが増えていた。
ニナとロウギに、もうふたりだ。
ひとりは、例のはねっかえりの女猟兵、エイラだ。周りに愚痴っていた。
「せっかくの竜退治だってのに、アタシは船底でさー。なんだい、鼻血を出させろって発破かけたくらいで」
「アレお前かよ」
エイラは戦闘中の頭領への軽口で懲罰人事(?)を受け、船底の当番を回されていた。
浸水が起きた際に修理や対応をする要員だ。武器ではなく工具を持って備えていたのである。鉄火場を好むエイラにとっては不服であった。
もうひとりは長身に長髪の、飄々とした男だった。片手をあげて気楽に呼びかけてきた。
「ようシズハ。ちゃんと顔を合わせるのはお初だな」
「はい、ええと……」
「俺は兵長の『トウロー』……実働部隊のまとめ役ってとこだ」
眼差しと輪郭とが、北蛮男衆の中でもひときわ鋭利であり、洒脱な印象だ。外套は袖を巻き上げてあり、髪も長いが伸び放題といった様子ではない。船内では見ないタイプの軽い風貌だ。
ロウギが言う。
「お前に用があるんだとよ」
「ふたりとも?」
「いいや、アタシはトウローのお目付け」
(逆じゃなくて……?)
エイラの軽口には、もはや周りも特に反論も指摘にしない。
シズハが不思議そうにしているのを見て、トウローは口を開いた。
「ちょっと疑問……というか聞きたいことがあってな。いいかい?」
「ええ、答えられることなら」
ありがとよ、と小さく前置きして、男は言う。
「俺もこいつらといっしょに、あの港で走り回ってたんだよ。隠密を追って光放つ秘宝を探し当てる。ちょっとした勝負事気分でな」
「まんまと子狐に化かされて、負けちゃったんだ」
ニナが茶々を入れる。トウローは小さくため息をついて笑った。
「俺は化かされそこなったのさ。見失ったあと、こいつらと別の方を探してそのまんまだったからな……なあおふたりさん?」
まんまと化かされたロウギとエイラは、ぎくりと肩を小さく震わせた。
「まあ勝負に負けたことはこの際重要じゃない。カシラに打ち勝ったシズハに、わだかまりもなんにもないさ」
トウローの物言いは、兄貴分的な、親しみを感じるものだ。
しかし、なんとなくよくない方向に話が向いている、シズハは直感した。
「だったら、なにを?」
「どうしてもひとつ気になることがあるんだ」
トウローはそこで少し言葉を切って、わずかに身を乗り出した。
「俺ももともと狩人だ。結構目ざとい自信はあってな。お前の背を追って一度は迫った。そして隠れられそうな場所は目を配ったはずだ……だが、伝えきいた秘宝の光とやらを、一度も目にしてないんだ」
指摘を受けて、ロウギとエイラは口々にいう。
「そういえば、荷物を漁った時は見つからなかったのう」
「素っ裸になったときもなんにも光ってやしなかったぜ」
「ところが。シズハが今こうしてこの船にいるってことは、だ……」
北蛮たちからの視線がシズハに集まる。
シズハの腹に、痛みにも似た冷感が走る。
抑えそうになる手をぐっとこらえ、わずかに胸を反らして拳を握った。
トウローは本題の疑問を口にした。
「お前、結局あの秘宝エリオンをどうしたんだ?」




