【甲板05/銛打ち】
「わし直々の銛打ちじゃ! ものども、為すべきことはわかっておろうな!」
傾きつつある陽光の中、テンヌは叫ぶ。
海賊の頭領として、狩人として。
その声には力があった。
首長竜を狩猟すべく、甲板が湧きたった。肉体に血が巡るように船員たちが動き出す。
ダカツが先んじて動き出し、大きな木製の円柱に巻きつけられた縄を担いできた。
テンヌはその縄先を握り、丁字型になっている鎚頭に固く結んだ。
その間に、ロウギは大きな桶を海へ投げ込み、ひとすくいの水を汲み上げた。
テンヌが桶へと鉄棍の端をつけると、彼女の手首がわずかに光る。
周囲へと肌に感じるほどの冷気がもたらされる。
そして水から引き上げた棍には、見事な氷の穂先が作られていた。
「銛よォし!」
港での戦いの槍とは形が違っていた。鉄棍を中心として、かえしとなるトゲが三方向に伸びている。
つまりは突き刺さった標的の肉体へ、食い込む形状である。
「投網の用意もしておけよ、網打ち要員! 狩ったところで、肉が海底に没されては困るゆえな」
頭領の声を受けて、数名の船員たちがはりきって準備に動いた。
テンヌと船員たちが準備を整える。
そのうちにも、巨影は大船と並走するどころか、先を行くほどの位置取りとなっていた。
両者の間合いはじりじりと近づいている。
シズハは水底から上ってくる敵意を感じて、預かった羽織のふちをにぎりしめていた。
同時に疑問が浮かぶ。
(なぜだ? 首長竜は矢を射かける前からこっちに迫ってきていた。縄張り意識か? それとも巨大な船を見て、競争相手とみなしたのか……)
さきほど、顔を上げたわずかな間であるが、シズハはあの竜と目が合った気がした。
野生動物の持つ表情は、人間のそれとは様態の異なるものだ。緊張と恐れゆえの錯覚かとも少年は思った。
しかし……その全身に及ぶ寒気が、ただの錯覚とは思わせなかった。
(……わからない! わからないが、とにかく敵意を感じる!)
「やっこさん、まだ速力を上げるぞ! ぶつかってくる気だ!」
ボレーの目が敵の動きを察知した。
テンヌは揚々と返す。
「好都合よのう! 引き付けて撃ち貫く!」
テンヌは船べりに片足をかけた。
袴が風を受けて、その下にある太股が浮き彫りになる。
丸太のようなそれは、竜の牙をも跳ね返しそうだった。
そして、しなやかで伸び伸びとした右腕で銛を構える。
弓の弦をより集めたように強力な筋肉が内蔵されているそれは、鉄と氷でできた銛を、手の先でピタリと制止させた。
腕と脚とだけでなく、意外なほどに細い腰の全面に備わる腹筋もまた、力をみなぎらせている。
足と腕と胴体と。
さながら、人力捕鯨砲の発射準備完了といった威容だ。
銀海流の中を並走していた巨影が、急速に角度を変えた。
やや先行していたのが、急に船へと向かってきた。
軌道をほぼ直角に曲げて、船へと迫りくるのだ。
「突撃だ! 狙いは船の土手腹!」と見張りが叫ぶ。
角の形が視認できるほどの海面すれすれで、首長竜は無道丸の船腹に襲い掛かった。
海中から巨大な物体が迫る。銀海流のうねりがますますひどくなり、水の動きで船が大きく揺れた。
甲板の船員たちも揺れに応じねばならず、身構える。その一部は、体勢を崩してそばのものに捕まらねばならなかった。
シズハもそのひとりであり、とっさに両手足を床について辛うじて転ぶことを耐えた。
だがテンヌはまるで違った。
船べりに片足をかける不安定な姿勢でありながら、上半身が全く揺らいでいなかった。
下半身の筋肉で揺れへ対応し、その影響を完全に殺したのだ。
銛を構える腕と標的狙う両目は、十全な状態を保っていた。
竜の角が急速に迫り、甲板の緊張も最高潮に高まった。
「来るぞ! おカシラあ!」
櫓の者が叫ぶ。
テンヌは口を引き結ぶ。
巨影が最接近するその寸前――
「――もらった!」
彼女は牙を剥いた。同時に銛を投げうつ。
狼のような叫びとともに、腕が風を切った。
固唾を飲んでいた船員たちも、その銛の軌跡を視認することはできなかった。
腕の動きは、振りぬいたその後に見えた。
銛が水面を貫く音さえ、後から聞こえたかに思えた。
それほどの速度で投擲されたのだ。
「み……見えなかった!」
シズハは驚きを吐露していた。
銛打ちの直後……一瞬の静けさがあった。
船員たちが身構え、予測したような衝撃は来なかった。
巨竜の突撃は無道丸へ命中しなかったのだ。
「こ……殺せたの? あとは解体するだけ?」
だれか、船員の女が顔を上げて言う。
しかしテンヌはそれに応えず、銛を打った海中をじっと見ていた。
テンヌの見立てでは、銛は確かに首の付け根へ突き刺さった。
そのまま、じきに息絶えるかと思われた、が……
――直後。海のうねりが、またもや船を大きく揺らした。
銛を受けた竜が、痛みに荒れくるって暴れたのだ。
「ヤツはまだ死なぬ! 総員、気勢を絶やすな!」
テンヌが叫んで檄を飛ばす。
彼女は、後ろに立つ船員たちに叫ぶべく、身体を反らせていたのが幸いした。
瞬間。竜の長い首が持ち上がり、海上へと跳ね上がった。
一瞬のうちに、海中から角が振り上げられたのだ。
船べりの一部に大きな傷が刻み込まれていた。もしも船縁から身を乗り出していれば、その切先で骨肉を裂かれていたであろう。
振り上げられた角の先端は、テンヌの頭のさらに頭上にあった。
肉薄してわかったことだが、竜の頭はそれだけでテンヌの身の丈ほどあの大きさだ。もちろん首の長さはその数倍ある。
口を開ければ大人一人くらい楽々と丸のみにできそうである。
その巨体がもだえるほどに海が逆巻く。船が揺れる。船員の一部が小さな悲鳴を上げた。
「ひいぃ!」
首長竜の身体は、銛と縄によって船と接続されており、それが暴れるほどに船も揺れるのだ。
ロープを巻いたドラムが急速に回る。ダカツはその太い腕で懸命に軸を抑えていた、
「次はどうするんだ! 矢か、槍か!」
ロウギが声を張り上げた。
――銛は確かに、首長竜の首の付け根へと命中していた。
それだけではない。テンヌの祝福の力が込められたことで、さらにはそこから凍りついたのだ。
首の付け根から胴体の半ば、そして前肢のヒレの付け根のあたりまでが凍結している。
首とは脊椎動物の全身を司る指令系統である。
そこへ氷の枷がはめられたことで、総身の動きが鈍くなり、やがて死に至る。
……そのはずだった。
通常の生物ならば、とっくに機能を停止している。
だが竜の生命力と執念は、彼らの知る生物を超えていた。
どよめき怯える船内で、頭領は独り、笑みを浮かべた。
彼女とて見えてはいない、銛の命中した部位のことを。
だが知覚していたのだ。敵の身体を、自らの氷が抑え込んていることを。
「凍っているな? よかろう。ならば十分殺せる」
テンヌは腰から蛮刀を抜いて握りしめた。
ありったけの冷気を込めた刀身だ。
頭部に付きこめば、竜といえどもそのまま頭脳を凍らせて、完全に体機能も息の根も止められる。
だがその時、違和感に気づく。
高々と伸びた首長竜の頭が、一瞬止まったのだ。
竜が高みから無道丸の甲板を睥睨するなかで、目の留まるものがあった。
それはテンヌの後方。シズハだった。
少年は確信する。
(眼が合った。今度は間違いない。錯覚なんかじゃあない!)
その時、竜の長い首がたわんだ。その構えは、奇しくも銛打ちに備えるテンヌの腕に似ていた。
少年が身構えるよりも先に――
鋭利な角が突き下ろされた。
一瞬の事だった。
(え……? 死――)
対処をするには、すべての知覚が遅れていた。
回避に移るだけの時間はなかった――




