【甲板04/一角の巨影】
「あいつ……でかいよね?」
誰にともなくシズハが言う。ロウギと周りの船員たちは頷いた。
彼らの視線の先。煌めく銀海流の中に、巨大な影が動いている。
航行する無道丸と並走しているのだ。
ただでさえ指向性の強い銀海流だ。海を行く船と生き物とが、たまたま同じ一路をたどることも在りうるだろう。
だが目下の影は、単なる遭遇者とは思えない動きだった。だんだんと近づいているのである。
ロウギは言う。
「この海流じゃあよ、たいていの魚は勢いに任せて流れてくばかりだ。だが流れの中を近づいてくるなんて、よほどの大物だぜ」
「大物だなんて、見ればわかるわ!」
別の船員が焦燥を隠さずに言い返した。
見張りがさらに声を張り上げる。
「4時の方角! 海中! 間違いない、デカブツが近づいてくる!」
見張り櫓から鐘が打ち鳴らされる。
止まることなく打ち鳴らされる鐘は、緊急事態の合図だ。
異常を察知して、船内にいた船員たちが甲板へと出てくる。
その中には灰色の外套とくすんだ笠――副長の姿もある。
副長に伴われてきた者たちは、弓矢や投石用の石といった、武器や道具の箱や袋を担いで現れた。
テンヌは袖を抑えつつ、胸を反らせて声を張り上げた。
「弓持つ者は射かけよ!」
もともと甲板にいた、数名の船員が弓を引いて矢を射かけた。
海風を切って矢が飛ぶ。距離が開いていることもあり、海中の巨影に有効打を与えた様子はない。
狙いを外したものと海面に阻まれたものと半々といったところだ。
だが、そのあとに放たれたボレーの一矢は違った。
「よし……このへんだな」
大きく空へ仰角を取り、呼吸を整え――矢は放たれた。明後日の方角へ向かったかのようだったが、船に並走する巨大な影を、的確に予測して射られたのだった。
矢は宙へ上り、やがて重力に従って下降した果てに、巨大な影の一部を射抜いた。
海面へとほぼ垂直に侵入した矢は、その下にあった生き物の皮膚を貫き、海中で血を流させたのだ。距離を見事に計った一射だ。
「おお、当てたか!」
船から驚きがあがる。
矢が命中した直後、巨大な影が水面下でうごめいた。
海賊たちが注視するなか、海面に一筋の裂けめが起こる。
うねる銀海流の中から一本角が日差しの下に現れた。
海中から角の生えた頭部が、大きく持ち上がり、鎌首をもたげる。
一頭の竜が顔を上げたのだ。首長竜である。
「フシャアアーーッ!」
水を吐き出す音と混ざり合ったような咆哮が響く。
海中にある身体は見えないが、恐らくは紡錘形の胴体で、ウミガメのような四肢のヒレが生えていることだろう。
「あ……あんなやつが! 本当にいる!」
シズハはその言葉を正しく口に出来たのかどうか。自分でもわからなかった
その巨大な生き物を見て、驚きのあまり声を失っていたからだ。
少年が『竜種』を見たのは、生まれて初めてだった。
***
『竜種』とは、太古の時代から生き、時折人間の前に現れる希少生物の一群だ。
巨大で鱗に覆われた身体をしており、およそ爬虫類や一部の鳥類に似た特徴を持つ。
古い時代ほど多くの記録が残り、人々を悩ませる今日の象徴でもあった。
祝福を持って生まれた若者の昔話は、その多くが竜退治の物語でもあるのだ。
あまねく通ずる筋書きはこうだ。
数奇な境遇の青年が祝福によって身を立てて、やがてはその土地を苦しめていた竜の棲家へと挑み、祝福に由来する雷であるとか炎であるとかで退治する……といったものである。
それらは断片的な伝承ではあるが、竜を倒した証の牙や角といったものが残されており、ほかのどの生物のものでもないことは確かだ。
ここ百年ほどにおいては記録がすくなく実態がつかめないものの……
世界のどこかで棲息していることと、人間にとって脅威であること。それは間違いのないことであり、人々からみた竜という存在だ。
ある栄えた山村が一夜にして全滅した時。
晴れの日だったというのに嵐のような破壊の痕と、猛禽とも大鰐ともつかぬ巨大な生き物の足跡が残されていた……
などという話は、成人するまでには一度くらいは聞く事件だった。
生存者があらば、およそその口から出てくる証言が、『竜に襲われた』というものなのである。
だが竜にまつわる噂の様子が明確に変わる契機があった。
大陸の砕けた十五年前からだ。
各地で竜種の出現例が増えていた。単に不可解な事故の原因を求めたものだとは思えないほどに。
断島ひとつの人間が食いつくされ、竜の棲家となったなどという話も聞こえるほどだった。
大陸が砕けて本来の棲家を追われた巨大な生き物たちは、狭まった陸地の中で競争相手の人間に牙を剥き始めたのか……
***
『首長竜』は、海に現れる竜として船乗りたちの間で根強い伝承の残る存在だった。
大きな船が難破した原因は竜に襲われたものであるとか、季節外れの鱗雲は竜の現れる前触れであるとか。
信憑性の大小はともかく、竜にまつわる多くの俗説が伝わっている
北蛮海賊の前に現れた竜には、伝承に聞こえる普遍的な特徴とは異なる点がひとつあった。
現れたその竜には、頭頂部から鋭利で長い角が生えていることだ。
角は顔の前方へと向かっており、恐らくは頭部のヒレが外敵を貫く武装として進化を果たしたもののようだ。
その先端を船底へまともに喰らえば、大穴が空いて修理する余地なくたちまちに沈むのは間違いない。
希少で危険な生物を前にしたというのに、狩りの獲物と見込んで意気揚々と叫ぶものがひとり。
「でかい竜じゃ! こいつはいいのう!」
喜び勇むテンヌに、ロウギが叫んだ。
「言ってる場合か! あんな角をぶっこまれたら、いくら無道丸でも風穴ぁ空いちまうぜ!」
海面から顔を上げて敵の姿を認めた首長竜は、無道丸の人間たちをにらみつけると、またも海中に潜った。
気のせいか、シズハは竜と目が合ったような気がした。
黒々とした巨大な瞳孔にのぞき込まれたような……
その航行速度はあがっていく。さきほどまでは右舷のやや後方だったのが、見る間のうちに並走する位置取りとなる。
北蛮海賊といえども、船と同程度の大きさの竜を相手にするのは初の事態であった。
船員たちは対応を取ろうと、武器庫に走ったり投擲用の石を持ち出して来たりした。
彼らはなにか行おうとしているが、まとまりを欠いた。
「結局は狩りだろ、狩り!」
「相手が海なら漁じゃねえのか、投網だろ!」
「魚群ならともかく、あんな大きさじゃ網も引き破られちまうよ!」
シズハの目の前で、何人もの船員があっちへ行ったりこっちへ行ったり。
だが明確に役目を負って動いているのではなく、だれも彼も場当たり的だ。
ロウギも周囲を見て、どうしたものかと右往左往している。
シズハもまた戸惑っていた。船そのものの危機と成れば何もしないわけにはいかない、だが自分に何ができるのか――
そのとき、少年の肩に羽織がかかった。少年の全身を包むかのような大きさだ。
テンヌは肩がけのそれを脱ぎ、椅子の背に上着をかけるようにシズハの肩にかけたのだ。
「すこし、預かってもらおう」
シズハは、言葉なく頷いた。
いつの間にか顔が赤くなっているのを感じていた。
借りている服と羽織と、同じ匂いがする。
その香りにふわりと全身を包まれたことに、気づいてしまったのだ。
ざわめきの中、男の声が響いた。
「総員、気をつけィ!」
副長である。
その声を耳にするや、甲板上の船員たちは一様に動きを止め、直立の姿勢を取って耳を傾けた。
その時、テンヌはすでに武器の鉄棍を手にしていた。
船員たちに向けて、女頭領が高らかに言う。
「ひとつ、狩りといこうではないか! おぬしたち、獣や鳥は狩っても、竜狩りの誉はあるまい!」
そして続けざまに言う。
「わしが銛を打つ援護をせよ! あやつを討てば北蛮の誉よなァ!」
頭領の声に、船員たちは湧きたつ。誰かの勢いのいい声がよく通った。
「うおおし! やったるかあ!」




