【甲板03/少女の筆致】
シズハが写生の標的となって、背筋を伸ばして窮屈な思いをしている間に……
ロウギとダカツは、時間ができたことで、頷き合って金づちと釘と木材を手にした。
最前線の伊達男「ヤオモテ」の描かれた盾を、船縁で自立するように加工するのだった。
甲板前部のすこし離れた位置で作業に手を着ける。釘を打つ音が調子よく響いた。
ふたりの作業を眺めることだけが、シズハの気慰みだった。
ロウギは大雑把そうな見た目の割に丁寧で、手早くはないが工程をひとつひとつ進めていく。丁寧な分よどみがない。
ダカツは力強くて釘を打ちこむ回数は少なくすむのだが、指が太くて釘の位置を定めるのにしばしば苦労していた。
ふたりの作業傾向の分析さえできる時間が、シズハにはあった。
ロウギが四つ分、ダカツが三つ分の工作を完了したころ、ボレーは「よし!」と声を上げた。
シズハはようやく立ち上がって背伸びをする。
ロウギたちも「どれ」と、道具を置いて腰を上げた。
シズハが左から、男たちは右から紙を覗き込んだ。
美しい少年が描かれていた。胸元から上が紙の中に切り取られている。
盾板に描かれる骨太な伊達男とは打って変わって、儚い筆致だ。文字通りに線が細い。
少女が夢枕に見る物語の、登場人物……といった風情だ。
頬の輪郭や鼻筋など流麗さが際立っており、眉毛も実際以上に繊細だ。
なによりも落差があるのは、眼が大きく描かれ、瞳が夜空に星が浮かぶように輝いているとしていることだ。
品のあるブラウスを着ていることもあいまって、どこぞの町一番の美しい娘か、稀代の画家に愛された少女かといった絵画であった。
「良い腕だ」
「然るところに持ち込めば、ちょっとした買い手が付きそうだな」
ダカツとロウギが頷く。ボレーも我が意を得たりと笑みを浮かべた。
ラフ画としてはとてもできがいいことは間違いがなかった。
しかし妙な焦燥感を覚え、シズハは訊く。
「ねえ。僕ってこう見えるの?」
「不服か? 手早くやったから、粗かったか。意見があるならぜひとも聞きたいが」
ボレーは絵の品質の問題だと思っている。
「不服とか粗いとかじゃなくて……こうであるつもりはなかったっていうか」
うまい言い方が見つからず、曖昧な言い方になる。
と、その時。シズハの左側から声がした。
「うむ。いつにもまして出来が良いではないか、ボレー。やはり画題がよい」
いつの間にかすぐそばにテンヌがいるのだ。シズハの隣でしゃがみ、首を突っ込むように絵を眺めていた。
「またか!」
シズハは呆れ声をあげて一歩離れようとした。
ところがテンヌから離れようとすると、今度はボレーの肩にぶつかってしまった。
ボレーの隣で絵を覗き込んでいたので、必然そうなる。
シズハは、ちょうどテンヌとボレーに挟まれる形となって、身じろぎできなかった。
テンヌは蹲踞(踵をそろえて膝を開き、腰を落とした姿勢)をしており、片方の膝がシズハの背後にあった。彼女が膝を閉じたら少年は挟まれるくらいの所である。
ボレーは足を組んでいるので、ふたりの足に阻まれて後ろに退くこともできない。
「なんだよ、もう」
その時シズハは気づく。
借りて着ている服とテンヌとが、同じ匂いがした。
身に着けてすぐは、不慣れな船内の空気と混ざり合っていたので気づかなかった。だが、海風のなかにあって急に実感したのだった。
服を着て普通にしているうちは、自分じゃない誰かの、身体に根差した乾いた匂いという程度だった。
だがテンヌ本人が来てより深く感じた。何気なく息を吸ったときに、瑞々しい果実のような芳しさが、鼻をほのかにくすぐるのだ。
だれにも聞こえないくらいに、彼は小さく呻いた。
(このままじゃいられない。僕の気持ちは揺らいでしまう。アウレーのための庭番でいられなくなる。フィシーのための兄ちゃんでいられなくなる……)
シズハは努めて冷たく言う。
「近いよテンヌ。どいて」
男の子の気持ちをよそに、女ふたりは言葉を交わす。
絵を片手にとってひらひら振り、ボレーは訊く。
「カシラ、この一枚にどれだけの価値をつける?」
「ねえちょっとふたりとも」
「ふむ……そうさな。そのうち街に停泊するとき、休暇半日を丸一日でどうじゃ」
「ここから放してよ」
「もうひと声だな」
「ねえってば」
「画材を買うときの資金に、少しばかり色を付けよう」
「挟んで喋らないでよ」
「よし! 乗った」
「乗ったとかじゃなくてさあ!」
と、そこでシズハははたと気づく。
「その絵、テンヌにあげるの? ちょっと待って、そんなつもりなら話が違うよ」
彼のつけた物言いに、ボレーは悪びれず言う。
「意外か? だが、他人に譲らないという約束もしていないな」
「約束は……確かにそうだけど」
「やってほしくないというのなら、このまま私の持ち物としてしばらく留め置くが……いずれは裏紙や掃除に使って捨てることになる。構わないか?」
「うぐ……」
ボレーは少し笑って訊く。
「どうなんだ?」
「それも……少しイヤ」
うつむき気味に言うシズハを、テンヌは心地よさそうに見つめていた。
シズハがどうしたものかと迷っているそのうちに。
櫓の上で鐘が二度打ち鳴らされて、見張りが声を上げた。
「右弦、なにかいるぞ!」
甲板にいたものたちに緊張が走る。
ロウギが船縁に立ち、海原を見渡しながら声を張り上げた。
「なにかってなんだ? 船影はないぜ!」
「銀海流のなかだ! なにか……すげーでかいやつがいる!」
シズハは甲板に這いつくばるようにして、テンヌとボレーの挟み撃ちから抜け出した。
そして船縁に身を乗り出す。
船の右弦、わずかに後方、銀海流がいやに波打っている。
そこには確かに、巨大な影が海中にあった。
銀海流は光を放つ分、水面下になにかがいれば、普通の海域よりはっきりと表れるのだ。
距離もあり、水中であり、と正確な大きさは計りかねた。
だがそれでもこの無道丸に比肩するほどの影であることは間違いのないことだ。
シズハはロウギに訊く。
「ああいうのって航海してて普通に見るもの?」
「いや、ねえ。普通なら見張りもあんなに騒がねえぜ!」
ダカツがつぶやいた。
「海獣か……!?」
騒ぎの裏で、ボレーとテンヌは互いの手を打つ。
シズハの絵は、丁寧に丸められてテンヌの羽織の袖へ入った。




