【甲板02/船守と射手】
不意に、日差しが遮られてシズハはそちらを見た。
そこに立っていたのは、地黒で鷲鼻の巨漢だ。やや背の高いロウギよりも、さらに頭ひとつ大きい。
髪を短く刈り、顎には髭が生えそろっている。この無道丸でも類を見ないような、ひときわ厳つい男である。
「おう、ダカツ」
「ん……」
気心知れた様子で、ロウギと最小限の挨拶を交わした。
大男は片腕にたくさんの板をひとくくりにしたものを担ぎ、もう片方の手には工具箱をもって歩いていたのだ。
ちょうどシズハたちのそばを通るところだった。
シズハは思い出した。この大男が兵士たちとの戦いのなかで、敵を何度も投げ飛ばしていたのを。
接触した敵を、敵勢の固まった場所に投げつけることで、何人もの動きを止めていた。堂々とした戦いぶりであった。
ダカツと呼ばれた彼は、シズハがこれまで出会った男の中で、一番の巨体だった。
……男性に限定したのは、彼以上に規格外なテンヌのためだ。
アレほどの大きさではないが、このダカツもまた熊を思わせる重厚な巨体をしている。海という海を選りすぐっても、これほどの体格の持ち主はそうそういないだろう。
シズハの姿を見ると。一瞬目を留め、足を止めた。
少年は身構え、半歩ほどあとずさった。
「なにか……?」
「いや……なにも」
そして、男はわずかに笑いかけて、また歩いて行った。大きな背中が遠ざかる。
男のまとう空気は穏やかだった。殺気というものがなく、どうかすればそこらの町人よりも静穏だ。
見た目こそ熊のようだが獣性は感じられず、その声色は大樹の枝のそよぎのようだ。
テンヌの迫力……そばにいるだけで、肌や産毛に威圧感が伝わるようなそれとは、対照的である。
シズハはロウギに訊く。
「どういうひと?」
「船守の『ダカツ』っつって、船一番の大男だ。見た目通りに腕っぷしの強いやつで、武術の腕はおカシラと副長に次いで三番目ってところだな。もっぱら船の守りについてる番人だ」
「……殺気のないひとだ」
シズハがぽつりとつぶやくと、ロウギは小さく頷く。
「わかるか。なんとなくわかっただろうが、まあ怯えることはねえ。どうかするとこの船一番の穏健派よ」
男が板を担いでいった先は、左舷の中ほどだ。
船員の女がひとりいた。いくつもの板を立てて、何か作業している。
「ボレー。頼まれた分はすべてだ」
「ああ、助かるよ」
興味をもったシズハが近づいていくと、『ボレー』と呼ばれた女性は顔をあげた。
「や。ロウギに……シズハだったな」
涼やかな顔立ちのひとだ。黒髪を短くそろえている。
腰に短弓と矢筒を吊るしており、外套の裾は短めで、そつのない颯爽とした印象だ。
「は、初めまして……」
心もとなく挨拶するシズハに、彼女は笑いかけてきた。
「ああ、初めましてだな。私は君を歓迎するよ」
「はあ……」
納得しきれず、頷き切れず……といった様子のシズハの曖昧な返事に、ボレーはくすりと笑う。
「自分のやったことがわかってないか? 試し合いも含めて、カシラの眉間に一撃与えたやつなんていない。この無道丸において、賞賛に値する侠者だよ、君は」
彼女の持ち物は戦いの時は短弓だったが、今手にしているのは一片の木炭だ。片側を布にくるんで筆のように握っていた。
ダカツが運んできた縦長な板に、絵を描いているのだ。
シズハは後ろから板の絵を覗き込む。
「ボレー……さん。これ、なんですか?」
「ん? ああ。伊達男の『ヤオモテ』だ」
「ヤオ……矢面?」
「そうだ。最前線に立つ宿命を負った凄いやつさ。寡黙な仕事人で……あとそうだな、魚卵のたぐいが好きだ」
ボレーはごく平然と語った。
理解が追い付かず首をかしげるシズハに、ロウギがいう。
「オトリを兼ねた置盾でな。海戦のとき、船縁に並べる。そうすると実際以上に人員がいるように見えて威嚇になる。敵さんが、トチって勝手に矢でも射かけてくれたらこっちのものってところよ」
板の形をよく見ると、人の頭から肩まわりを模しているのだ。
そばにある完成品には、頭部にやたらに味のある筆致で顔が描いてあった。
その顔とは……書き込みが細かく質感が写実的もとい劇画的だ。
目元には影が差しているように黒塗りで描かれており、それが迫力をもたらしていた。鼻筋や表情は不必要なほどに力強く、硬骨漢である。
また、眉毛などこんな人間が実在するだろうかというほどに太くて幅がある。
しかしそれでも「男前である」という符号として認識できるのだから不思議であった。
少年が憧れる漢といった感じである。
また、板には掃除で使い古されて真っ黒に汚れた布(ついでに指に着いた炭を拭くのにも使われていた)が肩口にかかっている。
遠距離や暗い中では、黒い服を着た人間にも見えるわけだ。
射かける矢も、投げるための石くれも、船の戦いでは数に限りがある。単純に遮蔽物となるだけでも。その分有利に働くのだ。
ところで、とシズハはロウギに耳打ちする。
「戦いでの役目はわかったけど……顔の絵に力を入れる必要は、あんまりないよね」
「だな」
「名前と性格もそうだよね」
「だな」
「遊び心?」
「そういう言い方もあるわな」
「……ちょっと変な人?」
シズハのおずおずとした言い方はなにやら子供っぽく、ロウギは笑いを抑えながら言う。
「この船の女衆は大雑把に分けると二種類でな。おカシラと口喧嘩できる肝の太い跳ねっかえりか、おカシラと仲よくできる変人か……ってとこだ」
「後者?」
「わかるか」
「そりゃわかるともさ」
シズハとロウギの会話を、ボレーはいつの間にか観察していた。しゃがんで、顎に手を当てながら見上げていたのだ。
「あっ……!?」
たじろぐシズハたちをよそに、ボレーはひとりで何か考え納得した様子で言う。
「うん、そうだな。キミに私もすこし興味が湧いてきた」
そばに木箱を引きずってくると、ポンポンと上面をはたいて塵を払った。
「少し座ってじっとしていてくれないか。きみを描きたい」
「描くって……絵ですか? 急にそんな……」
「頼まれてくれたら『変な人』を聞き流そう」
「う……」
シズハは木箱に座り、しばらく不動の姿勢を求められた。
三つ編みを背中ではなく、肩から胸へと垂らして背を伸ばす。
「そうそう。足をそろえて。膝の上で手を重ねて。すこし顎を引いて……うまいぞ。どこかのご令嬢さながらだな」
「男ですよ。僕は」
「だとしてもだ。誉め言葉として受け取っておいてくれ」
シズハは複雑であった。妹が作法の教育を受ける様子を、身近で見ていたからこそ、自分でも再現できているのだ。
ボレーは自らも木箱に座り、板に広い紙を据えて鉛筆で絵を描きだした。
表情からも深い集中がまざまざと見えて、声をかけるのもためらわれるような様子だった。
筆先が紙を擦る音が断続的に聞こえる。それに加えて、ほかの船員たちの働く物音と潮騒だけが、あたりに聞こえるのだった。
シズハは背筋を伸ばし、表情を動かさないまま、空を見つめて唇の隙間からゆっくりとため息をつく。
(求められることが多い割にヒマで、ヒマな割に神経を使うんだ、これって。フィシーが、絵に描かれるのを嫌がっていたのがよくわかる……)




