【甲板01/薄氷の自由】
「――とまあこんなところだな。これで不自由はせんだろ」
「まあね。トイレが思ったよりきれいなのは気に入った」
「ありゃ副長の知恵だ。あのひとはどっからか、割のいい仕組みや進歩したやりかたを見つけてくるでな」
シズハはロウギから案内を受けて、船内で過ごすための簡単な知識は得た。
実用品と戦利品とで、船内は雑然としていた。北蛮由来の原始的な道具や、さまざまな文化圏の物品が集まり、生活空間と作業場とを形成していた。
案内の最中にも、ロウギは顔を合わせた船員からちょっとした頼まれごとを受けた。
「ちょっと持ってってくれ」
「コレいつもの所に」
などと、あちこちに物品を運ぶ羽目になっていた。奇しくもそれにより、船内の要所を巡ることになり、案内がはかどったのでもあるが。
各所でのシズハは、船員たちからの好奇の対象でもあった。頭領たるテンヌに勝利したことから、あからさまに無礼な態度をとる者はいなかったものの……顔を見ての色めき立った眼差しであったり、頭領に勝ったことを見込んでの挑戦的な振る舞いであったりした。
(恥ずかしいやら居心地が悪いやら……)
手慰みに首元のボタンを意味もなくつけたり外したりして、シズハはやり過ごした。
ロウギが甲板の人員に宛てた荷物を預かったため甲板へ向かい、ついでにシズハも伴った。
船が海流に乗って走るがゆえ、日差しと共に心地よい向かい風に迎えられた。白い雲がわずかに朱色を帯びている。
甲板には作業しているものや、釣り糸を垂らすものといった、数人の船員いた。
ロウギが船尾のほうへ荷物を運びに行くあいだに、シズハは思い切り背伸びをした。
風を受ける頬に、自然に満足げな笑みが浮かぶ。思わず声に出していた。
「自由! 仮初であっても、自由ってのは気持ちがいい」
ここに至るまでの旅路では、連絡船のもっとも低級な運賃で島々を渡っていた。
狭い部屋や、ほかの乗客とひしめく共同空間で、息が詰まるような思いをしていた。
そのため、自由の身で船に身を置くというのは新鮮だ。
船員たちからの視線も、その時の居心地と比べればまだよい。
先ほどまで佇んでいた同じ甲板でも、招かれた身分であると思い直せばずいぶん開けて見えたのだ。
手をからにして戻ってきたロウギが言う。
「ずいぶんとまあ、喜ぶな。わからん話じゃないが」
「だってさ。屋敷じゃなにかが終わればなにかが課されたからね。妹の世話をして働くか(それ自体はいいんだけど)、護衛のための訓練か、庭仕事。それもないなら館の整備さ。落ち着いて本を読む時間さえ滅多になかったんだもんね」
シズハのこれまでの人生で、召使として働く際に妹フィシーとの語らいは黙認されていたが、それ以外の時間はわずかであった。
まさにその時、丸々とした大きな魚を釣り上げたものがいた。周囲で歓声が上がる。
「おーーっ、やりおった!」と、ロウギも声を上げた。
銀海流の付近で獲れる魚は、鱗の光り方が際立っていてうまいと評判だ。
旅の中で、師父と共にシズハも何度かありついて、評判に納得したものだ。
脂肪のうまみと、魚肉の持つ風味とが、凝縮されたような味である。
船員たちが盛んに喜び合って、暴れる魚を船内の厨房に持っていく。
シズハは思わずその後姿を眼で追っていた。
同時に空腹感を覚える。思えば昼前からなにも食べていない。師父と別行動をとるようになってからは、満足な食事をとれたためしがなかった。
胃の中にはまだ大きな異物感があった。それでも魚に食指が伸びる気になるのが、シズハは自分でも不思議だ。
(おいしそう……食事はいつ出るかな。いや、胃の中にエリオンを呑み込んだ以上、食事そのものを避けるべきか? でもなにも食べずにいたら、それこそ死んで共倒れになる……それに出された食事をとらないってのはいくらなんでも非礼だ。食べなくっちゃね)
独りで理論武装している己を自覚し、シズハはなにやら可笑しかった。
ロウギは周囲を見回して言う。
「それじゃ、お前さんの自由ついでに俺は退散するとするか」
「えー……」
「なんだ? なにも俺がいなくちゃさみしいなんてわけじゃねえだろ」
「さみしくは……まあないかな、たぶん」
「ほれ見ろ」
「けどほら、見知らぬ船員の人たちと会った時なんか、仲立ちしてもらえると……」
「なんだ、弱腰だな」
後になるほど声が小さくなるシズハを、ロウギは気安く笑う。そして言葉を続けた。
「ンな心配せずとも、いきなりケンカを吹っ掛けてくるような奴は……いないこともないが、まあないだろ。うん」
「いるにはいるんだ」
「特別に血の気の多いのがひとりな。ほれ、お前が娘っこの格好をしてた時に、一度会った女だよ」
「そういえば……」
あの時にいたひっつめ髪の女は、荒っぽくてロウギがフォローに回るような態度であった。
と、その時。またも聞きなれた声がした。
「気を揉まずとも、そやつなら船底の当番じゃ。しばらくはあがってこぬ」
「わ……っ!」
シズハが振り向こうとすると、それに先んじて両肩に大きくな手が置かれた。
いつの間にか背後にテンヌがいた。この巨躯だというのに気配を感じきれずシズハは驚いた。
(そういえば、甲板に上って行ってたんだった……)
動揺をどうにか隠して、冷静に言う。
「またあとで、だっけ? ずいぶんと早いね」
「約束を違えなかったであろう?」
「……約束だなんて思ってなかったけどね、僕は」
そういう間にも。気づけば後頭部にぬくもりがある。布越しに彼女の身に触れていることに気づき、シズハは急に鼓動が早くなるのと感じる。
柔らかく、そして重みがある。
(からかわれている。そう考えるんだ。この女海賊は体格の劣る僕をからかっている! ……いや、でも。ただからかうだけなら、決闘の時……公平であろうとするだろうか?)
「どれ……」
シズハがその身と思考を強張らせているうちに、テンヌは屈んで少年を自分の方へ向き直らせた。
「似合うのう。選び抜いた甲斐があったというものじゃな」
テンヌは満足げに目を細めていた。
「……品が無かったら、突き返そうかと思ったよ」
「ほお、お眼鏡にかなったか? それはなにより」
シズハはなんとなく気持ちで上をいかれているようで、自然と視線を落とした。
決闘の際に血のついていたサラシはとりかえられたようで、真っ白だった。
みっしりとした肉置きのそれが、シズハの前に据わる。
人間離れした巨躯だが、女性的特徴もまた規格外のそれである。猫くらいなら悠々と身を横たえていられる大きさだった。
シズハは思わずたじろいだ。そこから目をそらそうと再び視線を上げれば、美しい赤色の眼とまっすぐに視線がぶつかる。
まっすぐ見返すことができない。シズハは結局、甲板の板へ視線を逸らすことしかできなかった。
「何をそんなに怯えておる? この額に傷を刻んだ勝者として堂々としてもよさそうなものじゃがのう?」
額を指さし、真っ赤な結晶を示す。文字通りの血色が輝かしく美しい氷だ。
赤みがかった肌の、額から生えるその角。鬼か悪魔かといった様相である。
異様ではあるが似合ってもいるのだ。
シズハはため息を零すように言う。
「……自分の身の丈くらいわかってるさ」
「身の丈?」
とテンヌは呑み込めぬ顔をしていた。
シズハは決闘に勝利した。そこに間違いはない。
しかし、テンヌや船員たちがなにか急に気まぐれを起こせば、あっという間に暴力の対象となってもおかしくない状況である。
そもそも、テンヌも本当に全力をもって戦うならばシズハなど氷漬けにして圧し潰してしまえたはずだ。
北蛮海賊の船員たちは、今でこそ味方に近い状態だが、あぐらをかいて侮蔑したりすれば心象は一気に反転する。彼らを敵に回して無事にいられるなどと過信はしていない。
なによりシズハ自身、二度目に戦ったとしてテンヌに勝てるとも思っていないのだ。再現性のない勝利である。
テンヌに対して、強い言葉を吐いていられる。そのこと自体が泳がされている証左だ。
まさしく、テンヌに対するシズハはちっぽけなのである。
「お~カシラ!」
「ふむ?」
船尾の方から黄色い声がかかった。テンヌは顔を向ける。
声をかけたのは、女たちだ。ロウギよりすこし上、三十歳の半ばというくらいに見える。
「針仕事のことでちょいと相談なんだけど」
「わかった。今行こう」
テンヌはシズハを一瞬見てから、声の方へと大股で歩いていく。
振り向きざま、なびいた白い髪がシズハの鼻を撫でていった。
「何度も行ったり来たり。頭領ってのは、どっしり構えてるものでもないんだね」
シズハは内心で、頭領として信頼があることに納得していた。
ともすれば軽んじられる女衆からも、気楽に声をかけられるのは信頼の表れだ。
アウレーで、そういう行動をとれるものは決して多くない。
この北蛮たち、無道丸の空気は、家族のようだ。あるいはひとつの小さな村のようでもある。
囲いが大きな分、血肉を分けた濃密さからは一歩落ちるかとも思える。
だがそれでも、互いの気安さや、共同体として身体を共にする距離感は、食うためだけのならず者の徒党や、単なる利害のための集まりではなかった。
テンヌの白い髪を見て、シズハは思い出す。
港町、匿ってくれたお風呂場の少女のことを。
思えば、若年には珍しい白髪だ。
シズハは無性に気がかりになった。
「ロウギ。聞きたいんだけど。おカシラって例えば……妹とかいる?」
「いやあ……家族のことはよく知らねえ。名のある生まれだとは聞いたことがあるがよ」
ロウギは首をかしげる。
「そうか……」
シズハが口を閉じると、ロウギは訝しんだ。
「なんでえ、カシラの顔は良いからって、その妹ならアリとでも思ったかよ」
「違う。そういう話じゃない」
「じゃあなんで急に妹だなんてことを聞く?」
しかし、なぜと問われたところでシズハにはそれを答えることはできない。
あの白い髪の少女と約束したからだ。
「いや、僕にも双子の妹がいるから……」
よくわからない弁解をして、シズハは口ごもった。
(もしかして肉親同士で、船に住まわせてるんじゃ、なんて考えたけど……いや雑念だ。忘れよう)




