【教会の姿勢/思わぬお仕着せ】
軽薄さは胸中の傷を隠す化粧。
泥と血と後悔で汚れた白衣を、黒に塗りつぶして今を生きている。
クオーレは、シズハがこれまで出会ったことがない在り方の人だった。
それゆえに、思わぬ角度から心の揺らぐ言葉を突きつけられたのだ。
彼女の言う『効能への疑い』
シズハが無意識のうちに、考えないようにしていたことだ。
つまりは、知っていたはずの事でもある。
いくらひとりひとりの頑張りがあっても、どうにもならない理不尽にどう立てばいい?
また、教会とその代表たる司教が、本当に救いをもたらすことに心身を捧げていれば……
身寄りのない双子に、序列などつけるだろうか?
シズハはベッドに座り、うつむいていた。
腹の底がうずく。不安が膨らむように、冷たさが広がっているかのようだ。
押し留めようと自身に言い聞かせる。
(医術と救恤のための組織整えられるのは、間違いなくいいことだ。そこに疑いなんてない……それにもし、教会が成り立たないとしても資産を集めておくのはフィシーのためになる。そのはずだ……)
「なんというか、そのよ。あまり気にするな。先生もお前のことが嫌いなわけじゃない。今この時のがんばりは妹のためで、そのためにがんばるのは俺らやカシラとて否定する気はないわけで」
ロウギは不器用に慰めの言葉を連ねていたが、そのうちにまじめくさって頭を捻った。
「うーむ。それにしても、一語に教会といっても、各々考え方はあるものだのう」
と、わかったんだかわかってないんだかよくわからないことを言う。
シズハは顔を上げて言う。
「……よくわかってないね?」
「それはそうなんだがな。シトラー教会ってのがよくわからんでよ。先生は今でも医者として、いわば人助けをしておるわけだろう? 俺らに限定されとるけどもだ」
「えーっとね……まず、教会の医者は滅私を求められるんだ。だから教会に話を通さず、個人的な事情や報酬のために医療行為に及ぶのは、教会出身者には本来許されてないの。後ろ暗いことがないなら、話を通せば支援も受けられるわけだし。実際の問題として衛生管理も危うくなるからね」
アウレーの司教はもともと医療に長けた系譜で、シズハもその本来の体制についてはたびたび聞かされていた。
「ははあ、里に断りを入れず、勝手に森で猟をするのが咎められるようなものか」
「里? ……たぶんだけど、秩序や共益に障るから許されてないって意味では近いかな。それと……個人として武装集団に与するのは、天変地異の前だと確実に教会に捕まる。完全に罪として扱われる行いだね」
「武装してちゃダメか。じゃあ拳骨ひとつで戦う軍団ならいいのか?」
「その線引きまでは知らない……とにかく、同じ医者でも、教会に帰属するかどうかを僕が気にした理由、わかった?」
「なんとなくは、な。それにしても、海賊じゃまさにバチ当たり……あっ」
ロウギは笑っていたが、愕然としてつぶやく。
「しまった。俺ァ手当てしてもらいそびれた」
痛む顎を抑える野暮ったい男を見て、シズハは思わず笑った。
「なんだか損な性分だね、ロウギ」
シズハは不意に、くしゃみをした。これまで上着も何もなく、上半身は包帯を巻いてもらっただけだ。首と肩が肌寒い。
甲板は日差しがあって心地よかったが、船内となると思った以上に冷気が忍び寄ってきて寒さを感じるのだ。
シズハはベッドの上掛けを肩に羽織りながら言う。
「あの、着替えってないかな?」
「そういえば、備えが思い当たらんな。戦利品でも服は奪わんし」
「貸してくれる人っていない?」
「俺らはだいたい、この制服がふた組程度か、私服が一そろい程度でよ。服ってのはそれだけで貴重品だ。人に貸すようなやつはまずおらん。しゃれっ気のあるやつは手入れを気にするしな」
「船上生活だとそうなるのか……」
「それともうひとつ。俺らにゃお前のサイズに合うやつもあまりいない」
「大きい分にはなんとかなるでしょ? ロウギのはないの?」
「私服なんて用意するタチに見えるか? 着替えの一そろいは明日洗うとこだ。自慢じゃないがちと臭う」
「本当に自慢にならない」
「なんじゃ、また出しそこなったのか、お主」
「いやあ、つい…………あ!? カシラァ!」
いつの間にか、テンヌがドア越しに顔をのぞかせていた。
驚いたシズハは、とっさに腰を浮かせて身構えていた。
ロウギはドアの傍らに立ち、腕を背中側で組んでかしこまる。
天井が低いため、テンヌはゆっくり首をかがめて入ると、そばにあった木箱に片足の膝を乗せ、半ば座るような姿勢となる。
シズハをまっすぐ見て、いつもの余裕ある笑みを浮かべていた。
それが無性に恥ずかしくなり、シズハはベッドに座り直すと、思わず顔を反らす。
「なに? 急に来て」
頬や耳がどことなく熱い。肌寒さのせいだ、と内心で言い聞かせる。
テンヌは声を殺して少し笑い、悠々と言った。
「急にもなにも……客人を気がけるのは船の主として当然のことであろう? 顔を見に来ただけでそう身構えることもあるまい」
「おカシラ。そのことなんですが、服の用意が……」
「うむ。クオーレから言われてのう。裸でかわいそうだから服を用意してあげて……とな。それゆえこうして服を持ってきてやったのではないか」
大きな手から布袋が放られて、シズハは受け取った。
中を見ると……どうやら、生地の雰囲気を見るに女ものである。
シズハが怪訝な顔をしていると、こともなげに言う。
「貸してやる。わしの持ち物じゃ。身幅は心配ないぞ」
「え? テンヌの?」
「ではまたあとで……な?」
と、彼女はまた去った。重い足音が遠ざかり、上がっていった。
「そりゃ心配ないだろ……入らない心配はね」
シズハは小さくため息をついた。
ロウギは困った顔をして言う。
「ま、なんにせよ服は服。着ておいたらどうだ? 大きい分にはなんとかなるってんなら、それをおとなしく着とけば、よさそうなもんだがな」
「うーん……」
申し出を受けることでテンヌの手の内に置かれてしまうような気がして、シズハはすこしためらった。
「俺のよりはいいだろ」
「それは……うん」
言い返す余地がなくなり、与えられた服を両手で持ってみる。
「あれ?」
薄手の毛布くらいの物量かとおもったが、違った。
両肩を持って広げると、シズハ自身の肩幅とそう変わらない。身幅の心配がないというのも間違いではない。
そしていかなるものかと言えば、上品なブラウスであった。
白みがかった紫の布地のところどころに、幾何学的な花模様が、白い糸で控えめに刺繍されている。
肩から袖にかけてのふんわりとした形状が女性ものの風情であった。
生地の手触りからすると、まだ新しいものだ。
こういう場面でもなかったら、自ら身に着けようとは思わない。
しかし着たとしてもシズハの誇りに傷はつかない衣服であった。
「下品だったら突き返してやろうかと思ったけど……シュミは悪くない」
「へっへ、おカシラはあれでなかなか、モノを選ぶ目利きがいいのさ」
ロウギはどことなく誇らしげであった。自らが長として頂く者の感性への信頼があった。
「でもさ。これじゃ本人が着られないでしょ? なんで持ってるのこんなの」
「さあな。俺もあの人の考えることはよくわからん」
半裸に耐えかねて、結局シズハは着た。
首の半ばまであるボタンを留める。緩いつくりであるからか、窮屈さもない。
客室だけあって壁には大き目の鏡が備わっており、シズハはその前に立つ。
ひと房の黒い三つ編みに、ふんわりとしたブラウス、足元はタイトな濃紺のズボン(隠密用)
そして持ち前の容姿。
……初対面の人間が、今のシズハに男子か女子かとの二択に迫られたら、相当迷うことだろう。
身体に捻りを加えたり頭の上で手を組んだりしながら、シズハはつぶやく。
「女の子に勘違いされそうなのは難点かな」
「あ……? お前、わざとそう見せとるんじゃないのか」
「いや別に。作戦中はともかく、普通に過ごしてて誤認させる必要はないからね。むしろ普段は明らかに男に見られたほうが、いざ変装した時に裏をかける。三つ編みだって、もとは帽子で隠してたし……ああそうだ、鏡を見てみて」
「お?」
ロウギはのっそりとシズハの後ろに立った。片眉をあげて、鏡面を見返す。
少年は鏡の向こうの無精髭を指さして、あっけらかんと言う。
「裏をかかれた実例がここに」
「…………」
沈黙ののち、後頭部をひっぱたこうと振り回された平手を、シズハはひょいと避けた。
「……まあいい。ともかく、あとは船の案内だな」
「案内って、どうして?」
シズハは部屋から出ないように申し渡されるかと思っていたので、すこし驚いた。
「そりゃあお前が、勝利者であり客人であり、つまりは自由の身だからよ。この船を気兼ねなく扱えるようにしてやれって、世話を申しつかった時おカシラに言われてよ」
「自由なのはいいけど……」
この船に居着くことを期待されているみたいだとシズハは感じ、眉根を寄せる。
「ま、暇つぶしとでも思って案内されてくれ。いざってとき、飲み水のありかや厠がわからんじゃ困るだろう」
ロウギに連れ立ってドアをくぐるとき、シズハは警戒の裏腹にノンキな喜びを見出している自分に気づいた。
(『勝利者』で『自由の身』……そんな呼ばれ方、生まれて初めてだ)
次回更新:2/1
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