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【背教の士/軽く薄い化粧】


「はじめは市井の医療者かと思いましたが、この手技……むしろ教会の洗練されたなやり方を身に着けていると見受けました。ベルトとポーチで器具を持ち歩くのは、野外や不安定な船内で、手を自由にして患者のもとへ赴くためでしょう? あなたは教会に身を置き、実地で経験を積んでいたのではないですか?」


 シズハの言葉に、クオーレの両肩がわずかに跳ねた。

「ねえロウギさん……この子って、どこの子だったかしら?」

「どこか? ……あっと、そういえばシトラー教の司教に仕えてるんだったな」


「ふぅ~ん、道理でねぇ……あら、質問に答えるべきだったわね」

 彼女は向き直ると、急におどけた仕草でシズハを指さした。


「……大正解《だいせいか~い》! なかなかの腕でしょ? たくさん、ホントにた~くさんの患者を診てきたんだもの。どお、見直した?」

 明るい声色のクオーレだったが、上ずるばかりで声は弾んでいない。


 シズハはベッドで座り直し、まっすぐに目を合わせて言う。

「教えに基づいて磨かれた手技、敬服します。でも……今は教会に属していない。そうなのですね?」


 硬い微笑で黙するクオーレを見上げて、シズハは踏み込んだ。

「その……あなたは信仰を捨てたのですか? 胸のうちに信仰があるなら、いくら恩義ある船の習わしでも、白衣を黒く染めたりはしない……はずです」


「う~ん……はい、いいえ、でいうなら『はい』ねぇ」

 クオーレは間を取りつつも答える。ここまで踏みこんでくる相手に、軽い舌先のはぐらかしは効かないと考えたようだ。


 シズハはためらいがちに訊く。

「……理由を聞かせてもらっても?」

「気持ちのいい話じゃないけど?」

 ぴりっとした拒絶を感じ取り、少年は思わず顔を伏せた。


「つらい記憶でしたら……無理にとは」


 クオーレはすこし考え込む様子だったが、やがて顔を上げた。

「背教者としてそしられるかと思ったけど、そうじゃなかった。あなたの顔と姿勢に免じて、ひとつ話をしましょうか。恥じることでもないものねぇ」


 椅子に座り直し、足を組み替えて彼女は口を開いた。

「率直に言って、付き合いきれなくなったのよ、わたし」

「体制にですか? それとも教義に?」


「どっちも! 命がひとつ、身ひとつの人間が……救いなんてそう簡単に与えられるものじゃないの」


***


 シトラー教会が信仰し奉るのは「救いの光神」だ。

 太古の時代、オリゾーンの大地に立ち上がり、多くの人々を破滅の災いから守ったという伝説がある。


 そこから伝わる教義の主体は『隣人愛』であり、『医術と救恤きゅうじゅつ』が核だ。

 つまりは傷ついた人や病んだ人、貧しいひとや飢えた人に寄り添い、己の出来うる限りの助けをしましょう……というのが基本の姿勢である。


 人が生きる中で隣人を救うことを考え、その輪がすべての人に広がる事があらば、神なき明日も神の在りし日と等しく救いがもたらされる……

 といったものだ。


 シズハは、理想の実現性はともかく、この教義は尊ぶべきものと思っている。

 が……


***


「あなたくらいの年頃だと『あの日』の記憶はないでしょうけどね。わたしは医師になるべく努力して、一人前になって身を立てようとしているそのころに、『天変地異』が来ました。」

 そこでクオーレは少し言葉を切り、小さくて長いため息をついた。

 同じく悪い思い出があるのか、ロウギも「おう……」と唸り声の混ざった息を吐きだす。

 ふたりとも意思を示すというよりは、どうしようもない負の感情がこぼれたのだ。


「そして目の当たりにしたわ。災禍に対して、ちっちゃな自分を。どれだけ必死に身を動かしても医術は及ばず。あらゆる物資は足りず。親しい人たちは多くがたおれ……そんな中で己を生かすのがやっと。そのうちに、気づけばたくさんの屍の上に立って生きていたわ。自分の夢と情熱を自分で踏みにじって」


 淡々と語っていたが、彼女は急に天井を仰ぎ見て、かしましい調子で声を上げた。

「だ、か、ら、訣別しちゃった! わたしに殉教はできない!」


 ふう、と声のトーンを落として、クオーレはシズハに目を向けた。

「これって、わたしなりの礼儀よ。おわかり?」


 シズハはいつの間にか、膝の上で手を固く握っていた。

「……動乱を目の当たりにしたそのお気持ちは、察しているつもりです」


「どうしてそう言えるのかしら?」

「物心ついたころ、伯父の屋敷もそばの街並みも何もかも荒れ果てていました。苦しむ人を多く見た。僕も伯父に仕える身として、薬草菜園の再生のために何日も働き詰めだったこともあります。でも……今思えば、もっとひどい状態から立て直した人たちがいたのだと……」


「そう。自信満々に『わかります!』だなんて言われなくて、ひと安心。見る目、変わっちゃってたかも」


 膝の上で頬杖を突き、のぞき込むようなまなざしで、クオーレは言う。

「ところで。あなたはどうして教会のために命を賭けてるの? 見たところ信徒ではあっても、医師になるわけでも、農耕や救恤に力を尽くすのでもないのよねぇ?」


「僕は……家族のためです。僕は物心つく前、母が亡くなる直前に、双子の妹とともに伯父の下に託されたのだそうです。その大恩ある伯父が司教だった。ならばそのために働くのは、伯父だけでなく母にも報いることになるはずだと……なにより、妹が司教の後継として教育を受けているのですから」


 アウレー司教はシズハから見て、『母の姉の夫』。つまり直接の血縁はない。

 天変地異によってシズハの母は夫を亡くし、双子の乳飲み子を抱えて窮状に陥った。そのとき唯一の頼みとして身を寄せたのだった。アウレーの地に流れ着いて子供を義兄に託すと、ほどなくして命を落とす。

 同時期に、司教は妻を亡くしており、跡取りもなかった。

 そのため、祝福を宿していたフィシーを養子としたのだ。

 動乱で力の弱まるアウレーの教会に、新たな風を求めて。


「妹が、ね……ふぅーん……傾いた教会を再び盛り立てようってことは、決して止めません。わたしだって別に、恨んでるわけじゃないわ。でも、即物的な言い方をするなら……『効能への疑い』って、あるんじゃないかしら? 世界が砕けたその時に、満足な救いがなかったんだもの」

「効能……」


「それに教会の人々って……どれだけ教えに命を賭けているのかしらね? あなたのように決死の思いで身を投げられる?」

 最初に現れた時のような軽い表情になり、クオーレは椅子から立った。


「それじゃね。改めてお大事に。ああ、それと……」

 彼女はドアから顔を覗かせ、手を振った

「テンヌちゃんとの恋愛相談なら、お姉さんいつでも乗ったげるわよ」


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