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【客室/流しの女医】


「じゃ、医務室にいくか」とロウギはあごをさすりながら立つ。

 部屋を出てドアを背にしたところで、シズハは足を止めた。背後に気配を感じたのだ。それから考えるより先に、ぴと――とうなじに何かが触れた。


「あら、おかわいい子、こんな子いたかしら?」

「ひゃああ!」

 うなじから背筋にかけてつつ……と、ひんやりした指さきでなぞられて、シズハは飛び上がった。


 振り向いた先にいたのは、シズハより背の高い女性だった。

 亜麻色ですこし癖のある長髪に碧眼と、華やかな美人だ。年齢は一見わからないが、ロウギよりは若く見える。顔立ちなど、北蛮の人種的特徴とはかなり雰囲気が異なっていた。


 上着は船員たちと同じ黒だが、形がほっそりしている。様式が違うようだ。

 困惑しながら怪訝に見るシズハの隣で、ロウギがいう。


「なにごとかと思えば、先生か。そっちから来てくれたんだな」

「そ。テンヌちゃんが、決闘で思い切り蹴っちゃったから行ってやれって。ずいぶんお熱ねぇ」


 勝手に話が進んでいる。妙な焦りを抱いたシズハは、ロウギを見上げて訊く。

「……ねえ、この人は?」

「クオーレ先生だ。流しの医者をやっていたところを、カシラがいい船医がいたっつって乗せてのう」


 彼女の上着の下の服は、気安いというべきか着易いというべきか。活動的というか開放的というか。とにかく軽そうなものだった。

 だが腰のベルトにはたくさんのポーチが吊り下げられており、医療用具を一揃い備えている。


 黒い上着もよく見れば、はさみや虫眼鏡など診察や応急手当のための器具が備わっている。戦闘中の船内や上陸した際に緊急に治療を行うためのものだとシズハは判断した。


 実践本意な装備は一目おくべきかとも思ったが……

「はじめまして! この船のみんなのお世話をしてま~す。お姉さんって呼んでくれていいのよ?」


 どうも軽薄である。愛嬌というよりも媚態が感じられて、シズハは苦手な雰囲気だった。

 といっても、本当の意味で苦手というよりは……甘い雰囲気に対して、気持ちを強く持っておけるか危ういという自覚があるが故であった。


 シズハはふと、疑問が口をついて出た。

「乗せたって……さらってきたってこと?」


 クオーレは顔の前で手を左右に振り、あきれ半分に否定する。

「なに言ってるの? 逆よ逆。乱暴なひとに付きまとわれてたところに、あのおっきな船長さんに出会って、この船においてくださーい! って駆けこんだのよ。どうしてそんな?」


「すみません、その……北蛮海賊は人さらいだって話が、何度も……」

 不確かな噂をもとに喋ってしまったことに恥じつつ、シズハは弁解めいた口調で言う。


「バカ言え、人間なんてさらってどうなる。保管も冷蔵もしておけんではないか。俺らが……いやさ、テンヌのおカシラがさらおうとまでしたのは、お前が初めてだよ」

「第一号なんだ……」

 シズハは思わず左右の頬に手を当て、ため息をこぼした。


「この船って、意外と多人種なのよ。今の世の中で行く当てがなくって食べさせてもらってる人が結構いるの。普通の船員のなかにもいるし、タルジアさん……っていう、みんなが頼ってる船大工のおかみさんだってそうだもの」

「それとだ……クオーレ先生の時は、無理な求婚してくるやつをカシラが殴り倒してかくまったからな。悪い噂が立ったんじゃねえか」

「ほんと、どっちが賊だかわかんない。世の中荒れると人間ってイヤね……イヤなものよ」


 北蛮の乱行は、傭兵と人さらいが有名だ。人さらいが実体と異なるならば、海賊よりも傭兵団として名が売れるのが道理で……シズハは大人たちの気安い空気に、素直に疑問を口にした。

「むしろ、なんで海賊って呼ばれてるの?」


 それを聞いたクオーレは、笑いながら言う。

「この人たちったらねえ、漁師や商人の取り決めや縄張りなんかをお構いなしに動き回るんだもの。しかもこの大きな船で、でーんと港や桟橋に乗りつけるわけでしょ? それはもう嫌われること嫌われること」


 ロウギは口添えした。

「南方の慣習を知ったうえで考えると、そう呼ばれる分には仕方がなくてなァ……おカシラが『海賊』っちゅう響きを気に入って自分から名乗りだしたもんだから、ますまずその名が上がっちまったわけだ」


「結局テンヌの話に行きつくのか……」

 彼女の笑顔が脳裏に浮かび、シズハは少し首を振って、小さく息を吐いた。



 クオーレは診察すべく、シズハをベッドに寝かせる。

「それじゃ、せてもらいますわね? よろしくって?」

「ええ、よろしく」

 不必要にかしこまった口調に、シズハは苦笑いしながら頷く。美女相手の気恥ずかしさもあった。


 胸の打撲を見るだけのはずが、「いいからいいから」と押し切られて、ほとんど全身を診るような状態だった。顔から肌から指先から髪の毛まで……

「なんだか……あまりいい暮らししてないみたいねぇ。せっかくモノはいいのに!」

「ここしばらくは慣れない旅暮らしで……その次は逃亡生活でしたから」


 一通り観察したうえで、彼女は今一度横たわったシズハの顔を見る。

「あの子がこの子をねぇ……うん、気持ちはわかるわねぇ」


 クオーレはロウギの方を向いた。

「ね、将来性を買ったのかしら? それとも今この瞬間、幼さ交じりのときめき?」

「んん? そういわれでもどうだか」

 男は、ピンとこない顔で首を傾げた。


「どこに光る魅力を感じたかってことよ、ねえどう思う?」

「カシラがどこに目を付けたかってか? そんなら……孤軍奮闘の大立ち回りをして、クレーンの上からさえ飛び降りるようなクソ度胸じゃないのか?」

「なるほどぉ! 顔に似合わない豪胆なスリルを求めるっていうのもありうるわね、あの子のことだもの」


 女医は実に楽しげだった。シズハは聞くほどに居心地が悪くなり、すこし語気を強めて言う。

「あの……その話、まだ続きます?」

 上体を起こした彼は、ふとクオーレの上着に目を向けた。


 よく見れば、彼女が袖を通す黒い上着の形には見覚えがあった。ポケットの配置や縫い方など……

 古い型だが、教会の医術者に与えられる白衣を、そのまま黒く染めたものだ。


 それからクオーレは手早く適切な処理をした

 胸元の打撲へ膏薬を塗り、清潔な布で抑えをして包帯で固定をする……その一連の手つきはよどみなく柔らかなものであり、処置として完璧だった。


「この服に医術……あの、クオーレお姉さん、教会で学んでいたことがありませんか?」

 一瞬、女医の表情が硬くなる。


「……あら、そんな風に見える? 私はひとに教わったようにやってるだけよ」

 声のはずみ方が明らかに落ちた。


「それじゃ、お大事にぃ――」と、速やかに椅子から立つ。

「待ってください」

 シズハは思わず呼び止めた。不安がにじむ少年の顔を、蠱惑こわく的な碧眼が見返した……


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