【海賊船/野暮用の男】
穏やかな海風の中、北蛮の船はゆったりと滑るように海を進む。銀海流の働きで、大きな船体は速度姿勢ともに安定していた。天候も、テンヌの支配がなくなったことで、曇りと晴れの間と言った住みよい空模様である。
シズハは結局、北蛮海賊の船に身を置いていた。彼自身が思っていた以上に、待遇はよかった。
条件に縛られたものとはいえ、頭領であるテンヌに素手の一撃で傷を刻み込んだ男だ。そのことを、北蛮の船員たちは高く評価していた。
彼らは考えた。
『自分なら成し得るか?』と。
そしてほぼ全員が同じ答えだ。
『否』と。
それほどに、テンヌの武力と身体能力は彼らの中で大きかった。
船は海流に乗っていたが、運航としては忙しない様子があった。
それは長の立場でも例外ではなく……というよりも上の方ほど顕著である。
テンヌと副長は、シズハの伯父の領地へ向かうべく、航海のための協議があるとのことで外していた。
まったく予定外の航路を取るため、航海の計画が根本的に見直しになる……だとか、シズハは遠巻きに聞いた。
テンヌは、シズハが船に乗ったことで安心した様子を見せた。港にいた時のような強い執着は一応鳴りを潜めているのだ。
単に矛を収めてくれているならよかったのだが……負けた当初はシズハを賞賛していたものの、彼が手に入らないという事実が次第に堪えてきたようだった。
船員への指示の合間になにか思案しており、船内への去り際に「再戦の口実はないものか」などとこぼしているのが、喧騒の合間に耳に届いた。
(二度と御免だね)シズハは前蹴りを受けて痛む胸を押さえて思う。
客分である彼は、少しの間待つように伝えられて、甲板であてのない一時を過ごしていた。
船縁によりかかって光る海原をぼんやり見ながら、先への考えを巡らせる。
(どうするかな……結局、お腹の中にエリオンは入ったまま。このままだと本当に、割腹してでも切除する必要が出てくるかもしれない)
本当なら、手元にあった劇薬を飲んでわざとエリオンを吐き出すつもりだった。
しかしクレーンの一件で荷物を投げ捨てたことで、瓶が割れて薬も失ってしまった。荷物は後から回収したが、最低限の手回り品以外は使い物にならなかったのだ。
シズハは密かに自発的な嘔吐を試み、無理にでも吐き出そうかと試みたが、失敗に終わった。
幸いか、鳩尾のあたりに冷たい感触はいぜんとして残っている。テンヌの蹴りを胸部へ受けた際も、はき戻すことはなかった。
(前向きに考えるなら……胃の辺りで安定してくれているってことかな。そういう性質があるのか? これが最初に発見された時もクジラの腹から見つかったって聞いただけど……)
ともあれ、シズハは思う。人体の消化器のすべてを通った秘宝と、情けない気持ちで対面をする羽目にはならなさそうだ。
(胃袋なら……伯父上の腕なら間違いなく切開できる。僕さえ我慢すれば……)
眺める水面は、銀海流にうねっていつになく波が高い。これもまたエリオンがここに在るからか。
そのうちに背後から、訊いた覚えのある声がした。
「おう。シズハよ、案内するぜ」
これで三度目になる対面……
港でシズハを拘束していた男『ロウギ』だった。頭領の命令を受けて船の中を案内することとなったのだ。
あとから知ったことだが、ロウギは特に役職のないヒラの船員で、これといった固定の役目がないことから、船のあちこちに出入りしている。雑用以上で便利屋未満といったところだ。
ついたあだ名が『野暮用の男』。世話を任されたのもそういう立場故だった。
船内へと階段を下り、シズハが案内されたのは船長室に近い客室だった。
「ここがお前のねぐらだ。こんなシャレみたいな客間に本来の役目が来るとはのう」
客と呼べる客などめったに来るはずもなく、ほとんど物置と化していた。
無名の画家の手がけたカンバスやら、よくわからぬ木箱やらといった戦利品が場当たり的に放り込まれていた。
ある程度の値打ちはありそうだが。普通の交易で売買したり、船の運航で欲されたりすることのない物品群である。
ロウギはそれらをまた場当たり的に、積み替えたり部屋の外に出したりして片づけていく。作業の手つきは、しぶしぶといったやる気のない様子だった。
緩慢さを見かねてシズハは軽い調子で言う。
「客室というなら座る場所くらいは欲しいね」
「顎が痛えんだよ、顎が」
ロウギは手を動かしながらも、愚痴愚痴と言った。
「顎でしょう? 手足まで蹴った覚えはないけど?」
「ち、うるせえな。力いれるには顎が大事だろうが……だいたい、ノされたのはこっちだ。『情けないおじさん』とやらに期待してんじゃねえ」
「おじ……?」
やけに僻みっぽい言いぐさに、いきなり何かと一瞬シズハは戸惑ったが、すぐに思い出した。港で捕まった時に、散々に罵ったことを。「見捨てられた」だの、「情けな」などと……
(しまった、根に持つタイプだったか……すっかりへそを曲げられてる。どうしよう、年上にスネられてどうしたらいい?)
初対面のときも含め、どうも本気で悪人である様子はない。むしろもうひとりの女の大雑把さを補うようでさえあった。
しばしためらったが、シズハは手荷物を床に置き、手近な木箱を持ち上げた。
「これ、とりあえず廊下に出すよ、その方がやりやすいだろ?」
「ばか、お前……お前の手を煩わせたらそれこそ大目玉なんだよ! おカシラに蹴られたやつが動くんじゃねえ、もっちょい待ってろ!」
慌てるロウギを無視してシズハは木箱を外に出した。それからなし崩しに、ふたりがかりでの片付けとなる。
客分、それもおカシラのお気に入りを働かせたと知れたらえらいことになると、ロウギは動きを速めた。
手を動かすさなか、シズハは言う。
「蹴ったことは謝らないし、後悔もしない。自分より大きい敵だ。そうするほかなかったから」
「へっ、そうかよ」
「でも……あれは言い過ぎだった。わざと怒らせるための言葉でしかなかった。謝るよ。ごめん」
ロウギはしばらく黙りこくって、作業に手足だけを動かしていたが、キリがつくと言った。
「おめえは……あれだな、よくおカシラの蹴りに耐えて立ったな」
「いまでも痛いけどね」
「これ終わったら、まず医務室だな……おめえも俺もよ」
「うん、頼むよ」
そうしているうちに、一旦の片づけは完了した。客室は人間の住まえる空間になった
物品が詰め込まれていたため、細かい塵や埃っぽさが感じられるが、船室自体はそう悪くない。
ベッドだってあるし、小さいとはいえテーブルと椅子も備わり、海原が見える小窓もある。
連絡船で同じくらいの部屋を求めるなら、代金を奮発せねばならない水準だ。
もっともまだ行き場のない荷物もあるので、実際ほどの広さはないが……
「まだちぃっと手狭だが、いましばらくは勘弁してくれや」
「ベッドがあるんだもの、充分だよ。そのうえ個室なんだから、上等、上等」
シズハはベッドに腰を落ち着け、ロウギはドアのそばでしゃがんで一休みとなった。
そのうちにふとシズハは聞く。
「……この船、どういう由来なの? 北の方からこんな大きな船が来たって話、聞いたことないけど」
「この大船は『無道丸』。結構なもんだろ? もとは北方に流れ着いた難破船だったんだがよ、カシラが指揮して俺らでずいぶん時間をかけて直したもんだ。副長の計画でいろいろと改造してな」
「そうか、もとは漂流した船なのか」
道理で見たことがないような古い型だ、とシズハは思う。
鋸を引いたばかりのような新鮮な木材の匂いと、くすんで古い木材の匂いが、場所によって移り変わるか混在しているのだ。
停泊している時点で見えたが、帆を張るマストだけでなく、動力で動く外輪も備えている。アウレーをはじめとした、かつて大陸南方だった地域では見ない形式だった。
船体が巨大なうえにゴテゴテと武装されていて、やたらに厳めしく物々しいのだ。
現在は、中軽量の船体に縦帆を備えた小回りの利くものが主流である。
銀海流による海路が拓かれて以降、すなわちシズハが物心ついたころにはそういう時代の潮流であった。このように大型でふたつも動力を備えた船など時代遅れも時代遅れだ。貨物船でさえここまでのものはない。
「無道ね……海賊らしいといえばらしいけど」
「じゃ、医務室にいくか」とロウギは顔の側面をさすりながら立つ。
ふたり連れ立ってドアを背にしたところで、シズハはふと足を止めた。背後になにかを感じたのだ。それが何かと考えるより先に、ぴと――と、うなじに何かが触れた。
「あら、おかわいい子、こんな子いたかしら?」
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