【戦果/そして海へ】
「うおおおっ!」
「やりゃあがった!」
北蛮からざわめきが上がる。
「あの子――いや、あの男。侮れないな」
「うむ、単なる偶然ではカシラに刃は届かん」
「なんで偶然じゃないってわけ」
長髪と巨漢の船員が頷き合っていると、ひっつめ髪の女が割り込む。
「それはお前、カシラは特別だからな。『不抜の霧氷』を抜きにしたって普通の人間とは作りが違う。海戦の時を考えればわかるだろ?」
「死角からの流れ矢を受けても、血のひとつも流すことはなかった……その顔に傷を負わせる。それは賽の目頼りやただの奇襲とはわけが違う。はかり知れんが、完全に無防備となる隙を作りだした。そうとしか思えん」
船内でも特に戦闘に長けたふたりの言葉とあって、女はそのまま押し黙った。
「や……った……」
シズハは全身の力が抜けてその場に膝をついた。だがふるふると顔を左右に振り、太ももを叩いてまたすぐに両足で立つ。
勝者ゆえのやせ我慢が辛うじて彼を支えていた。
蹴りを受けた胸が、今もまだ焼かれるように痛む。気を抜けば呼吸にさえあえぐ。それとなくうつむいて周りに顔が見られないようにすると、今更になって目尻に涙の粒が浮かぶ。自分独りならばこの場で転げまわっていそうな痛みだ。
ほんの数秒間だが、痛みを超えて思った通りに体が動いた。それがむしろ不可解でもある。あの蹴りを食らって動けるとは。
それに……どうやって奇襲が成功したのか、覚えていない。
なにか隙を突かねばならないという己の意識だけは克明に覚えていたが……
(でも、いずれにしても僕は勝てたんだ……)
自分に言い聞かせる裏腹に、飲み込んだエリオンの冷やかさがうずいていた。
「くっふっふ……ふはは! 惚れた弱みよのう! まんまとやられたわ!」
呵々大笑したテンヌは、ふっ……とその顔から笑みを消す。
そして額の傷口に手をやり、爪の先で抉り広げた。
「な、なにを!? やめなよ!」
シズハが驚いている間に、迸った血は結晶となった。鋭い氷が天を衝くように上向きに凍りついていったのだ。紅色の角が眉間から額へ、縦に形作られた。
「記念よ。お主の戦いと……この敗けと痛みを覚えていくためにな」そう言って、女は少年に笑いかけた。
(まったく計り知れない感覚だ……負けに対して自罰的になるのはわからないことじゃない。でも、なぜこんなまねを……土地の風習なのか? いや自らの血を凍らせるなんて祝福持ちでなくてはそもそもやりようがない……)
戸惑うシズハは船員たちへ視線を巡らせる。目を白黒させるもの、呆れるもの、驚嘆するものとまばらだ、土地の習わしでないことはおよそ確かに見えた。
顔へ滴る血を拭いたテンヌは、その場でどっかりと尻を据えてあぐらをかいた。鋭い視線がシズハを見上げる。両手の拳を甲板につけて、女は声を上げた。
「お主の勝ちじゃ! 約定を果たす時よのう!」
「約束――それじゃ、本当に!」
テンヌはすっくと立ち上がると、シズハに歩み寄り、柔らかな手つきで彼のわきの下に手を差し入れた。そうして頭上に抱え上げて、高く叫ぶ。
「我が北蛮海賊団は、決闘の勝者であるお主の主命を果たすべく! 誇りを賭けて故郷へ送り届けようぞ!」
「おお!」
周囲で決闘を見据えていた船員たちが、一斉に声を上げた。船全体に響いて海までもが揺れる。
「や、約束は守られるの……?」
「無論。そうでなくては決闘など選ばぬわ」
テンヌは依然として笑みを浮かべていた。戦いの時ともまた違う。今のそれは、自身の行く末を見据えた、晴れ晴れとして表情だった。
「さあ、客人としてお主を招こうではないか、この無道丸にな……」
甲板に下ろされ、テンヌの大きな手がシズハの背を推す。初めてその身が触れた時と同じく、柔らかく優しい手つきだ。
氷の脅威もたらすとは思えないほどに、暖かな触れ合いだった。
シズハは、深く息を吐いて安心する己を自覚していた。自分の性格がもうすこし楽観的なら、脱力して膝から崩れていたかもしれない、とさえ思った。
そうならなかったのは、ひとつの疑問を抱いていたからだ。
(ちょっと待て……僕に都合のいいことばかりを言われたけど、つまるところなにがなんでもこの船に引き込むために……文字通り、乗せられたんじゃないか?)
痛む胸の下、胃の辺りがまたもやヒヤりとして、シズハは思わず背を丸めて抑えた。
海路の助力はどうにか得た。だがこのままでいいのか? この海賊たちを、伯父と妹の待つアウレーの地へ呼びこんで、本当にいいのか?
だがふと顔を上げると……
北蛮たちがみな、意気揚々とシズハのために船を挙げる準備へ動き出しているのだ。
持ち場につくもの、見張りにつくもの、港へ向かって荷物を回収しに行くもの……さまざまだ。
副長も港へ行く班に指示を出しながらすでに歩き出していた。
テンヌはエリオンよりもシズハをとった。
北蛮の船員たちは決闘を見守り、船の外にまで飛び出しそうなときは助けてくれた。
副長は公平な場を設け、一助となる刃物を渡してくれた……
(この人たちは……公平だ。公平であろうとしている。約束を守ることを考えている……)
手荒な扱いを受けることもあったものの、ロウギたちとの接触の時点から、風評ほどの悪党ではなかった。北蛮たちは邪な賊などではなく、本来は正直な気性の異民族というだけでないか?
さすれば……シズハは思い至る。
(本当に……本当の本気で、秘宝エリオンより僕がいいってくらいに好きになってくれた……の?)
指の形を感じられるほどに、背に当てられたテンヌの手が存在感を増した。
「どうした、痛むか?」
テンヌが訊く。視線を感じるが、シズハは顔を合わせられなかった。
「いや、なんでもない……よ」
熱くなる顔を見られまいとしながら、彼は己に言い聞かせる。
(フィシーのもとに帰る、エリオンを伯父上に届ける。全部はそれから、それからなんだ……!)
はじまりの章にひと区切りです。
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