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【決闘の天秤/シズハの意志】

 シズハはテンヌを視野の中央に据えながらも、懸命に周囲へ視線を巡らせた。戦いの約定に違反せず、なにか一助となるものがないかと、手段を求めたのだ。


 そのうちに、ひとつの鋭い光が彼の眼に留まった。日の光を浴びてわずかに融け、表面にてらっとした水の光沢を宿す槍の先……テンヌの槍の矛先だ。


(血を流させる刃は、まだある、あとは……この場が武器だ)

 シズハは奮い立つ。彼の考えた戦術、成功させるには一度きりの挑戦であり、失敗が許されない。狙いが割れればすぐさま効力を失う……


 シズハは決して狙いを悟られぬようにして、足運びを駆使しての打撃戦に持ち込んだ。遠い間合いからの一撃離脱を主体として、決して致命打を受けないように、さきほどのように掴まれぬように、と細心の注意を払って立ち回った。


 死線の脅威に対して実入りのない、苦しい戦いである。まともな攻撃には至らなかったが、テンヌはその戯れのような競り合いさえも楽しんでいるようでさえあった。


 それらのすべては布石。争ううちに、シズハとテンヌの位置は当初から入れ替わっていた。すなわち、彼女の置いた槍はシズハの背後にある状況だ。そして前方には主帆柱メインマスト

(やつの視線にあるのは僕ばかり……今この時、自慢の武器でさえその目に映っていない!)


 シズハは一瞬深く身をかがめたかと思うと、テンヌにとびかかる。迎え撃つ手刀が、少年の肩口へ振り下ろされる、が……初めから攻撃の意思のないシズハは、それを躱して斜め前方へ跳躍した。


 目標はマストから釣り下がるロープだ。釣り下がるロープによって遠心運動と共に相手の背後に回り、白い髪に覆われた後頭部へ、膝蹴りを思い切りぶち当てた!


「うおおおッ!」

 周囲の船員たちからどよめきが上がる。

 さらに。蹴り飛ばされた先にあったもの、それはテンヌの槍だ。シズハの狙いすました配置だった。彼女の顔が氷の穂先めがけて、勢いを持って弾き飛ばされる。


 間違いなく、その額は矛先に激突せしめた。


 が――

「――惜しいのう。その算段と体術、本当に大したものじゃな」

「んなっ――!」

 着地して振り向いたシズハは目を見開いた。渾身の技で相手の武器へと激突させたはずだというのに。


 テンヌの額は確かに氷の矛先へ触れていた。だがそこにあるのは傷ひとつない桃色の肌ばかり。一切の血は流れなかった。むしろ氷で形作られた矛先にひびが入り、見る間に砕け散ったのだった。


「祝福を受けたこの肉体! 氷では傷つけることは適わぬ。いかなものであろうとな!」

 悠然とその身を起こし、甲板に膝をついていたシズハを見下ろしていた。


「さて……そろそろわが軍門に下ってもらうとしようか?」

「……思い通りになると思うか?」

「フ……なるかならぬか……確かに計りしれぬ。愛いのう――なんとしても欲しい!」


 直後、テンヌの動きは、巨躯に似合わぬ迅速さだった。沈み込むように体を低くして踏み込んだかと思うと、シズハの右足首を取っていた。

 そうして彼が抵抗する間もなく、かばんのように肩の上へ担ぎ上げ、反対の手で口をふさぐように顔を掴んだ。


 巨漢の船員が叫ぶ。

「橋折り固め! おいカシラ、本当に壊してしまうぞ!」

「さすれば治せばよい! ものではなく人間よ!」


 シズハの全身が弓なりに反り返る。背骨へ力がかかるほどに痛みは増し、呼吸さえも苦痛だ。彼の喉から苦悶の声があがった。

 テンヌの腕はゆっくりと、そして確実に力が増していた。したがってシズハの背骨が鋭角へと近づいていく。


「……このォ!」

 シズハは無理やり口を開き、顔を抑えつけている指へ思い切り噛みついた。

「ッ……!」

 指を強かに噛まれたことで、テンヌは僅かに表情を歪める。シズハは力のゆるみを察知し、一気に足を引き抜き、身体を捻って着地した。


 それと同時に、武を練磨したテンヌの身体は無意識に動いていた。

「逃がさぬ!」

 着地の衝撃を殺すためにシズハが腰を落としたその時、長い脚を振るって前蹴りが襲い掛かる。シズハが身構えた時にはもう、逃れることはできず。


 直撃の瞬間、水面を掌で強かに打ったかのような破裂音がした。

「あが……っ!」

 シズハは胸を押さえて、膝をついてその場に沈む。波を打つように身体を震わせ、悶えていた。


 声を上げることはできていない。ショックで血も息も何もかも乱れて吸うことも吐くこともままならないのだ。


 潮騒があたりに響いた。だれもが息を飲んでいた。それほどに、死さえ疑う一撃だった。

「お、おい。もういいんじゃねえのか、決まったろ?」

 ロウギが言うが、副長は頷かなかった。


「頭部への有効打に非ず。勝敗は決まっていない」


「……細い身には過ぎたことをしたかの」

 と、テンヌは己の頬を指でなぞり、悔いをにじませた。

「しかし勝負は勝負……この時を持ってお主の苦闘もおしまいよ」


 彼女がシズハの傍らで片膝をつき、顔を上げさせようとしたその時――視界が一瞬遮られる。

「むうッ!?」

 テンヌが叫んだ。なにかがその両目に打ち付けられたがためだ。反射的に背を反らし、前方へと腕を振ったが空を切った。


 その一瞬後、彼女の両目が正しく前を見た時。彼女の顔は予想のつかない、柔らかな感触に見舞われていた。

 シズハの両脚に挟み込まれたのだ。両足の太ももで相手の頭を挟みこみ、肩車を前後逆にしたような体勢となっている。


 ほんの数秒前まで、地を伏すシズハとそれを見下ろすテンヌという構図であった。だがこの一瞬でそれは覆った。シズハがテンヌを見下ろしている。


 先刻、テンヌの目を襲ったものの正体は、シズハの三つ編みだった。

 彼は首の一瞬で大きく振り、長い房がともなって動く。


 すると三つ編みは、意志を持つかのようにうねり、テンヌの目元を襲ったのだ。

 一瞬のことだが、ある船員はその動きに逆巻く波を見出し、またある船員は忍び寄り襲い掛かるヘビを見出した。


 およそ人間からも獣からも来ることのない奇策だ。テンヌは戦い慣れしているからこそ未知の一手に身構え、それが間隙を生んだ。

 シズハは隙を突いて身をひるがえし、全身の力を使ってバネのように身体を起こしたかとおもうと、マストを蹴っての三角跳びで女の頭上にいた。そうして食らいついたのだ。


 意表を突かれたわずかな隙に、細身とはいえ男子ひとり分の重みが勢いを持って首にかかり、テンヌは空を仰ぐようにぐらついた。

「ほおっ……!」

 テンヌの両目は驚きに見開かれていた。上天の太陽をちょうど覆い隠すように、視線の先に少年の顔があった。


 口を引き結んでいたシズハは、まっすぐな視線でテンヌを見て囁いた。

「苦闘はおしまい……だね?」


 言葉より速く、左手が一閃に振り下ろされていた。爪は眉間を正確にとらえた。彼自身、これ以上にない力のこもった一撃だ。

 鮮血が中空へ跳ね上がり、帆柱へ、甲板へと散った。その血の主は無論、テンヌだ。

 シズハはすぐさま身をひるがえして離脱する。


 一瞬の早業に立ち尽くすテンヌの額からは、真っ赤な血潮が流れゆく。紅潮する肌に、なお赤い血が。

 まっすぐな鼻梁で別たれた二筋の血は、口を紅に彩った。顎の先から滴った血が胸へと落ち、包帯を朱色に染めながら時を刻む。


 テンヌは舌で血を舐めとり、どこか冷静につぶやいた。

「してやられた……か」

「決着ッ!」

 副長の声が重苦しく響いた。



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