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【路地裏/秘匿】


 銀海流の潮騒ばかりが響く。曇天の港町は昼前だというのに薄暗く、妙に蒸し暑い。息の詰まるような剣呑なる静けさに包まれていた。


 その中で、鳥の鳴き声が響いたかと思うと、野蛮な男たちの大声が上がる。

「逃げたぞ、あっちだ!」

 ひとりの少年が、迫る声から逃げて建物の隙間に転がりこんだ。

 そこは廃材置き場だった。目の前には真っ二つに割れた円卓、とっさにその影へ潜りこみ、手にしていた荷物を腹の下に隠した。そしてそばにあった汚れた広い布を頭から被り、息をひそめて完全に気配を消した。


 直後、表の通りに数人の男女が走りこんでくる。「北蛮」と呼ばれる、北方民族のものどもだ。ここ数年で台頭してきた、海賊まがいの集団である。粗暴な傭兵業だとか、人さらいを働いているだとかと、いい噂はなかった。


 少年は話し声に聞き耳を立てる。

「おい、あの隠密どこにいった? 見失ったぞ! どこぞ家に逃げ込んだんじゃあるまいな」

「うろたえんじゃないよ。どこへ隠れようと、やつは必ず舟を求めるのさ。海流をアテにしてね。それに特徴ははっきりしてたろ、ここらでは見ない真っ黒な髪だ。それに男で子供で……あとはなんだっけ?」

「副長が言ってたのはそんなところだ。帽子をかぶってたとか青い服だとかいう話もあるが、そのあたりはどうにでもなる。とにかく黒髪の子供に当たれ。それに、やつが持っている『秘宝』とやらは、夜も昼も一定の光を放つらしいぜ。子供を見つけて多少調べりゃ、すぐにわかる」


「今度のアレ、カシラはずいぶん熱心だからのう。さっさと見つけんとまた妙なことを言い出すぞ……で、言い出した本人はどこだ? 見当たらんぞ、あのナリが」

「風呂屋だとよ」

「かっ、そりゃずいぶんとお楽しみで」

 足音が散っていった。路地裏の廃材置き場は、異邦者である彼らの目には留まらなかった。


 追手が去ってから、ひと呼吸、ふた呼吸……まわりに人間の気配がない事を確認して、少年は身を起こす。彼は暗がりで独り、皮肉につぶやいた。

「そっちにはありはしないよ。お目当ての秘宝は」

 腹の下の荷物からは、銀色の鋭い光がこぼれる。とっさに布を被っていなくては、表の路地にまで波及したであろう光だ。まさに北蛮のものが言っていた『秘宝』がここにある。


(初めて見た時は、闇夜に(しるべ)の星を見つけたように思ったけど……今では忌々しい。この自己主張さえなければ、苦労はなかった)

 とっさに被った布は、使い古された帆布だった。その下で、少年は包みを開く。

 衣服で包まれた大きな塊ごしにも、銀の光がこぼれて見える。それは、着替えと厚紙とで何重にも封をしたにもかかわらず、時がたてば表へ光をもたらすのだ。見つけてくれと言わんばかりに、その存在を外部へ知らせようとしていた。

 上着、肌着、簡素なワンピース、それらをほどくごとに光は増した。最後に秘宝を包んでいたのは一枚の紙だ。幾重も巻かれて固く結ばれていた糸を、鋭く研いである小指の爪で切り、ほどく。


 海の秘宝「エリオン」が、姿を現した。


 涙型のような楕円形で、大人の拳ほどの大きさのクリスタルだ。深海の水を閉じ込めたような、深く美しい藍色をしている。その中心には、珊瑚の枝先のような形の銀色の核が存在している。これこそが光源だ。


 クリスタルは一見すると硬質だが、内部で渦を巻く流体だ。手で触れればゆるりと形を変える、さながら卵の白身の感触だ。しかし他の液体や気泡は決して混ざることなく、いつのまにか元の形に戻る性質があった。これ自体が巨大な雫のようだ。

 決して他の物質と交わらぬ性質である。

 これを求めるものは数が知れない。なにしろ、世界の流通の要である銀海流を呼び込めるという代物なのだから。


 エリオンの核が露わになったことで、帆布の中に銀の光が満ちる。光を遮るものが減ったことで、至宝の銀光の勢いは、幾らかやわらいだ。それでも帆布がだれかの目に留まれば、光が漏れているのを感づくほどには目立つ光だ。


 封をしてあった紙に、少年を目を止めた、これを受け取った当初は気づいていなかったが、紙の内側には文章が書かれていた。これを託した師父からのメッセージだ。

『私の使命をお前に預けること、すまなく思う。だが御家はもう持たぬ。この光をなんとしても主へ、お嬢様へ、届けねばならん。生きて帰れよ。シ――』

 かつて読み書きを丁寧に教えてくれた恩師の文字は、見る影もないほどに乱れていた。最後の一行などは、字の形を成さず判読不能だ。だがそこに書いてある名前はわかる。

『シズハ』と。

「うん……わかってるよ先生。必ず、フィシーのとこに帰る……」


 シズハと師父エドモントは、断島を守る司教アウレーに仕えていた。銀海流の主要な流域から遠く離れた、南西の島である。

 かつては大陸中に浸透したシトラー教の聖地であり、象徴たるアヤメ花の産地として大いに栄えていた。だが天変地異によって重要な聖堂は崩れ、花畑や庭園も荒れ、銀海流の恩恵は受けられず……と退廃の一途をたどっている。

 人々から失われつつある信仰を取り戻すべく、司教は秘宝エリオンを持ち帰るように「庭番」のエドモントとその弟子であるシズハに命じて旅立たせた。


 風の頼りで確たる情報源を得ていたため、エリオンの発見と取得までは首尾よく進んだ……といってもそれだけで大仕事とも言える旅路と日数を要したのだが。

 問題はエリオンを入手してからだった。常に放たれる光のために、これを狙うものたちに場所を知られ、狙われ続け、その果てに恩師は囮となって追手を引き付けた。

 シズハは、主人の領地を守る役目を継いだのだった。


 泉の水をすくうように、シズハは両手でエリオンを手にした。平衡を乱せばすぐに零れ落ちそうなほどに、柔らかく、重く、そして冷たい手触りだ。

 顔の高さまで持ち上げる。銀の核から放たれる光が、クリスタルの内部で乱反射を起こし、手の中に無感情で眩いきらめきを見せる。見ておくれ、と言わんばかりの美しさだ。彼はなにか引き込まれるような感覚に襲われ、わずかに目をそらす。


 この物体を隠す方法、それはただひとつ。

(憂鬱だ。しかし他に手段はない)

 意を決してエリオンに唇で触れた。眩さに目をつぶる。微かな弾力以外は、なんの抵抗もない。だが低温という絶対的な拒絶がある。冬の海のようだ。シズハは冷たいものが苦手である。だがそんなことに気を取られている場合ではなかった。


 決意を持って、唇を開き、両手をさらに上げた。

 それは重みのままに、とろりと口に入ってきた。舌の上にエリオンが触れる。味らしい味は感じない。微かに海水のような香りがするばかりだ。

 首をそらし、喉を広げ、流れるままに喉の奥へいざなう。まさしく巨大な卵を呑み込むかのような感覚だった。喉の奥を、核が通っていくのが分かった。

 瞬間、痺れが全身に走る。そして胃液が逆巻き上ろうとする感覚に襲われた。嘔吐感に必死に耐え、左右の手で口と喉とを押さえつけて、やっとのことで飲み下した。


 シズハはしばらく荒い息をついていた。視野の端に光の点が走る。目が血走っているのが分かる。気づけば全身に汗をかいていた。胃の腑の猛烈な冷たさとは裏腹に。

「……空きっ腹には酷だったかな」と自嘲気味につぶやいた。

 ようやく吐き気が収まると、帆布を捨てて立ち上がった。薄暗い廃材置き場で、自らの身体を見回す。あの光はどこにも漏れていない。冷えた腹をさすれば、重たい異物があるのが分かる。

(隠し通せるはずだ、これならば。そのままで在ってくれ、今しばらくは)


 秘宝エリオンがどこにあるかは、これでだれにもわからない。

 隠し方としては乱暴だが、あれは決して汚れることがないのだ。土も埃も血も海水も、浴びたとしても決して混ざりあうことなく、もとの美しい姿に戻る。それゆえ胃酸にも決して侵されることはないだろうという見込みがあった。なにしろクジラの腹から取り出されたものなのだから。

 そして取り出す方法も、少々手荒だが見込みはある。最悪、身一つででも領地に戻りさえすれば、腹を切り開いてでも……


(あとは追手を出し抜いて、港で小舟を手に入れなくては)

 銀海流によって絶えず潮流が島と島を循環している今では、持ち主のいない小舟などいくらでも船着き場にある。敵をまくことが最大の問題だ。


「あいつらの声が大きくて助かった……」

 シズハは帽子を脱ぎ、仕舞いこんでいた長い三つ編みを解き放った。

 そして荷物から小さな紙の包みを取る……


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